○どうにかなってしまいそう

 もちろん、世の中そんなにうまくはいかなかった。そもそも、私は忘れていたの。そう、エルラに入る前、メイドさんが教えてくれたことを、ね。


 私たちが泊まっている宿『ケッデラ』の近くにあった料理店に入って、ご飯を食べる。今はお昼の4時。時間的には「昼食」になるのかしら。ともかく、魔素酔いに気をつけながら適量の料理を頂く。頼んだ主なお品書きは『オードブルのモモステーキ』とサラダ。むしろ、このサラダのためにこのお店を選んだと言って良いわ。

 オードブルはブルの仲間で、大きさ角と体、黒い体毛が特徴の動物ね。温厚な性格のブルに対して、オードブルは喧嘩っ早いことで知られているわ。少し硬めの筋肉質なお肉と脂身の少ないさっぱりとした味わいで、食べやすい印象だった。ついでに、サクラさんとメイドさんは、『トトリエナ』と言う、地元ならではの料理を楽しんでいたわ。


 ――そして、会計の時に事件(?)が起きる。


 サクラさんが自分で稼ぐようになってからは、個々人で会計を済ませることにしていた。基本的にメイドさん、私、サクラさん、の順でお会計をする。


「『トトリエナ』です」

「かしこまりました。680nです」


 メイドさんが頼んだ品を告げて、お金を払う。トトリエナはパンの中につぶつぶ食感の豆、スッラと香辛料をすりつぶした液体ペーストが入った料理。半分に割って、中の香辛料をつけながら食べるエルラの家庭料理だった。メイドさんに続いて、私も会計を済ませる。


「『オードブルのモモステーキ』と『前菜サラダ』よ」


 久しぶりの野菜に舌鼓を打って、ステーキも美味しく頂いた。私が食べた量だと、サラダは500n、オードブルは800nくらいじゃないかしら。


「かしこまりました。……お会計、3,600nです」

「分かったわ。3,600n……さんぜんろっぴゃくえぬ?!」

「お嬢様。他のお客様にご迷惑になるので、お静かに」


 想像の倍を超える金額に声を上げた私を、メイドさんがやんわりとたしなめる。だけど、仕方なくないかしら。3,600nなんて、宿で1泊するよりも高い。こんなのぼったくりよ。

 もとから鋭い目つきをさらに鋭くして、店員に詰め寄ろうとした私だったけれど、


「――一応申し上げますと、適正な価格です。エルラに入る時に、申し上げたではありませんか」


 またしても発されたメイドさんの言葉によって、引き留められる。……詳しい話は後ね。今はひとまずお会計を済ませることにする。


「ごちそうさまでした~!」


 そう言ったサクラさんが店から出て来たところで、私は改めて値段について聞いてみた。


「高くても1,500nくらいだと思っていたのだけど?」

「内訳は、ステーキが1,000n。サラダが2,600nでしたね」

「サラダ、たっかっ! ……でも、うん。ちゃんとメイドさんは言ってたもんね。エルラは食べ物の値段が高くなりやすい。特に今の時期、野菜は~って」


 そう言われて、私もようやく思い出す。外から来た私たちみたいな人は1日に6回食事をすることになる。だけど、国に入って来る食料も無限じゃない。しかも、今は作物が育ちにくい水の季節。新鮮な野菜は値段が高くなる。……いろんな事情が相まって、お肉よりも野菜の方がはるかに高級な食材になったのね。


「値段も確認せずに衝動のまま注文されるからです」


 メイドさんのお小言が、耳に痛い。だけど、後悔は無いわ。久しぶりに食べる野菜は、尋常じゃないくらい美味しかった。もし問題があるとすれば、日に6回も食事をするとなると食費がかさむということ。野菜を我慢したとしても、食事1回が800n前後だとして、1日の食費はほぼ確実に5,000n以上になる。何が嫌って、いつもよりも食べる量を減らしてそれだと言うこと。

 1日6回も食べられるのに、金銭的な面でそれが叶わない。だったら、私が取るべき選択肢なんて決まっているじゃない。


「……働きましょう、今すぐに」


 貯金は出来なくて良い。食べることを我慢している。そんな精神状態が続く方が、嫌だった。改めて思い知らされる。


「エルラ、恐ろしい場所だわ」


 だけど、少なくとも私には、早々にエルラを出ると言う選択肢は無い。だって、今エルラを出てしまえばエルラについてよく知らないのに、エルナを嫌いになってしまいそうだもの。少なくとも良い所と悪い所。その双方を知らないといけないわ。


 と意気込んでみたものの、時間感覚と言うのは本当に厄介なもので、次に私たちを混乱させたのは、眠気だった。それは、ちょうどデアが城塞と一緒に見えるようになった頃。つまり、夕方ね。いつもならここから夕食の準備をするのだけど、


「ね、眠いぃ……ぅ」


 一度宿に戻った私は猛烈な眠気に襲われていた。ソファに座りながら、メイドさんの肩を借りる。


「そっか。エルラに入って6時間。いつものわたし達の体感的には、そろそろ深夜なんだ」

「仰る通りです、サクラ様。今眠ると、体感で8時間後。実際の時刻では深夜にパッチリと目を覚ますことになるでしょうか」

「あ、頭がおかしくなりそうです……」


 そんな2人の会話も、わたしは夢うつつの状態で聞いている。メイドさん達が言っている意味は分からないけれど、体感として、別荘で夜更かしをしていた時と同じくらいの眠気があった。


「ポトトちゃんは……案外大丈夫そう?」

『クルッ♪』


 サクラさんがソファの前にある座卓の上で毛づくろいをしているポトトを眺めながら、言っている。その声に「うんっ!」と言うように羽を広げるポトト。もう、疲れは無さそうね。


「ポトトはデアの光に敏感と言われていますし、よく昼寝もしています。そのおかげで大丈夫なのでしょう」


 野生動物の勘ってやつかしら。うらやましいわ。

 ご飯を食べるお金を稼がないといけないのに、眠い。眠いのに、またお腹が空いて来た。でも、ご飯を食べるにはお金が必要で……。


「すぅ……すぅ……」

「あ、ひぃちゃんが落ちた」


 メイドさんとサクラさんの会話を子守唄に微睡まどろむ。


「サクラ様。いっそのこと、こうするのはどうでしょうか。12時間を1日として考えるのです」

「えと……、朝の1日と、夜の1日、みたいなことですか?」

「はい。深夜0時から正午までが、わたくしたちの感覚では24時間になるはずです」


 メイドさんが、肩にあった私の頭を膝の上に移動させてくれる。


「う~んと、いつもは8時くらいに起きるから、その半分……4時に起きて……やば、混乱する。ちょっと紙に書いても良いですか?」

「ええ、そうしましょう。こちらをお使いください」


 窓から差し込むデアの光が眩しい。メイドさんのお日様の匂いがする前掛けに顔をうずめる。


「初日は上手いこと調整しなくちゃとして、デアとナールの動きを無視するんですね。あくまでも自分たちの時間感覚に忠実に……?」

「はい。そうでなければ、町を出た時にまた苦労することになります。幸い、同じことを考える方が多いのでしょう。店やギルドの営業時間も工夫されているみたいなので――」


 早口で情報をまとめる声と、ご機嫌な歌を歌うポトトの鳴き声。いつの間にか私の体にかけられていた毛布を手繰り寄せる。心地よい温もりの中で、私は眠りに落ちた。

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