○風邪が運ぶ記憶

 頭が痛い。喉が痛い。「けほっ」と乾いた咳が出る。もしかしなくても。そう思ってステータスを見てみれば、状態の欄に「〈病/小〉」が書かれている。内容は、1時間ごとに体力が最大値の1割分減少していく、というものだった。


「おでこ、失礼しますねー……」


 ベッドに寝転ぶ私にそう言って顔を寄せてくるのは同室のアイリスさん。フワッとしたサクラさんの毛と違って、まっすぐに伸びたアイリスさんの金髪が、私の頬を撫でる。

 息がかかるほどの至近距離で、青い瞳と見つめ合うこと数秒。ひんやりと気持ち良かったアイリスさんのおでこが離れていく。


「はい。間違いなく風邪ですね。寒空の下ポトトに乗っていただけなので、身体が冷えてしまったのかも知れません」

「けほっ。うぅ……情けないわ……」


 乗鳥の練習をした翌朝。私はあっさりと風邪を引いてしまったみたい。油断していたわ……。

 ホムンクルスは歪な生まれ方をするせいか、病気にかかりやすいと言われている。ここまで私が一度も病気にかからなかったのは、メイドさんの手厚い支援があったからだと痛感させられるわね。


「ひとまず今日は安静にしておきましょう。ここで待っててくださいね。朝食を持ってきます」

「あ、ありがとう、アイリスさん……けほっ」


 1人寝室に取り残される私。頭がうまく回らない。こんな状態じゃ、書斎に行っても意味がないでしょうね……。体は熱いのに、なぜか身体は震えている。服もシーツも、汗でびっしょりだった。

 枕元には、昨日遅くまで編んでいたストールがある。ここまで順調に進んでいて、どうにかクリスマスには間に合うだろうとアイリスさんとは話していた。


「て、手を止めるわけには、いかないわ」


 ここで作業の手を止めては、間に合わない恐れが出てくる。編むときに使う先端が曲がった棒を枕の下から取り出して、毛糸を取り出して、それから輪っかに毛糸を通して……。


「はぁ……はぁ……」


 心臓が脈打つたびに視界がかすむし、震えで指先も安定しないけれど、だけど、でも、


「メイドさんの、ために、頑張らない、と……」


 あれ。おかしいわね。体から力が抜けて……。




 夢を見ていた。きっと私の素体になった、誰かの夢。

 見上げるような天井。等間隔に並ぶ柱。私のいる場所は一段高くなっていて、入り口の扉に向けて黒い絨毯が敷かれている。絨毯の両脇には長椅子が並んでいて、休日になれば信者たちがよく私に会いに来てくれた。

 ここは死滅神の神殿。ハリッサ大陸の北部にある、総本山。壁には色とりどりに着色されたケリア鉱石がはめられていて、光が差し込むと美しい模様を写す。と、控室に続く扉が開いて、1人の少女が姿を見せる。


「ご、ご主人様。料理が出来ました」


 宝石のように美しい透き通った緑色の瞳をさまよわせ、緊張した様子で私に言って来る。緊張を解いてあげようと、目の前で怯える少女の髪を撫でてあげる。最初はびくりと身を強張こわばらせていた少女もすぐに目を細め、されるがままになっていた。

 さわり心地のいいサラサラの髪は、デアの光でより一層美しく輝く白金色。彼女は私とシンジが丁寧に愛情をこめて造り上げた人工生命体。名前は――。


「そうか、ありがとうメイドさん」

「あ、えっと、いいえ! これがわたしの……わたくしの役目ですので!」


 私のような特別な職業以外であれば、生誕神の力を借りて白紙の〈ステータス〉に職業を与えることが出来る。ひとまず彼女には“死滅神の従者”を与えて、私のそばで死滅神の仕事を知ってもらうことにした。来るべき日が来た時、私のように右も左も分からない状態で死滅神にならないように。


