○神々しいサクラさん

 鳥たちの声が聞こえる森の中。私とメイドさんが見つめる先に、ゆるく内向きに巻く癖の付いた茶色い髪を風に揺らす少女がいる。動きやすい白のTシャツに、折れ目が入った紺色のスカーレット。胸には薄い金属の鎧をつけていた。

 少女の左手には、少女の身の丈をはるかに超える大きな弓が握られている。あまりにも不釣り合いな大きさの弓。それでも、弓を握る少女の姿は自然と様になっていた。

 大きくて真ん丸な茶色い目をした少女の瞳は、ずっと先――大体30mくらいの場所にあった木の幹に向けられている。木には私が白い粉を固めた書く物――『白棒しろぼう』を使って書いた不格好な丸い円が書かれていて、それが的になっていた。


 冷たい風が、年中緑の葉をつけるドドの木から1枚の葉をさらう。と、弓を持って佇むだけだった少女が静かに動き始めた。足を肩幅くらいに広げ、横にして持っていた弓を斜めにし、ピンと張ったつるに矢のお尻を添える。矢を握る右手には皮製の手袋がされているのだけど、人差し指と中指、親指だけを守る不思議な形をしていた。


「いよいよ、でしょうか」

「ええ……」


 メイドさんの言葉に頷きながら、私は体が冷えないよう隣に居るポトトにくっつく。

 またしても吹いた冷たい風が、森の天井を覆う木の葉と少女の茶色い髪を揺らす。風が止んで、森に動物たちの声だけが残る頃。少女は斜めになっていた弓を縦にして、ゆっくりと頭上に掲げる。弓を持つ左手と、矢を持つ右手。両の手をゆっくりと下ろすと同時に、弓を引き絞って行く。そのかん、少女の鋭い視線は的から一切外れない。

 静けさの中に響くのは、ギリギリと弓がきしむ音。私は折れそうでハラハラするけれど、少女はそんな心配ないとばかりにさらに弓の位置を下にしながら、矢を引いていく。そうして、矢が彼女の目線と同じになったところで、弓を引く手を止めた。


「きれい……」


 弓を構える少女の姿に、自然と言葉が漏れる。弓の中心より低い位置で握られた左手。その左手と茶色い瞳、右手が地面と平行になっている。ただ弓を構えているだけなのに、弓を引く少女の姿、湾曲した弓、くの字に折れるつる。その全てが均整の取れた彫刻のように美しい。普段の彼女とは一転、近寄りがたい雰囲気には神聖さすらあって、思わず体が震える。同時に、少女が構えた瞬間に、森から動物たちの声も聞こえなくなった。まるで、森の生き物たちも彼女の姿におびえて、あるいは見惚れているみたい。

 生命溢れる森に不釣り合いな、静寂。森に生きる誰もが見守る中。力むでもなく、かといって力を抜くわけでもなく。ただただ自然に、少女は弓を握る右手を開いた。


 ――パァンッ


 静けさに落ちる、1つの音。それは目一杯引き絞られた弦が元に戻る時になった音だった。風1つない静けさに落ちた鋭い音は、目には見えな衝撃となって私の耳と心を打つ。それこそまるで、風が吹いたみたい。

次いで、


 ――ヒュゥン


 放たれた矢が力強く、気持ちよさそうに風を切る音が森の静けさを引き裂くように鳴り響く。主の意に沿って獲物を追う鳥の鳴き声のよう。迫力があって、だけど静か。

そうして音のない世界を泳いでいた矢の鳥が不意に。


 ――タァンッ


 気持ちのいい音を立てて、ドドの木に突き刺さる。その場所こそが、己の目指す場所だったと言わんばかりに鳴いた弓矢は、私が描いた円のちょうど真ん中に止まっていた。


 森が時を取り戻したかのように動き出す。音に驚いて飛び立つ鳥たち、なにごとかと尋ねるように上がる動物たちの鳴き声。彼らから時間を奪った茶色髪の少女は弓を放った姿勢のまま、ゆっくりと手を腰に当てて、なおも真剣な顔で的を見続ける。

