○Side:S・S 別荘にて②

 「はぁ、はぁ……。ひぃちゃん……っ!」


 遅れて駆けつけたわたしが見たもの。それはヘズデッグに組み伏せられて動かないひぃちゃんの足と、ひぃちゃんに覆いかぶさったままもぞもぞと動くヘズデッグの姿。


「ひぃ、ちゃん?」


 わたしの問いかけに、ヘズデッグはもちろんひぃちゃんからも反応がない。べちゃべちゃと、液体が滴る音がする。ううん、これは多分、咀嚼音。水分を多く含んだものを食べる時の音。それこそ、肉食獣が生肉を食べる時の。


「いや……、嘘……っ」


 わたしの、せいだ。わたしが判断を、間違えたから。だからひぃちゃんが――、


「――」


 と、ひぃちゃんの声が聞こえた気がした。それで気づく。そう今わたしがするべきは絶望することじゃなくて、ヘズデッグを排除すること。その後はひぃちゃんを助け出して、メイドさんかアイリスさんに見せて……。この世界には聖女様もいるって聞いた。死んでさえいなければどんな傷も治す、そんな神聖な聖女様がこの世界のどこかに居る。

 だから今は――。


「ひぃちゃんから、離れろっ!」


 そこからわたしの記憶は曖昧だ。気づけばヘズデッグの死体が、仰向けで寝転がるひぃちゃんの横にある。ヘズデッグの背中には無数の剣で切りつけた傷と、大量の矢が刺さっていた。

 いつの間にか手に持っていた血まみれの剣を投げ捨てて、急いでひぃちゃんの所に駆けよって容体を確認する。


「ひぃちゃん、ひぃちゃん!」


 お気に入りのダサいTシャツを真っ赤な血で染めているひぃちゃん。目を閉じたまま、ピクリとも動かない。


 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう!


 涙で揺れる視界。今朝、一緒にご飯を食べて。おとといはこれまでにないくらい嬉しそうに、サプライズが成功したって喜んで。「今日は私のストール、着けてくれないの?」なんて面倒くさい彼女みたいな絡みをメイドさんにしてたのに。


「嘘……嘘だよ! いやぁ、ダメ……っ!」


 そうして四肢をついて泣きわめくことしかできないわたし。ふと、動く影が見える。悲鳴を聞いて別荘から飛んできたメイドさんとアイリスさんだ。……そうだ、2人なら! わたしじゃダメでも、2人ならひぃちゃんを助けられるかも!


「ど、どうしようメイドさん! アイリスさん! ひぃちゃんが、死んで、でも聖女様が――」

「落ち着いてください、サクラ様。……お嬢様はご無事です」


 泣きつく私の肩をそっと離して、メイドさんが落ち着いた声色で言う。


「でも血が! それに食べられて! わたしの、わたしのせいで……っ!」

「よく見てください、サクラちゃん。スカーレットちゃんに外傷はないですよ?」

「……うぇ?」


 アイリスさんに言われて恐る恐るひぃちゃんの身体を見る。確かに血まみれだけど、よく見たら傷1つない。


「でも、血が……」

「ヘズデッグのものでしょうね。サクラ様が血抜きをした際の」

「ち、血抜き? わたしが?」

「はい、お嬢様の〈即死〉で死んだヘズデッグを斬りつけたり、矢を撃ったりしていらしたので、ヘズデッグの体重を軽くしようと血を抜いていたのだと思っていたのですが、違ったのですか?」


 即死。そう聞いてようやく状況を理解する。襲い掛かって来たヘズデッグにひぃちゃんが死に物狂いでスキルを使用した。だけど突進の勢いは殺せないから、そのままヘズデッグに押し倒されて転倒。息苦しくて足掻いていたから、ヘズデッグが動いているように見えた。咀嚼そしゃく音に聞こえたあれは、よだれが垂れていた音だったんだ。

 結局、ひぃちゃんは窒息しかけて気を失って、今がある、と。


「よ、良かったぁ~……」


 無事だって分かった途端、腰が抜けてしまう。お尻と手で地熱の温もりを感じて改めてひぃちゃんを見てみれば、確かに胸が小さく上下している。改めて息を吐くわたしだったけど。


「結果的に、です。もしお嬢様がスキルを使わなければ、間違いなくお嬢様は死んでいました」

「押し倒された時に頭を打っていても、ですね。サクラちゃんが早くどかさなければ、息が出来なくてどのみちスカーレットちゃんは死んでいたでしょう」

「他にも、華奢きゃしゃなお嬢様です。ヘズデッグの巨体に完全にのしかかられていたなら、潰れて死んでいたかもしれません」


 メイドさんとアイリスさんが淡々と、ひぃちゃんが死にかけていた事実を語る。どれか1つでも間違っていたら、ひぃちゃんは死んでいた。私の背中に冷たいものが走る。


「ご、ごめんなさい……」

「サクラ様が謝ることではありません。どうせお嬢様が迂闊な行動をしたのでしょう」

「スカーレットちゃんも一応大人で、立派なDランク冒険者です。自身の行動の責任は、自分でとるべきですからね」


 服が汚れるのも構わずにひぃちゃんを抱え上げるメイドさんと、呼吸や身体の状態をつぶさに見るアイリスさん。どっちも突き放すような言い方なんだけど、その顔には明らかな安堵が浮かんでいる。2人とも肝を冷やしたに違いない。


「ひとまずわたくしは、お嬢様の体を拭き次第、寝室へ運びます」

「分かりました。……じゃあ、私とサクラちゃんでヘズデッグを解体しましょうか。しばらくお肉には困りませんね!」

「あ、あはは……」


 いつでもたくましいお姉ちゃん2人に、わたしも思わず苦笑してしまう。熊肉。日本で食べるっけ?


「そう言えば、ポトトちゃんは……」


 そう思って背後を見てみるけど、誰も居ない。もしかしたらと思ってどうにか立ち上がったわたしはヘズデッグと会った場所に行く。すると、


「ポトトちゃん……」


 突進を避けた姿勢のまま、白目を剥いて気絶していた。……うん、無事で良かった。


――本当に、ひぃちゃんもポトトちゃんも、無事で、良かった……っ。


 安心したら急に目頭が熱くなる。そうして自然とあふれた涙は、どうしてだか全然止まらなかった。




名前:センボンギサクラ

種族:人間(チキュウ) lv.12  職業:―

体力:309/415(+10)  スキルポイント:39/142(+2)

筋力:68(+1)  敏捷:65(+1)  器用:81(+2)

知力:89(+3)  魔力:72(+2)  幸運:12(+1)

スキル:〈ステータス〉〈環境適応〉〈加護〉〈調理〉〈弓術〉〈剣術〉〈空間把握〉

状態:〈怪我/小〉

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