「ご、ご主人様? どうかした……されましたか?」


 私がずっと頭を撫でていたことを不思議そうにするメイドさんが上目遣いで尋ねてくる。一生懸命に口調を丁寧にする姿が愛おしい。


「いいや、何でもない。朝ご飯にしようか。今日は何を焦がしたんだい?」


 先ほどから漂って来る焦げ臭さに言及すると、途端にメイドさんがシュンと項垂れる。そもそも最初、びくびくとした様子で姿を見せたのも、料理を失敗したことに引け目があったからだろう。


「あぅ……。その、召喚者様……シンジ様に習った目玉焼きに挑戦したのですが……。すみません……」

「大丈夫だよ。失敗しても、最後に成功すれば良い。挑戦しない方がよっぽど、良くないことだ」

「は、はい! 次はっ。次こそは上手に作ってみせます!」


 尽くそうとしてくれるのはホムンクルスとしての本能か、それともメイドさん自身の気質か。無理をしなければいいのだが。私とシンジの可愛い子供なのだから。


「食材を無駄にするわけにもいかないし、何よりもメイドさんが頑張って作ってくれたんだ。ありがたく頂こうか」


 良く沈む椅子から立ち上った私はメイドさんの手を取って、控室へと向かう。


「そうだ。メイドさん、お友達は欲しいかい?」

「お友達、ですか? いいえ、わたくしにはご主人様だけで十分ですっ」


 屈託なく笑って言うメイドさんが私の腕に飛びついてくる。私への敬愛が大きいのはありがたいことだが、情操教育としては良ろしくない。ちょうど実験も兼ねて、彼女以外にももう2人、ホムンクルスの準備を始めている。3人で仲良く親交を深めてもらいながら、死滅神に最も大切な“心”を養ってもらう。そして、いずれは3人の誰かに――。




 「……ちゃん! ひぃちゃん!」


 私を呼ぶ誰かの声で目が覚めた。そこに居たのは、必死に私を呼ぶサクラさん。


「大丈夫、ひぃちゃん?!」

「んぅ……? サクラ、さん? メイドさんは?」

「あはは……メイドさんじゃなくて、ごめんね? これ、お水。それから、朝……というよりはお昼ご飯のおかゆ。何か食べないと、抵抗力上がらないしね」


 サクラさんの手を借りながら起き上がって、ふやかしたスッラと出汁の効いた『おかゆ』を頂く。


「うなされてたけど、大丈夫?」

「……うなされていた? 私が?」


 背中の汗を拭きながら聞いて来たサクラさんの問いに、私は首をかしげる。何か夢を見ていたような気もするけれど、思い出せない。


「覚えてないわ……」

「そう? まあ、悪夢だろうから思い出さない方がいっか」


 サラっと食べ終わったお皿をサイドテーブルにおいて、服を着替える。着替えを済ませると無理矢理寝かされて、布団で押さえつけられた。


「それじゃあわたしは行くね。良い? 絶対に無理しないで、静かに寝ててね。風邪を早く治すことが全部の近道なんだから」

「わ、分かったわ」


 いつになく強い口調で言われては、私も頷かざるを得ない。……のだけど。私の頭をひと撫でして、ベッドから立ち上ろうとするサクラさんの腕を掴む。


「……ひぃちゃん? まだ何かあった?」

「――て」

「何?」


 顔を寄せて聞き返してくるサクラさんに、少しだけ布団から顔を出してお願いする。


「いっしょにいて?」

「うわぁっ、のひぃちゃんだ! 破壊力……っ。メイドさんじゃなくて、わたしで良いの?」


 ぼうっとする頭。自分も、サクラさんも何を言っているのか分からないけれど。


「サクラさんがいいの……」

「はっ?! これが、母性……ううん、姉性?! いいでしょうとも! サクラお姉ちゃんがずっと一緒に居てあげる!」


 布団に入って私を抱きしめてくれるサクラさんの柔らかさとひんやりさを堪能しながら、私はもう一度眠りに落ちた。

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