○赤竜、再び!

 エルラを発ってから3日目。

 ブァルデス渓谷に入る前。渓谷から流れ出る大きな川のほとりで、私たちはお昼ご飯を食べることにする。いいえ、正しくは捕れたばかりの新鮮な食材を無駄にしないために、少し早い昼食と相成ったと言うべきね。


「こ、これ、本当に食べるの?」


 サクラさんが小石の転がる地面に横たわる食材をいる。そう、今日の食材はとても大きい。加えて、ニホンではまず見かけないらしくて、食べることに抵抗があるのでしょう。


「大丈夫よ、サクラさん。大抵の物は焼いて塩をかければ食べられるもの。それに、ティティエさんが言うには美味しいらしいし……ふんっ! ぬぬぬぅ……」


 メイドさんやティティエさんと一緒に鱗を取りながら、私はサクラさんに答える。力いっぱい引いてようやく、赤い鱗が1枚がれる。デアの光を返す美しい鱗は、冒険者ギルドに併設されている素材屋さんに持っていくだけで50~100nになる。1枚たりとも無駄には出来なかった。


「それより、サクラさんも早く手伝って。時間をかけると、貴重な食材が傷んでしまうわ」

「え~……。日本人のうち何人がドラゴン食べたことあるんだろ……」


 サクラさんがドラゴンと呼ぶその食材は、ウルセウで私を襲った動物――赤竜だった。

 渋々、と言った様子で鱗を剥ぎ始めたサクラさんと一緒に作業しながら、私はこの哀れな赤竜について思いをはせる――。




 少し前。私たちはブァルデス渓谷をどうやって超えるのかを話しながら、鳥車を進めていた。


「なるほど。道が狭いから盗賊に襲われやすい」

「その通りです、サクラ様。なので、常に帯剣していてください」


 御者台に座るメイドさんの話に相槌を打ちながら、サクラさんが木箱の上に置いた小さな紙束『メモ帳』に文字を走らせている。


「また、どこもそうですが、渓谷を抜ける際は左側通行が原則です」


 ブァルデス渓谷を抜ける時は、崖沿いにつくられた細い道を行くことになる。左右の崖それぞれに街道はあるけれど、左側通行が暗黙の了解らしい。


「もしも間違えて右側の道を使ってしまった時はどうすればいいの?」


 道幅は鳥車1台がどうにか通ることのできる大きさ。すれ違うことが出来ないなら、間違えた方が渓谷の入り口まで引き返すことになるのかしら。そう思って聞いてみると、


「その場合は、途中にある橋を使って対岸へと渡るか、汎用地はんようちを使ってすれ違います」


 指を立てたメイドさんが説明してくれる。


「はんようち。なんですか、それ?」


 聞きなれない言葉に、サクラさんがすかさず質問する。それに応えたメイドさんの説明によれば、街道沿いの崖にはいくつか大きな窪地くぼちが作られているらしい。崖崩れした時の避難場所や野営地にもなる場所で、洞窟と呼んでも良いくらいの大きさらしいわ。


「そこですれ違いつつ、次の橋で対岸に渡るのが定石でしょうか」

「ふむふむ。野営地もなってるってことは、盗賊が居るならそこですね?」


 そんなサクラさんの推測に、メイドさんは頷く。


「はい。ですが、盗賊が襲ってくる場所は街道だと思っておいてください」

「えっと……。あっ、馬車とか鳥車が逃げられないからですね?」


 鳥車1台がようやく通ることが出来る道幅だから、引き返す作業も時間をかけて慎重に行なわないといけない。盗賊たちがその隙を見逃してくれるとも思えないものね。焦って地面を踏み外すようなことがあれば、全員が崖下の川に真っ逆さま。その先は、考えるまでもなさそう。


「生き物が居ないので、食料の備蓄も重要です。手元の食料で事足りるとは思いますが、欲を言えば、もう少し余裕が欲しい所です」


 渓谷を抜けた先に小さな村があると、途中すれ違った行商人さんから聞いた。予定ではそこで食料の買い足しをする予定になっている。だけど、途中でティティエさんを雇ったこともあって、食料が少し怪しくなってきていた。もし途中で予想外のことがあれば、食料が足りなくなる恐れがあるわ。

 メイドさんの言葉で私は荷台に座りながら周囲を見渡してみる。近くにあるのは大きな川と、渓谷の前にある小さな森。それ以外は、赤茶けた地面とところどころに生える草木しかない。


「メイドさんの言う通りだけど、近くに動物は居なくて……ひゃんっ」


 ふいに脇腹をつつかれて、変な声を上げてしまう。見れば、私の声に驚いて目を丸くするティティエさんが居た。


「ど、どうしたの、ティティエさん?」

『食料。あそこ、来る』


 私の手を握ったティティエさんが真剣な顔で言う。居るのではなく、来る。その言葉に私もティティエさんが小さな手で指さした方角――ヴェイグェラ山脈を見上げる。アクシア大陸中央に高くそびえたつ山々は今日もその威容を私たちに見せているのだけど、私の目には生物らしきものは見えない。

 いいえ、よく見れば小さな点がある。その正体に最初に気付いたのは、サクラさんだった。


「あれって……青竜の赤いバージョン?」


 スキル〈弓術〉から派生したらしい〈望遠〉のスキルを使って、私たちに教えてくれる。ついでに、〈望遠〉は500m先の物を拡大したように見ることが出来るらしいわ。


『サクラ、落とす。私、殺す。食料!』


 見た目相応に薄い水色の瞳を輝かせたティティエさんが声を弾ませたところで、ようやく私もこちらに向かって来る飛行生物の存在に気付いた。遠目にも分かるその大きな生物は、私のよく知るもので……。


「嘘でしょ、赤竜?!」

「どうやらそのようです、お嬢様。面倒ですね……」


 大陸を南下している私たちは、確かに、赤竜が住処にしている山脈に近づいている。運悪く、お腹を空かせた赤竜に見つかってしまったらしい。

 ウルセウではサクラさんと変態聖女様ことシュクルカさんが対応してくれたからどうにかなったけれど、今この場にシュクルカさんは居ない。弓を使えるサクラさんと、最強と名高いつの族のティティエさんが居れば大丈夫なのかしら。


「いずれにしても、向かって来る以上、対処するしかありません」


 緊張した声で鳥車を停めたメイドさんが、翡翠色のナイフを取り出して上空を見上げる。彼女に続いて、サクラさんがワキュウとは別に新調した弓と剣を持って荷台から下りる。


「お嬢様はその駄鳥だちょうと荷車を見ていてください。〈ブレス〉に気をつけて」

「気をつけて、と言われても……」


 ひとまず荷台から御者台に移って手綱を握る。ポトトに動いてもらおうとするのだけど、なぜか指示を聞いてくれない。まさかと思って覗き込んで見てみれば、案の定、気を失ってしまっていた。まあ、そうよね。空を飛べないポトトは、天空の覇者たる赤竜の良い餌でしょう。混乱して変な行動をされるよりはマシ……なのかしら。

 最悪、目を覚ましたポトトが自由に行動できるように、鳥車との連結を解除しておく。ポトトには荷車よりも自分の命を大切にして欲しいものね。

ポトトの留め具を外したその時には、赤竜は鱗の数が数えられるほどの距離まで接近していた。

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