○カーファさん

 エルラに着いてから2日が経過した。体感では4日が経過したことになる。最初こそ混乱したけれど、半日を1日とするメイドさんたちが立てた『1日を半分こ作戦』で、どうにかエルラでの生活を送ることが出来るようになっていた。命名はサクラさん。すごく簡単に言ってしまえば、体感時間に逆らわない生活を送ると言うこと。深夜から始まる午前の1日と、昼の12時から始まる午後の1日。2日を本来の1日として過ごすと言う作戦だった。


「意図して、ゆっくり、歩く……はぁ……はぁ」


 深夜3時。煌々こうこうと光る魔石灯の明かりに照らされて、私はウルセウにいたときから愛用している肩掛けカバンをかけながら町を歩き回っていた。

 カバンの中には新聞の束が詰め込まれている。ギルドの依頼を受けた私は、担当区域の家々に新聞配達をしているのだった。


「ふぅ、ふぅ……。ダメね……」


 どれだけゆっくり歩くことを意識しても、息が上がってしまう。常に早歩きをしているのと同じだもの、当然よね。流れていく景色は速いはずなのに、全く違和感がない。だけど、足は確かに疲労していて、ステータス上の『体力』も少しずつ減っている。

 後頭部でまとめた髪も、いつもより激しく揺れている気がした。


「ふぅ……。これで29軒。依頼達成ね」


 どの民家の軒先にも基本的にある『受取箱』。手紙や新聞などの配達物を入れる箱の前で一息つく。歩き回った距離は4㎞くらい。普通なら1時間はかかるはずだけど……。試しに近くの広場に会った時計台を見ると、アクシア大陸時刻の3時40分を示していた。つまり、ゆっくり歩いたつもりでも、いつもより20分も早く移動していたということ。

 時計台の下にある花壇に腰掛けて、カバンの中から木製のコップを取り出す。


「【ウィル】」


 魔法でコップに水を張って、ゆっくりと飲んでいく。これまでもたくさん物を配達してきた。こうして休憩する時間の大切さは、身に染みているわ。

 息を整えながら見上げる空には、真ん丸なナールが銀色に輝いている。サクラさんの話では、デアの光を反射しているだけで、ナール自体が光っているわけじゃないみたい。夜空の向こうにあるらしい、広い宇宙のどこかにチキュウがある。空を突き破ったチキュウの人たちは、どれだけ進んだ知識と技術を持っているのかしら――。


『――アーズィを殺せ』


 唐突に聞こえた職業の声。体温が一気に上昇して、身体が動き出す。チキュウのことを考えている場合じゃない。そんなのは些末さまつなことで、気にする必要はない。私は死滅神わたしの使命を果たさないと。わずかな理性でコップをかばんにしまい込み、向かうべき場所に向けて、私は走る。一瞬で息が上がって、足が重くなる。


「でも、行かないと……」


 誰かの命をもてあそぶ者がいる。フォルテンシアの敵がいる。敵は、排除しなければならない。もう少し、あと少しで目的地。職業を果たすひとをころすことが出来る。そう思って、私が小道に続く角を曲がった時だった。

 唐突に、職業衝動の熱が冷めていく。興奮状態から一転、2月の涼しい夜の風が火照った身体に吹き付ける。と、私の鼻をついたのは濃密な鉄の匂い。久しぶりに嗅ぐけれど、忘れることの出来ない死を誘う香り。


「血の、匂いね」


 路地裏から漂って来る香りを感じながら、私は誘われるように匂いの発生源を目指す。すると、微かに2人分の声が聞こえて来た。


「おい、殺すことは無いだろ?!」

「馬鹿か? 人から物を強奪した挙句、殺すこと4回。死んでやり直した方が良いに決まってる」


 なるほど。衝動が消え去ったことから考えて、アーズィさんはもう殺されてしまったみたい。それでも私は、死体になったアーズィさんに確定的な死を施さないといけない。じゃないと、蘇生処置や不死者にされてしまう可能性もある。


「それはお前が決めることじゃない! 裁判所で……誰だ?!」


 糾弾していた方の男性が、路地裏に姿を見せた私に向けて聞いて来る。2人とも、全身を金属の鎧で覆っている。頭部も鎧に覆われていて、顔は判別できない。その手には1mぐらいの剣が握られていて、差し込んだナールの光を受けて鈍く光っていた。

