○大好きなあなたへ

 サクラさん自身も言語化できない内面を言葉にしたのは、王女として、ギルド職員として、多くの人々を――心を――見て来たアイリスさんだった。


「今日に向けて頑張ってきた自分自身から逃げないで欲しい。サクラちゃんはそう言いたいんだと思います」

「そう、それです! それですよ、アイリスさん!」


 ザバァッっと湯船から立ち上がって、アイリスさんを見るサクラさん。置いてけぼりを食らっている私に、アイリスさんが優しい口調で問いかける。


「風邪を引いても。メイドさんと喧嘩けんかをしても。それでもスカーレットちゃんが一生懸命にストールを作ってきたのは、どうしてですか?」

「それは、今日、メイドさんに渡すためだけど……。でも――」


 言い募ろうとする私を、アイリスさんが首を横に振るだけで黙らせる。


「もし今日渡さなければ、その努力の意味が変わってしまうと、私は思います」

「……どういうこと?」


 疑問を口にする私に対して、両手ですくい上げた水を眺めながらアイリスさんは語る。


「スカーレットちゃんがこの日が良いと、“特別”だと決めた日に渡す贈り物と、何でもない日に渡す贈り物。どちらの方が、スカーレットちゃんの想いが伝わるのか。私は明白だと思いますよ?」


 青く美しい瞳を細め、大人びた笑みを浮かべたアイリスさん。そして、


「大丈夫、大丈夫ですよ、スカーレットちゃん。贈り物に何より大切なのは気持ちです。いつものスカーレットちゃんみたいにまっすぐ想いを伝えれば、きっとメイドさんも喜んでくれます」


 抱きしめるでもなく、諭すでもなく。ただ私の横に居て、支えてくれるアイリスさん。対照的に、


「そうだよ、ひぃちゃん!」


 真正面から抱きしめてきたのはサクラさん。


「あんなに頑張ったひぃちゃんからのプレゼントだもん。メイドさんが喜ばないわけないよ!」

「そ、そうかしら? あとサクラさん、ちょっと苦しいわ……」


 背中を叩いて、息苦しいことを伝える。だけど、サクラさんはなかなか解放してくれない。


「むしろ喜ばなかったら、わたしとアイリスさんでメイドさんに決闘を申し込む! で、負ける!」

「負けるのね……。それに2対1は決闘じゃないんじゃ……。というより、本気で苦しい」

「あ、ごめんね」


 ようやくサクラさんの柔らかい身体から解放されて、自由に息が出来るようになる。再び湯船に身を浸したサクラさんは可愛らしい咳払いを1つ入れて私に向き直る。


「こほん、とにかく! こんな所でウジウジしてるなんてひぃちゃんらしくないよ。だってひぃちゃんはみんなから尊敬される死滅神になりたいんでしょ?」


 そのサクラさんの言葉に、私は気付かされる。言われてみればそうだったわ。贈り物1つで尻込みするなんて、格好悪いじゃない。そんなしめつしんを誰が認めてくれると言うの?

 それに、アイリスさんの言う通り、大切なのは私の気持ち。私が本当にメイドさんに贈りたかったものは『感謝の気持ち』だったはずよ。


「……そう、よね。メイドさんには日ごろの私の感謝の気持ち、存分に味わってもらわないと!」

「その意気だよ、ひぃちゃん!」

「頑張ってね、スカーレットちゃん!」


 勢いよく風呂から上がった私は脱衣所で体を拭いて……髪を乾かすのは後ね。今はサクラさんとアイリスさんがくれた勢いも利用しないと。

 脱衣所から続く木製の扉を開けてリビングへ。


「お嬢様? どちらへ――」


 そんなメイドさんの言葉を無視して、私は寝室へと向かう。そして枕の下に隠していたストールを後ろ手に持って、いざリビングへ舞い戻る。本当に喜んでくれる? 想いを伝えるだけでいいの? 階段を下りるたびに何度も湧いてくる不安。


『クル?』


 と、絨毯の上でうたた寝していたポトトと目が合った。誰も見ていなければ、ひょっとするとまた、逃げていたかもしれない。私はまだ、そんなに強い心を持っていないと思う。


 ――だけど、死滅神としての私を誰か1人でも見てくれているのなら。


「ポトト、私の勇気、見届けてね」

『……クルッ!』


 何かを察してくれたみたいで、目つき鋭く私を見送ってくれる。そして、


「先ほどからどうされたのですか、お嬢様。髪も乾かさず……。また風邪を引いてしまいますよ? 仕方ないですね、わたくしが手伝いますので――」

「メイドさん、大切な話があるの」


 指を立てて小言を並べる彼女の言葉を遮って、想いを伝える準備をする。察しの良いメイドさん。すぐに表情を引き締めて、私の言葉を待ってくれる。


「あの、その、ね? いつもメイドさんにはお世話になっているから、だから……これっ! 受け取って、欲しいのだけど……」


 精一杯の勇気を振り絞って、目一杯の感謝を込めて。私は積もり積もったありがとうの気持ちを、大好きな人に言葉と形で伝える。ちょっとだけぶっきらぼうな言い方になったのは、許してほしいわ。

 胸元で握りしめた左手が痛い。メイドさんに差し出したストールを持つ右手を今すぐ引きたい。……だけど、もう私は逃げない。メイドさんから目を逸らさない。

 そうして差し出されたストールと私を順に見たメイドさん。その顔は分かり辛いけれど、驚いているようにも見える。

 やがて、小さく息を吐いたメイドさんはゆっくりと目を閉じて、微笑んだ。そのまま私の右手にある白いストールを受け取ってくれる。


「なるほど、サクラ様、アイリス様と何をしているのかと思えば、そういうことでしたか」


 ここ最近の私たちの不審な行動に、ようやく納得がいった。そのことに心底、安心しているように見える。やっぱりメイドさんは私と同じで、寂しがり屋なのかも。この前の暴走も、疎外感から来る焦りだったと考えるとピッタリじゃない?

 出来栄えを確かめるように白いストールを広げ、眺めているメイドさん。顔を近づけている場所は、少し縫い目が雑になってしまっている箇所。……やっぱり、もう少しいいものを渡すべきだったかしら。


「い、要らないのなら、また新しいものを作るわ。これ実は少し失敗したところもあって――」


 なんだか泣きそうな気持になりながら、私はメイドさんからストールをひったくろうとする。だけど、


「んふ♪ まさか」


 短く言ったメイドさんが避けたことで、私の腕は空を切ることになった。ちょっとムキになって、再度ストールを奪おうとメイドさんを見上げた時、その首元には半分に折った白いストールが巻かれている。

 驚きで言葉を紡げずにいる私に対して、ストールに顔をうずめたメイドさんは一言。


「大切に使わせて頂きます」


 そう言って、翡翠色の瞳を細めて笑う。ストールのせいで彼女の顔は半分ほどしか見えていないけれど。室内で温かい格好をしているせいか、その耳は赤く染まっている。


「そう。それなら、良かったわ」


 一方で私は恥ずかしさと、それ以上の嬉しさで全身が熱くなる。顔なんか火を噴きそう。気づけば全身に変な汗をかいているし……。


「もう一度、お風呂に入らないとね。……くちゅんっ」

「髪を乾かすことをおこたるからです。またお嬢様が風邪を引いてしまう前に、もう一度お風呂に入って来てください」

「そうね。だけど、メイドさん。あなたも一緒よ? 長湯のサクラさん達もまだ入っているはずだし、4人で入りましょう?」

「……仰せのままに♪」


 今日は12月の25日。フォルテンシアでは何でもない日。だけど、私たちにとっては何よりも特別な日になった。

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