そうして矢を放ってからたっぷりと10秒くらい経った後。的になっていた木に一礼をした彼女は、


「……ふぅ。どうだった、わたしのしゃ?!」


 いつもの笑顔で私たちに駆け寄って来る。もうそこには近寄りがたい少女の面影はなくて、人懐っこいサクラさんの姿がある。あのままどこかに行ってしまうんじゃないかと思っていた私は、静かに安堵の息を吐いた。


「とても。……いいえ、とっても、きれいだったわ!」

「そうですね。お嬢様の仰る通り、どこまでも洗練された静謐せいひつさがありました」

『クルゥッ! クルゥル ククル!』


 私、メイドさん、ポトトが素直な感想を口にする。賛辞の雨に、サクラさんも恥ずかしそうに笑いながら、だけど誇らしげに頬をかく。


「本当に、良い物を見せて頂きました。……っと。時間も良いので、この辺りで昼食にいたしましょう」


 そんなメイドさんの提案に頷いて、私たちの旅は昼休憩をすることにした。




 ポルタを後にした私たちは一路、南に向かって歩を進めていた。その途中、ちょうど私が初めて目覚めた森を通ることになる。休眠状態の私がどこから運ばれて、この森で目覚めたのか。その手掛かりを探すためにも探索してみようという話になった。

 そうして、私が目覚めた場所――芝の生えた森周辺部の空き地に着いた時、


「ちょっと弓、引いてみても良い?」


 昨晩完成したばかりのワキュウを手に、そんな提案がサクラさんからあった。弓を撃つことを、弓を引くと言うそうよ。

 ちょうど私もどうやって使うのか気になっていたし、知識に貪欲なメイドさんも乗り気だったから、サクラさんの言う『弓道キュウドウ』を見ていたのだった。

 今日の食事当番は私。調理を進めながらサクラさんと話す。


「サクラさんはキュウドウを始めてどれくらいなの?」

「中学からだから……5年くらい? はかまっていうのが格好良くて、着てみたかったんだ」


 キュウドウは本来、その袴と言う服を着て行なうみたいね。それにしても5年であれだけ美しい構えって出来るものなのかしら。

 メイドさんがポトトの世話をしてくれている姿を遠目に見ながら、麺を茹でる。今日はパスタを作る予定だった。と言うより、私が手軽に作ることが出来る料理がそれしかないのだけど。乾麺は保存が効いて、持ち運びにも便利だしね。


「こう、弓を引くだけなら簡単かなって。そしたら、筋トレとか走り込みとかあって、びっくりしたな~……」


 立てた膝に肘を乗せて、故郷であるチキュウでのことを懐かしむサクラさん。初めて森で会った時、イルガルル相手に時間を稼げていたのもそうしたトレーニング……日ごろから鍛えていたおかげだったのね。

 ぼんやりと青空を見上げているサクラさん。その姿が寂しそうに見えた私は、会話を続けることにする。


「ポルタはどうだった? 一応、私の故郷ふるさとなの」

「うん? 人も町もあったかくて、良いところだった。夜景もきれいでびっくりしたもん」


 ワキュウを造り終えてリーリュェさんの店を出ると、もうとっくに日が暮れていた。そうなると、表情を変えたポルタの町並みが自然と目に入る。魔石灯に照らされる鍛冶場。土造の壁に埋め込まれた色とりどりのケリア鉱石が、夜を照らす。その姿に目を輝かせてくれていたサクラさんを思い出す。

 意図した形では無かったけれど、驚いてくれたようで私も嬉しかった。


「いつか、ひぃちゃんにも東京の夜景、見て欲しいな~。夜でも夜じゃないみたいに明るいんだよ?」

「ふふっ。それは楽しみね」


 サクラさんがチキュウに戻れるとして、私も行くことが出来るのかしら。知らない惑星ほしの、知らない夜景。きっと私が知らない美味しい料理だってあるはずよね。夢みたいな話だけど、叶う日は来るといいな。

 互いに故郷の話をしながら、サクラさんと盛り上がっていると、


「楽しそうですね、お嬢様?」


 ポトトのお世話を終えたらしいメイドさんが話に入って来る。


「聞いて、メイドさん! ニホンには眠らない町、夜にならない町があるそうよ!」

「そうですか。それはよろしかったですね。――ところで、このお湯につかったままのパスタはいつまで茹でられるのでしょう?」

「あっ……」


 私の失敗は、プチプチ切れる柔らかいパスタの隠し味になったわ。

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