○小さくて、大きな一歩

 ティティエさんと過ごすようになってはや5日。私たちはブァルデス渓谷にある汎用地はんようちで一夜を明かすことになった。それぞれ高さ5m、幅10m、奥行き15mくらいの汎用地には、私たち以外に人は居ない。だけど、盗賊だってよく出る場所だから、用心するに越したことは無かった。

 今日は私とメイドさんとで寝ずの番の予定だった。鳥車のそばでポトトが。荷台ではサクラさんとティティエさんが寝息を立てている。

 自分の尻尾を抱きながら眠るティティエさんの姿は、幼い見た目も相まって子供みたい。透き通った水色の髪に青い角と鱗、尻尾が特徴の彼女。だけど、やっぱり特筆すべきはその強さね。ティティエさんのレベルは13。値だけで言うと、私やサクラさん、ポトトよりも低い。だけど――。


『んっ!』


 渓谷に入る前、興奮して襲い掛かって来たオードブルのオスを、可愛らしい掛け声と一緒に突き出した片手で止めてしまった。参考になるかは分からないけれど、オードブルの頭突きは1mくらいの岩にヒビを入れてしまうくらいの力がある。私の場合は突進してきたオードブルを殺すことは出来ても、その残った勢いでひき殺されるでしょう。サクラさんなら遠距離から攻撃し続けて、殺せなければこちらが殺される感じ。ポトトは気絶してあっけなく殺されてしまうでしょう。


「強さ、ね」


 パチパチと焚火が爆ぜる音を聞きながら、私はエルラに居た時からからずっと思ったことを正面で焚火の世話をするメイドさんに聞いてみた。


「メイドさん。どうしたら、あなたのように強くなれるの?」


 私は、弱い。例えば今、目の前にフォルテンシアの敵がいても、相手のレベル次第では殺す前に殺されてしまうでしょう。確かに〈即死〉は絶大な力を持っている。だけど、今、スカーレットが持っている限りでは、さしたる脅威ではないんじゃないかしら。


「……強くなりたいのですか、お嬢様?」

「ええ。少なくとも、あなたやサクラさんに守ってもらわなくても大丈夫なくらいにはなっておきたいの」


 本音を言えば、誰かを守ることが出来るくらいにはなりたい。だけど、自分のこともままならない今、せめて自分くらいは守れるようになりたい。そんな意思を込めてメイドさんを見てみる。

 メイドさんも、私と同じホムンクルス。しかも造られ方ルーツが同じであるならば、私も彼女のように強くなれるはず。私が目指すべき“強さ”の目標は、まさにメイドさんだった。

薪をくべたメイドさんが翡翠色の眼で私を見る。


「それが、お嬢様の望みであれば、わたくしは全力で支援いたします」

「ありがと――」

「ですが、わたくしは反対です」


 パチッと焚火が音を立てる。膝を抱きながら、抗議の眼でメイドさんを見る。理由を話して。そんなあるじの意思を、メイドさんは正確に汲んでくれる。

これはカーファ様にも申し上げたことですが、と前置きをしつつ、メイドさんが薄い唇を開いた。


「物事には順序があります。例えば今、お嬢様が力をつけて戦場に出たとしても、それ以外の部分で敵への対処ができないでしょう」

「それ以外の部分……?」


 例えば周囲や相手を見ること、得た情報から考えて判断すること、武器やスキルの特性、体術。自分を守るだけでも、色んなものが必要になって来ると、メイドさんは立てた人差し指を回す。


「力をつけた。そう中途半端に勘違いをして単独行動での範囲を広げただけでは、お嬢様を襲う悪意や事故が増える一方なのです」


 そう、メイドさんは苦笑した。

 なるほど。メイドさんは私を心配しているわけね。裏を返せば、やっぱりまだ信用されていないということ。その心配を取り除こうと頑張って、これまでも私は失敗してきた。ディフェールルのケーナさん絡みの出来事が良い……悪い例ね。裏切ってきた期待の数だけ、メイドさんを心配させてしまっている。


