○テンゴクとジゴク

 サクラさんから聞いた話によると、チキュウでは死後の世界として『テンゴク』と『ジゴク』があるらしい。テンゴクが夢のような良い世界、地獄が悪夢のような悪い世界と言う私の認識が合っているんだったら。


 ――今の私はビュッフェと言う名のテンゴクから、ジゴクに飛び降りたようなものなんじゃないかしら。


「おぇぇぇ……」


 ビュッフェを堪能した夜。私は人生で初めて、トイレを使った。しかも、間違った使い方で。


「どうですか、お嬢様。調子に乗った挙句、ジェルにご飯をあげる気持ちは?」


 トイレに流した物の行き着く先に居る魔法生物の名前を挙げながら、メイドさんが溜息をついている。応えたいのだけど、今はそれどころじゃない。

 視界が、世界が回っている。見る物は2重3重にブレて見えるし、焦点も合わない。加えて、頭を中から殴られているような鈍い痛みが鳴り止まない。別荘で風邪をひいた時でも、ここまでは苦しくなかったのに。なんて思っていたら、また、体の奥から食べた物がせり上がって来る。……ダメ。吐くなんて、食べた物――命に対する冒涜ぼうとくで――。


「はい、ひぃちゃん。苦しくなる前に、吐いて~……」


 背中をさするサクラさんに促される形で、嘔吐おうとする。これで3度目。どれくらいトイレにこもっているか分からないけれど、もう日付をまたいだんじゃないかしら。

 私が深呼吸を繰り返して呼吸を整える横で、サクラさんがメイドさんに問う。


「……ひぃちゃんのこれ、大丈夫なんですか?」

「『体力』にさえ気を付けていれば、大丈夫でしょう。もしもの時はシュクルカを呼びます。……お嬢様、コップをお渡しするので、魔法で水を入れて飲んでください」


 揺れる視界に差し出されたコップを受け取り、【ウィル】で水を作って飲み干す。繰り返すこと5度。ようやく少しだけ、楽になって来る。寝間着が汚れるのも構わずに、タイル張りのトイレに座り込んだ。ぐったりする私をよそに、サクラさんとメイドさんの会話は続く。


「ただの食べ過ぎ、じゃないですよね? 塾の返り、たまにこんな感じのおじさん見たんですけど」

「いわゆる魔素に酔っている状態ですね。わたくしたちホムンクルスは食べた物すべてが魔素に代わります。ステータスで言うところの『スキルポイント』ですね」


 指を立ててクルクル回しながら、メイドさんの語りは続く。


「今回、お嬢様はろくにスキルポイントを使っていないのに大量のものを食べました。結果、体内に余剰な魔素が溜まって限界を超えた、というわけです」

「じゃあ、ひぃちゃんは今、酔ってるんですか?」

「はい♪ 恐らく、〈病気/中〉の状態が付記されている頃かと」


 まさかと思って〈ステータス〉を使ってみると、メイドさんの言う通り状態の欄に〈病気/中〉が付記されていた。内容は、10分ごとに体力が最大値の1割減っていくと言うもの。確認してみれば、体力が半分近く減っている。


「私、食べ過ぎで、死ぬのね」


 ……だけど、それなら本望だわ。ぐったりとトイレの壁に背を預けて、白い魔石灯を見上げる。


「いいえ、死なせません♪ お嬢様にはわたくしが殺すまで生きていてもらわないといけませんので」

「あはは、メイドさん。冗談にしては重いですよ~」


 いつもの調子で、サクラさんはメイドさんの言葉を冗談だと思っているみたい。だけど、サクラさん。今のメイドさんの言葉は多分、本気なの。


「これで分かったでしょう、レティ? 食べ過ぎ、飲み過ぎ、はしゃぎすぎは大抵、ろくなことになりません」

「魔素で酔う、なんて。教えてくれれば、良かったじゃない」

わたくしは2度も言いました。それを無視したのはあなたです。……反省しなさい」


 そうだったかしら? そうだったような気もする。料理に目がくらんでいて、食事中とその前後の記憶があいまいだわ。だとするなら、不確かな私の記憶よりも確かなメイドさんの記憶を信じるべきよね。


「ご、ごめんなさい……」


 私が忠告を無視したのなら、私が悪い。ちゃんと謝らないと。気持ち悪くなってしまうから頭は下げられないけれど、精一杯の誠意を込めて腕を組んで立つメイドさんを見上げる。


「相変わらずスパルタですね、メイドさん」

「心配しがいのない食いしん坊には、一度痛い目を見てもらわなければなりません。……まぁ、これでりたでしょう。部屋に戻りましょうか、お嬢様」


 メイドさんが私の背中と足に手を回して横抱きにする。安心するお日様のような匂いを嗅ぐと、途端に情けなさが押し寄せてくる。……私、何をしているのかしら。調子に乗った挙句、食べ物を粗末にして、サクラさんとメイドさんに迷惑をかけて。申し訳ないやら、恥ずかしいやらで心はめちゃくちゃ。痛みが治まった頭はほわほわして、思考もまとまらない。


「メイドさんも、サクラさんも、ごめんなさいぃ……ひぐっ」

「わ、いろんな酔い方があるって聞いたけど、ひぃちゃんは泣き上戸ってやつ? ……ちょっと、可愛いかも」

「はぁ……。あまりお嬢様を甘やかさないでくださいね、サクラ様」


 この後、リリフォンで造られたゼレアの花製ポーションを飲んで体力を回復した私は、ベッドで横になる。呼吸を整えるうち、気付けば意識を失っていた。


 迎えた翌朝。眠る前の醜態をぼんやりと思い出した私は、殻に籠って一生を過ごす『カイカムリ』よろしく、布団をかぶってもだえることになる。そんな私のふとんを取っ払って、


「おはようございます、お嬢様。朝もビュッフェ形式です。たぁんとお召し上がり下さいね♪」

「なっ?! い、言われなくても我慢するわ!」


 メイドさんの笑顔ったらもう、これ以上ないくらいに憎たらしい。……だけど。記憶は曖昧でも、迷惑をかけたのも、介抱してもらったのも事実でしょう。


「……昨日は、あ、ありがとう。助かったわ」

「んふ♪ お気になさらず。それがわたくしの務めですので♪」


 サクラさんにもお礼を言おうとしたのだけど、


「むにゃ……。ひぃちゃん、泣き過ぎぃ……」


 昨日、私のせいで夜更かしをしたせいかまだ眠っている。……おかしいわね。私、人生で1回しか泣いたことないはずなんだけど。もしかして布団に入る前に何かあった、の? 知りたいようで、知りたくないような気もする。

 朝食の時間は決まっているし、ちょうど起こすにはいい時間。


「サクラさん、起きて? それから、昨日はその、介抱してくれてあ、ありがと……」


 私はサクラさんの布団に潜り込んで、起こしてあげる。そのついでを装って、布団の中からサクラさんを見上げてお礼を言ってみる。

 そんな私を、寝ぼけた茶色い瞳を2度ほどしばたかせてから見たサクラさんは、


「……この~、い奴め~」


 寝癖の付いた髪を揺らして私を抱き締め、受け取ってくれたのだった。……ついでにこのまま2人で二度寝をしていたら、メイドさんに少し怒られたわ。人の体温って、どうしてこんなに心地よいのかしら。

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