○水浴び事情

 エルラを出て6日目。今日も私たちは切り立った茶色い岩肌のブァルデス渓谷を進む。道幅は鳥車1台がやっとの大きさで、すぐ足元は崖になっている。崖下には大きな川があるのだけど、メイドさんの話では、その川がずっと北方、ポルタの近くを通って、海に流れ出しているらしいわ。

 そんなブァルデス渓谷の中腹に、きれいな湖があった。真っ青な透き通った青色はアイリスさんを思い出させる。ここまでずっと歩き詰めだったし、風も空気も心地よい。そんなわけで、私たちは湖畔で昼食と休息を取ることにした。


「う~ん! 空気が美味しい!」


 きれいな波が打ち寄せる砂利が転がる水際で、サクラさんが両手をぐっと広げている。背後にはまばらに生えた木々もあって、木陰もある。天気も良好だし、まさに最高ね。

 私たちと同じことを考えたのでしょう。少し離れたところにも行商人さんたちが休憩を取っていた。


「お嬢様。ポトトもそうしているように、水浴びなどいかがでしょう?」


 湯浴み着を手に、メイドさんが勧めてくる。見れば、さっきまで湖の水を飲んでいたポトトが気持ちよさそうに水浴びをしていた。……まさか、また臭う? そう思って服の中や脇を臭ってみたけれど、多分、大丈夫なはず。いつもメイドさんと共有している香油の香りね。髪も、清潔なはず。

 だけど、思えばここ最近、お風呂に入っていない。もちろん毎日体は拭いているけれど、また「野性的な臭い」なんて言われた日には発狂してしまう。お昼に水浴びをしたことは無いけれど、メイドさんも勧めてくれているし、何か理由があるのかも。


「そうね。ちょうどいい岩場もあるし、そうしようかしら。メイドさんも一緒に入りましょう」

「……お背中、お流しいたしますね♪」


 そんなにウキウキした顔をされると、なんだか不安になるのはどうしてかしら。じゃりじゃりと岩の影に移動して、服を脱ごうとしたところで。


「待って、待ってひぃちゃん! 何してるの?!」


 サクラさんが服を脱ごうとする私の手を止めた。


「何って、水浴びよ。サクラさんはしないの?」

「水浴び?! 近くに人が居るのに?!」


 信じられない、と言った様子のサクラさん。


「ははん、さてはサクラさん。のけ者にされたのが寂しいのね? いいわ、一緒に入る?」

「いや、うん、ドヤ顔のとこ悪いけど、全然違う。わたしが言いたいのは、恥ずかしくないのってこと、なんだけど……」


 後半、しりすぼみになりながらサクラさんが顎に手を当てる。そして、


「メイドさんが何も言わないってことはもしかして、フォルテンシアでは結構当たり前? それとも2人がホムンクルスだから?」


 真面目な顔で、認識の違いを確認してくる。これは出会った時からよくあることね。言葉だけじゃなくて、トイレや生理の話なんかもそう。私たちとサクラさんの間には、文化と種族、2つの違いがある。その違いにぶつかるたび、こうして認識の齟齬そごを埋めてきた。

 今回の反応からするに、ニホンでは水浴びをあまりしないのでしょう。少し違うかしら。口ぶりからして、衆目がある所で水浴びをしないということね。


「水浴びは、人族でも一般的ですね。温かい温泉がある地域などは限られていますし」

「というより、サクラさんだって水浴びに慣れたって言っていたじゃない」

「水浴びは慣れたって言うか、諦めただけなんだけど……。今までこんなことしなかったような?」


 言われてみれば、サクラさんと会ってからは長くても1週間くらいしか町を離れたことは無かった。その途中に水場があったことも、無かったはず。別荘にはお風呂があったし、泊まってきた宿にも身を清める洗い場があった。