「加えてお嬢様はすぐに調子に乗られます。そんな危なっかしいお嬢様に、何かしらの力をお教えして、わたくしの目の届かない場所に行かれてはたまったものではありません」

「か、返す言葉も無いわ。……だけど――」


 メイドさんの心配はごもっとも。全部私のせい。それでも、やっぱり、私は強くなりたいし、強くならなくちゃいけない。守られてばかりなんて、死滅神として情けないもの。役割を果たす時、前に出るのは私なんだから。

 立ち上がった私は焚火越しに、椅子に座るメイドさんを見下ろす。


「――お願いよ、メイドさん。ナイフの扱い……いいえ、走り方だけでもいいの。あなたが培ってきたものを、私に教えてくれないかしら?」


 教えてくれ、と、言いきることはできない。それだと命令になってしまうものね。メイドさんの強さは、彼女自身が積み上げて来たもの。そしてそれは同時に、彼女のご主人様であるフェイさんへの忠誠心の表れでもある。そんな彼女の努力を、命令という形で“奪う”ことは卑怯な気がした。

 だから私は、お願いする。ほんの一部で良い。一部で良いから、私にメイドさんの頑張りを分けて欲しい。そうすれば死滅神として、スカーレットとして、1歩先へ進める気がする。


「お願いっ!」


 主人としてではなく友人として、メイドさんに頭を下げる。これは賭けでもあるわ。メイドさんがスカーレットを少しでも信頼してくれているのかどうか。もし信頼されていないのなら、彼女が首を縦に振ることは無いはず。だって、そもそも教える理由が無いから。メイドさんにとって私は保護し続ければ良い“代替品”でしかないということ。

 逆に、私を“個人”として見てくれているのなら。スカーレットが成長することを期待して、多少の忠誠心を分けてくれるはずよ。

 私の懇願の結果は、


「嫌だ」


 秒殺だった。……メイドさんの信頼を得るには遠かったみたい。まだ私は、ご主人様の代替品だということ。


「そ、そうよね。まだ、私には、早いのかしら……っ」


 眼の端にこみ上げてくる液体を、必死に我慢する。これは自分のしたことが自分に返って来ただけ。『仕掛け罠に自分ではまる斥候』よ。悔しいけれど。またもう少ししてから――。


「――お嬢様。まだ私は何も申し上げていません」


 戸惑うようなメイドさんの声が聞こえた。


「……えっ? だけど、……じゃあ今のは」


 顔を上げて声の主を探していると、


「嫌だよ、ひぃちゃん。ケーキに溺れて、死なない、で……むにゃ」


 鳥車の荷台に敷かれた布団で眠る、サクラさんの寝言だった。……声の違いに気付かない私も私だけど、サクラさんも大概じゃない?! 時機タイミングが良すぎるわ! あと、さすがの私もケーキに顔から突っ込むことは無いと思う。


「や、ややこしい……。こほん。そ、それで、改めてどうかしらメイドさん。私に戦い方を教えてくれない?」


 そう言った私の赤い瞳をじっとメイドさんが見つめる。そこからしばらく、私たちの間には沈黙が続く。時折、私がつばを飲み込む音と焚火の音。そして、サクラさんの寝言が聞こえてくる。おかげで緊張し切らない空気感の中。メイドさんがそれはもう長い長い溜息を吐いたのちに言った。


「……かしこまりました。では今日から少しずつ、ナイフの扱いと1対1の基本をお教えしましょう」


 その答えを、私はゆっくりと咀嚼そしゃくして、飲み込んで、


「やった――むぐっ?!」


大声で吐き出そうとして、目の前に移動していたメイドさんに口を押えられる。


「皆様が起きてしまわれるので、静かに。分かりましたか?」


 薄い桃色の唇に指を立てて言ったメイドさんの言葉に、黙ってうなずく。だけど……、やったわ! 少なくとも、メイドさんの中で私は“守られていれば良い存在”ではないということよね?!

 こんな小さなことで、なんて誰にも言わせない。きっと私以外には分からないでしょう。けれど、これは大きな一歩なんだから。


「まずはこういった軽率な行動から控えましょうね、お嬢様? 命取りになります」

「わ、分かったわ……」


 どんな遠い道のりも、歩き出すことが大事。『最初は皆、レベル1』よね。この日から、メイドさんによる戦闘訓練が始まることになった。

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