○死滅神の役割

 私がシーシャさんの頬に触れる、直前。


「ちょっと待って!」


 サクラさんの必死な声が聞こえてきたかと思えば、シーシャさんに向けて伸ばしていた手を掴まれた。


「……サクラさん? あなた今死にそうになったのよ? 分かってる?」


 〈即死〉は視認している対象1人を殺すスキル。今一瞬、私の意識は自分の腕を掴むサクラさんの腕に向いていた。もし私が〈即死〉を使っていたのなら、間違いなく、不可逆の死がサクラさんを襲っていたでしょう。私はサクラさんが死ななかったことを安堵すると同時に、サクラさんが迂闊うかつな行動をしたことに多少……いいえ、かなり腹を立っていた。……はずなのに。


「そんなの知らない!」


 怒りの形相で声を荒らげたサクラさんの勢いに飲まれて、情けなく喉がヒクッと鳴ってしまった。私を睨みつけ、腕をぎゅっと握ってくるサクラさん。


「ひぃちゃんこそ分かってる?! 今、秒でお世話になってる人を殺そうとしてるんだよ?!」


 そんな、分かり切ったことを聞いて来る。


「馬鹿ね、サクラさん。それが私、“死滅神”の仕事なの。これはサクラさんには分からない――」

「そう! 分かんない! ……前にも言ったけど、私はフォルテンシアからすれば部外者だから。でもね」


 言葉の後半、少し落ち着きを取り戻してサクラさんが言う。私も、サクラさんが言った部外者という言葉で、少しだけ冷静になる。

 掴んだ腕を引き寄せて、サクラさんは無理やり私と目を合わせる。


「少なくと今、シーシャさんを殺すことは間違いだってわたしは思う」

「いいえ、正しいことよ。自分を育てた両親を2人殺したんだもの。恩を仇で返すような人は、フォルテンシアには要らない」


 私の言葉を聞いて、サクラさんが茶色い目を大きく見開く。やがてその表情を、悲しそうなものに変えた。


「ねぇ、ひぃちゃん。いつから? いつから人の命を要る、要らないなんて言うようになったの?」


 それはもう悲しそうに。それこそ、今すぐ泣きそうな顔でサクラさんが続けて聞いて来る。


「教えて? いつから命を、物みたいに扱うようになったの?」


 泣きそう、では無かった。もう既に、サクラさんの目からは涙があふれていた。


「……どうしてサクラさんが泣くのよ?」

「だって、悔しいんだもん。リリフォンだとあれだけ殺すことためらっていたのに、今はこんなにあっさり人を殺そうとするんだもん。こんなの、私が知ってるひぃちゃんじゃない……っ!」


 そう言って、悲しそうな顔から一転、今度は悔しそうにサクラさんは言った。


「……私だって成長するの。何度も言うけれど、私は“死滅神”。人を殺すことが役割なの」


 分からず屋の子供に言い聞かせるように、私も必死でサクラさんに理解してもらうと言葉を紡ぐ。だけどサクラさんは首を振る。


「ううん、違うよ、ひぃちゃん。私が聞いたひぃちゃんの役割は、殺すことじゃなくて、殺すべき人を殺すこと。そうじゃないの?」


 涙をこぼしながらも、じっと私を見て詰問してくるサクラさん。……確かに、最近は少し殺すことに積極的になり過ぎていたかもしれない。いつからかと聞かれれば、答えられる自信はないけれど。


「で、でもシーシャさんは自分のご両親を殺していて――」

「じゃあ、なんでシーシャさんは両親を殺しちゃったの?」


 サクラさんのその問いに答えられなくなって、ようやく私は1つ、聞き忘れていたことに気付く。そう、どうして罪を犯したのか。思えばこれまで私は、殺すべき人々がどうして悪行に手を染めるに至ったかについて考えたことなんて無かった。


「だけど。たとえどんな理由があっても人を殺すことが正当化されることは無いわ」

「そうだね。わたしもそう思う。だけど、ひぃちゃん殺すべき人かどうかってところは変わって来るんじゃないの?」


 人殺しが悪であることは変わらない。だけど、その罪の償い方は違うのではないか。サクラさんはそう言いたいのね。


「ひぃちゃん。私は聞いてみるべきだと思う。どうしてシーシャさんがご両親を殺したのか。なんで、人を2人も殺した人が、こうして模範囚として、美味しいレモンを作れる環境に居るのか」


 私が動かないと分かったのでしょう。私の腕を強く握っていたサクラさんの手が放れる。彼女握られていた腕には赤く、くっきりと手形がついている。その痛みと晴れはそのまま、サクラさんの想いの強さを表していた。


「ひぃちゃんは気にならないの? 命っていう“物”じゃなくて、シーシャさんっていう“人”のこと」

「それは……」


 なるほど、ね。確かに、私は命を物として捉えていたのかもしれない。その理由ははっきりしていて、命を等しく公平公正に扱おうと心掛けてきたから。例えばウルラトーラとシーシャさん。2つの命を同等に扱おうとしてきた。それこそが、命に真摯に向き合うことだと思っていたから。

 だけど、少なくともそれは公正ではなさそうね。話したりできない動物や野菜と違って、人には言葉があって、意思がある。レベルと一緒に、積み上げてきた過去と想いがある。それと向き合うことこそ、大切なんじゃないかしら。


 ――だとすると。


 命と正しく向き合おうとするのなら、1つ1つの命への向き合い方を変えるべきなのかもしれないわね。野菜や動物とは食べることを通して。そして、人とは話すことを通して。そんな風に。

 今更気付いても遅すぎるかしら。イチマツゴウに始まって、ついこの間、ブァルデス渓谷で殺した盗賊まで。職業衝動のあるなしに関わらず、私はたくさんの命を奪ってきた。ひょっとすると、中にはやむを得ない事情があったのかもしれない。


 ――だけど後悔だけはしていない。


 常に死滅神として、恥じない死をもたららしてきた自信はある。だけど、今日から。もっと言うと今から。私はもっと深く、命と向き合うことにする。具体的には、何をしたのかだけでは無くて、どうして罪を犯したのか、その理由を聞くことにする。

 判断基準を変えたと言っても良い私を快く思わない人も居るでしょう。彼らが投げる石は、きちんと受けましょう。そしりも怒りも、潔く受けましょう。だけど、たとえどれだけ気付くのが遅れても、私は変わらなくてはいけない。誰よりも命の近くにいる私は、積み上げたしかばねが人々の許容量を超えるその時まで、命について向き合わなければならないのだから。


「あなたの言う通りだわ、サクラさん。……ありがとう」

「うん。ちゃんと訳を聞こう。殺しちゃったら、もう後戻りできなんだから」


 殺すことそれ自体を使命と思うようになったのは、一体いつからしら。その理由についても考えたいところだけど、今はとりあえず。


「……シーシャさん。あなたはどうして、ご両親を殺したの?」


 改めてシーシャさんに向き直った私は、シーシャさんというひとと向き合うことにした。

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