○ユルサナイ

 ――『オオサカシュンを殺せ』


 職業衝動の声が聞こえた瞬間、私は静かに言った。


「止まって、カーファさん」


 急に言った私の声に逆らうことなく、カーファさんは民家の屋根の上で足を止める。私が1軒のお店を指さすと、頷いたカーファさんはお店が見える路地裏へと飛び降りた。


「あそこだな?」


 夜明け前の薄暗い路地裏。横抱きにしていた私を下ろしながら言ったカーファさんの問いに頷く。


「ええ。ゴブリンの親玉が居るのかは知らないけれど、とりあえずあのお店に殺すべき敵が居るわ」


 私が見遣る場所には、寂れた2階建ての民家がある。一見するとただの家なのだけど、小さな看板があったり、入り口に「閉店」の文字があったりすることからお店だと分かった。


「あそこは議会の許可なく店を開いている可能性がある所だ。正直、可能性は低いと思ってたんだけどな」

「細かいことは良いわ。さっさと殺しに行きましょう」


 私が勇み足で路地裏から出た時、目の前に1人の少女が降り立つ。沈みゆくナールの光に金色の髪を揺らすメイドさんだった。


「お嬢様。その前にお召し物を整えましょう。御髪おぐしも乱れております」

「……早くして」


 全身を犯す職業衝動の熱をこらえながら、メイドさんが私の身なりを整えるのを待つ。これから奪う命に失礼があってもいけないものね。くすぐったさをこらえること、少し。私の全身を見たメイドさんは一度頷いて、私の半歩後ろに下がった。


「ドレス、よくお似合いです、お嬢様。わたくしの想像通りでした♪」


 メイドさんの言葉に、私は改めてドレスを見下ろす。今回のドレスのスカートは丈が少し短く、装飾も最低限になっている。ただ一点、首には『チョーカー』と呼ばれる首輪のようなものがあって、首を保護してくれている。肌が露出しているのは顔だけで、それ以外は全て黒い厚手の肌着で覆われていた。


「首が少し、動かしづらいわね」


 首元のチョーカーを手でなぞりながら、私はメイドさんに目を向ける。これは必要があるのか。そう目で問いかける。きっと今、私の瞳は深紅に輝いている事でしょうね。ともすれば睨み付けるようになっているだろう私の視線に、だけど、慣れた様子でメイドさんは笑う。


「死滅神と言えど、首を切られてしまえば死んでしまいます。そうなると、おもに私が困るので♪」

「……そう。分かったわ」


 メイドさんが言うように、このドレスは一応、戦闘を想定して作られているらしい。外見では分からないでしょうけど、胸とお腹と太ももを守る固い鉄板がドレスの中には仕込まれている。軽いうえにフォルテンシアでも指折りの硬度を持つ白い光沢をもつ金属『白金』で作られた鉄板は、スキルを使った攻撃でもない限り、貫くことが出来ないらしい。


「そうだな。こうしていれば、まさしく死滅神ってところだ」


 メイドさんとは反対、右後方で剣を肩に担ぐのはカーファさん。彼の頭の先からつま先までを覆う鎧が、西に沈みゆくナールの光を浴びて輝いている。


「こうしてみれば? つまり、普段は死滅神に見えないってことかしら、カーファさん?」

「いやいや、滅相も無い。ただ普段は、可愛いお嬢さんだってだけだ」


 にらみつけた私を軽くあしらうカーファさん。敬意ってものが無いのかしら。……それは、私の日ごろの行ないのせいね、仕方ないわ。

 小さく息を吐いて、私は店に向けて一歩を踏み出す。


「それじゃ、行きましょうか」

「はい、御心みこころのままに」

「おうよ、我らが愛しのあるじ


 私を先頭に、メイドさんとカーファさんを引き連れて風俗店へと入って行く。入り口の扉に手をかけながら、


「胸が躍るわ」


 思わず出た言葉と共に、木製の扉を開く……開こうとして、開かなかった。押しても引いてもうんともすんとも言わない。


「ぶっ……、全く。格好つかねぇな、あるじ?」


 思わず噴き出したカーファさんの失笑が耳に痛い。


「……。……。め、メイドさん、お願いできるかしら?」

「かしこまりました♪」


 スカートを広げて一礼したメイドさんがナイフを手にした右手を2度振るう。そうして木の扉が砕けたのだけれど、もう1枚扉が出てくる。


「木製なのは見せかけで、本当は金属製の頑丈な扉だったようです」

「偽装だな。いよいよ怪しいが……。行けるか、メイドちゃん? 無理そうなら俺がやっちまう――」

「結構です♪」


 翡翠色の剣筋が4度、金属の扉に振るわれる。やがて、耳をつんざくような甲高い音を立てて、今度こそ固く閉じられていた扉が開かれる。……ぶち破ったと言うべきかしら。細かいことは置いておきましょう。

 重い音を立てて崩れた扉の向こう側。そこは、床と天井が真っ赤な部屋だった。壁には鏡が張り付けられていて、店内を広く見せる工夫がされている。調度品は、真っ赤なソファと丸机。それらが4セットあって、区分けされていた。