 最初こそ剣を私に向けた2人だったけど、


「子供か? ……お嬢ちゃん、ここは危ないから離れなさい。と言うよりも、ご両親はどうした?」


 私を安心させるためでしょう。頭の鎧を取りながら、男性が顔を見せてくれる。年は40代くらいかしら。逆立つくらいの黒い髪にシュッとした顔立ちの、人間族の男性だった。

 私からアーズィさんの死体を隠すように立ちはだかった男性。恐らく、憲兵さんか衛兵さんでしょうね。


「私はスカーレット。あなた、名前はなんて言うのかしら?」

「俺か? 俺はテッドだが……」

「そう。テッドさん、背は低いけれど、私は子供じゃないわ。それと、そこにいるアーズィさんと言う人に用があるの。通してもらえない?」


 アーズィさんの名前を出した時に、テッドさんの顔が一瞬だけ強張った気がする。多分、どうして名前を知っているのか怪しんだのでしょう。そんな理由もあって、私のお願いにテッドさんは首を振って否を示す。……えっと、確かこういう時は。

 私はテッドさんに歩み寄って、鎧の胸元に顔を寄せる。そこからテッドさんを見上げると、サクラさん直伝の上目遣いの完成。〈魅了〉もあるし、「多分、ひぃちゃんなら押せば大体行ける!」とお墨付きをもらっている。あとは吐息を含ませながら、


「お願い?」

「ダメだ。俺は子供に興奮するような奴じゃない」

「……そう」


 瞬殺だった。おかしいわね、聞いていた話と違う。身を離す私の頭上で、テッドさんが溜息を吐いたことが分かる。


「と言うより万が一大人なら、今がどういう状況か分かるだろ? 帰った、帰った」

「そうはいかないの。私の職業ジョブにかけて、アーズィさんを完全に殺さないといけないから」

「ふざけるのも大概にしろよ? 最悪、近くの詰め所にある反省室で1日――」

「待て」


 呆れた目で私を見下ろしながら説教をするテッドさん。私の出を引いて詰め所に行こうとした彼の肩に手を置く人がいる。さっきテッドさんに怒られていたもう1人の衛兵さんだった。


「カーファ? どうした?」

「多分だが、そのお方から手を離した方が良い」

「お前、何を言ってるんだ?」


 カーファと呼ばれた男性も、頭の鎧を取る。手入れされていないあごひげに、額と眉間に深く刻まれたシワ。どこかだらしない印象を受けるけれど、言動には衛兵さんらしく芯が通っているようにも感じる。年は、テッドさんと同じで40代かしら。

 カーファと言う名前にもしかして、と目を向けた私に対して、


「挨拶が遅くなったな、あるじ


 そう言って片膝を立ててしゃがみこんだカーファさん。そして、空いていた私の左手を取るとそっと唇を寄せる。


「オレは“死滅神の従者”、カーファ。よろしくな」


 がさつそうな見た目に反して、驚くほど丁寧な対応をしてくれるカーファさん。それに面食らったのは、私だけじゃなかった。


「おい、カーファ、急に改まってどうした? らしくも無い」


 驚きを隠さない顔で、カーファさんを見つめるテッドさん。けれど、さすが、町の治安を守る衛兵さんと言うところかしら。


「待て。お前カーファの主ってことは――」


 膝をつくカーファさんと私とを交互に見るテッドさん。やがて、私がどのような存在なのかを理解したのでしょう。掴んでいた手をゆっくりと放す。


「――そうか。今代の死滅神は、この子なのか」

「な? 無礼を働いたらお前の可愛い妻と娘、家族もろとも殺されるかもしれないぞ」


 いやらしく笑ったカーファさんが、テッドさんを脅す。現実味のある冗談に、暗闇でもわかるほど顔を青くしたテッドさんが頭を下げてくる。


「し、死滅神様。ど、どうかお許し下さい……っ」

「そんなことするわけないじゃない。私も職業を名乗り忘れていたもの。お相子ってことでどうかしら?」


 そんな私の提案に、頭を下げたままコクコクと頷いたテッドさん。そんな同僚を、膝をついたまま、にやにやと見上げるカーファさん。フォルテンシアの敵を許さない姿勢は共感できるけれど、ろくな人物ではなさそうね。

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