「ただ単に機会が無かっただけね。というよりサクラさん。『メイドさんも』って何? 私だけの行動だと奇行だって納得したということ?」

「まぁ、ひぃちゃんはほら、アレだから。なんでもあり得そうだし……」

「アレ? アレって何よ」

「アレはほら、アレだよ。言って良いの? ひぃちゃん怒るか、ショックを受けるよ?」


 ここまで言われると、少し怖くなるわね。一体何を言われるのかしら。衝撃ショックを受けるようなこと。この前は流れで追及して野性的な臭いと言われた。……きょうはここまでにしておいてあげるわ、サクラさん。今は話を元に戻しましょう。


「で、どうするの? サクラさんも水浴びする?」

「あ、あはは。さすがに心の準備がいるから、今回は遠慮しとくよ」


 そう言って、そそくさと火の番をしているティティエさんの所へ行ってしまったサクラさん。人前で裸を見せること自体は恥ずかしいことではないでしょうに。むしろ、私たちは見せないように、他の人たちは見ないようにするのが、水浴びの常識だったはずよ。

 邪魔者サクラさんは居なくなったし、早速生まれたままの姿になる。そして、メイドさんから受け取った薄い生地の湯浴み着を着る。


「冷たいっ」


 いくら長袖1枚でも問題ない気温とは言え、水はびっくりするくらい冷たい。だけど、ここは我慢。ざぶざぶと水をかき分けて、胸が隠れるくらいの水深まで歩いていく。そうしていると、身体が水に慣れてくる。そうなってしまえばこっちのものよ。清らかな水が全身を包んで、心地いい。全身を軽くさすりながら、汗と垢を流していく。

 髪も洗うために水に潜ってみる。水中で目を開けてみれば、たくさんの水草が揺れていて、その間を小魚たちが気持ちよさそうに泳いでいる。夜にこんなことをしても何も見えないでしょう。こうして自然を感じながら身を清められるのが、昼間の水浴びの良い所なのかも。


「ぷはっ。メイドさんも早く来たら?」


 水面に顔を出した私は、湖岸でメイド服姿のまま立ち尽くしているメイドさんを誘う。どうしたのかしら。びっくりするくらい良い笑顔だけれど。


「お嬢様、伝え忘れておりました」


 なぜかしら。その一言だけで、途端に嫌な予感がする。


「な、何?」

「確かに水浴びは一般的ですが、それは夕暮れや夜間の話です」

「……え?」


 どうやら、私の知識に少し穴があったみたい。……待って、ということは。


「もしかして、お昼に入るのは作法に反するの?」

「そうなります♪」

「なっ?! どうして最初に言わないのよ?! これじゃあ無作法を晒しただけじゃない!」


 言いながら早々に湖から上がる。


「そうして赤面するお嬢様を久しぶりに見たいな、と思いまして」


 このメイド、しゅじんで遊ぶなんて良い度胸ね。


「ふ、ふん。メイドさんこそ良いの? 一緒に入る、だなんて言っておいて。約束を反故にしたけれど、侍女としてどうなのかしら?」

「あら? わたくしは『一緒に入る』だなんて申し上げておりませんよ? 背中を流すとしか申し上げていないはずですが」


 だとしたら、最初から分かっていたんじゃない! 全く、サクラさんまで巻き込んでこのメイドは。結局、昼に水浴びをするのがおかしいと思えるサクラさんの感性が正しかったということね。つまり、これも私の奇行ということになる。……まぁでも、身体がさっぱりしたのは事実。湖も堪能できたし、意外と悪くなかったのかも。


「デアがお嬢様の美しい裸体を見事、照らしております。大胆なお嬢様、堪能させて頂きました♪」

「はぁ……。馬鹿なこと言って無いで、早くタオルを頂戴……くちゅんっ」


 手早く身体を拭いて、メイドさんが用意してくれていた新しい服に着替える。気まぐれなところが無ければ、立派な侍女なのに。やっぱり、“死滅神の従者”なのだと思わずにはいられないわ。

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