 見ているだけで目がチカチカする内装に、私は思わず顔をしかめてしまう。


「悪趣味ね」

「部屋の観察も良いが、主。あの子、助けなくていいのか?」

「あの子……?」


 カーファさんが油断なく剣を構えて示した先には、こちらに足を向けて地面に倒れた人物が居る。下着姿から察するに、女性ね。その女性の腹部に男が1人跨またがっていて、その他4人の男がソファに座りながらその様を観察していたようだ。半裸の女性に覆いかぶさる男。散々鈍いと言われる私でも、容易に何をしているのかは予想がついた。

 男たちは最初こそ呆けたように私たちを見ていたけれど、すぐに襲撃だと分かったみたい。各々が立ち上がり、得物を構える。ただ1人、女性にまたがる男だけはこちらを見ずに“お楽しみ”を続けていた。


「……お嬢様。全員殺してもよろしいでしょうか?」


 感情の見えない平坦なメイドさんの声が、後方から聞こえる。動いても良いか。従者として指示を仰ぐ彼女に私は首を振る。


「待って、メイドさん。確認はしておく必要があるの」


 間違いで人を殺すことなんて、あってはならない。まずは誰がオオサカシュンなのかを知らなければならない。だけど、女性に跨っている男以外は人間族では無いから、もうわかっていたりするけれど。ニホン人は全員、人間族と同じ見た目をしているからね。

 いつもはここで素直に引き下がるメイドさん。だけど、今日は違った。


「ですが……っ!」


 珍しく食い下がる。そんなに殺しに飢えているのかしら。仕方ないわね。


「待てと、そう言っているの」


 私の命令に、メイドさんが息を飲む気配がある。

 メイドさんが血気盛んなのは今に始まったことではない。だけど、それにしても今回は様子がおかしい。チラリと後方に控える彼女の顔を見遣れば、今まで見たことがないくらい恐ろしく冷たい顔になっている。何かどうしようもない怒りをこらえているようでもあった。……一体、何があったというの?


「誰だ、あんたら……」


 4人いる取り巻きの1人、角耳族の男性が私たちに尋ねてくる。これも様式美、というやつかしら。これから命を奪う者として、礼儀作法は尽くさないとね。


「初めまして。私は“死滅神”スカーレット。フォルテンシアの敵となるあなた達を殺しに来たわ」


 スカートをつまみ、軽く一礼して挨拶を済ませる。死滅神。その単語で、男たちの顔が一気に青ざめていく。ただ1人、ずっと女性と遊んでいた召喚者の男、オオサカシュンだけは、態度に余裕があった。


「おいおい、閉店の札が見えなかったのか?」


 ゆっくりと男が立ち上がるオオサカシュン。私たちを振り返った彼の身長は170㎝くらいかしら。ニホン人らしく、黒髪黒目、平坦な顔立ちという特徴をしっかりと持っている。イチマツゴウとは違って、顔立ちは幼い。恐ろしくコウコウセイでしょうけど、実年齢よりは2、3歳は若く見えていそうね。


「あなたがオオサカシュンね?」

「そうだけど……って、君。桜の友達じゃん」


 ふいに飛び出したサクラさんの名前に、一瞬私の思考が停止する。


「……どうしてあなたがサクラさんを知っているの?」

「どうしてって……ほら」


 オオサカシュンが足元――さっきまで彼が跨っていた女性を首で示す。オオサカシュンが立ち上がったことによって見えるようになった女性。上の下着は投げ捨てられていて、形のいい胸が露わになっている。さっきまでオオサカシュンはその感触を楽しんでいたのでしょう。

 いいえ、今、私が確認するべき場所はそこじゃない。話の流れから察しそうになった自分から、目を背けてはいられない。ゆっくりと視線を女性の胸元から頭部へと向けていく。

 フォルテンシアに来て、強くなろうと毎日鍛えて少し筋肉が付いた肩。ここ数か月で伸びた茶色の髪は、きれいな鎖骨に届いている。丸みを帯びた可愛いらしい顎のライン。柔らかそうで、実際に柔らかな頬。いつもは彼女の性格を表すように光り輝いている瞳は、だけど、今は暗く虚空を見つめている。


 ――だから、メイドさんはあんなにも怒っていたのね。


 天井を見つめたままの彼女が、そのぷっくりとしたピンク色の唇を動かして呟く。


「ひぃ……ちゃん……?」


 私を声だけで判別したのでしょう。少女が私の名前を呼ぶ。死滅神である私を恐れず、笑顔で受け入れ、「ひぃちゃん」と呼ぶ人物など、フォルテンシアに1人しかいない。

 愕然がくぜんとしたまま動けないでいる私の視線の先。虚空を見つめる茶色い瞳から、これまでこらえていたらしい涙がこぼれる。


「たす、けて……」


 そのサクラさんの声が私の耳を通り抜けて脳に響く。同時に、私の中を黒くて重たい何かが埋め尽くす。怒りというには生ぬるい。どうして彼女がここに居るのか、なんて疑問も、職業衝動すらも超越する衝動が、私の理性をさらう。


「ユ ル サ ナ イ」


 気づけば、そんな言葉が漏れていた。

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