○青竜がやって来た

 夕方。事務を終えて談話室に姿を現したアイリスさんと一緒に、お茶会を楽しむ。


「アイリスさんは死滅神のシンゼンタイシとして会いに来てくれたのね」

「はい! お父様がスカーレットちゃんと仲良くして来いって言ってくれたんです。あ、親善大使はこう書くんですよ」


 メイドさんが淹れてくれた紅茶とケーキを頬張りながら、和気あいあいと話していた時だった。

 控えめなノックが聞こえて来る。食事の手を止めたアイリスさんの了承の声とともに、艦内へと続く扉が開かれ、船員さんと思われる1人の男性が姿を見せた。

 そう言えば、だけど。この船で船員の人を見ることは基本的に無い。ゲストの動線と船員の動線。それぞれが独立した特別な造りになっているらしい。だから、姿を見せた森人もりひと族の男性――船長さんを見るのはこれが初めてだった。

 森人族は色白で、とがった耳が特徴的な人族ね。部族単位で閉鎖的な社会を作ることが多いと聞くけれど、彼――ハルトさんは違うみたい。帽子をとってうやうやしくお辞儀をしたハルトさん。2mはありそうな高身長だと、船の天井が窮屈そうだった。

 紅茶を飲む手を止めて、アイリスさんが船長さんに目を向ける。


「どうかしましたか、ハルト?」

「アイリス様。……これから少し、船が揺れるかと思います。また、お手数ですが〈防衛〉にて船体の保護をお願いしたく」

「分かりました。ここに居る方々は頼りになります。何があったのか、説明してください」


 乗客かつ賓客扱いの私たちをおもんぱかって詳細を伏せたハルトさんに対して、アイリスさんが杞憂きゆうだと伝える。その言に短く返事をしたハルトさんは、


「ハッ! 青竜せいりゅうが2体、飛来しております」


 そう、ソファでくつろぐ私たちに、簡潔に事態を説明してくれた。


「そうですか。〈防衛〉の方はわたくしに任せて、あとの対処はお任せします。報告、ありがとうございました」


 アイリスさんの言葉で、ハルトさんは艦内へと引き返して行く。扉が閉まる音がした後、静かな間だけが残された。


「ごめんなさい、皆さん。少し、騒がしかったですね」


 悠然と微笑んで、もう一度紅茶の入ったカップを傾けるアイリスさん。いつも思うけれど、洗練されたその所作はいつまでも見ていられる。ある種の芸術のようね――。


「……って、大丈夫なの?! 青竜って、あの青竜よね?!」


 さすがに黙っていられず、私は座っていたソファから立ち上がる。その際、机の下、わたしの足元でうたた寝していたポトトを起こしてしまった。ごめんなさい、ポトト。だけど、緊急事態よ。

 青竜。ウルで出会った赤竜と同じ、竜種。赤竜が熱い地域を好むのに対して、青竜は寒冷地帯に住む。彼らが吐き出す〈ブレス〉も、火炎と氷雪でそれぞれ違う傾向があった。他にも身体の大きさや造りも違うけれど、共通しているのは凄く厄介な相手だということ。

 ウルセウで赤竜の恐ろしさを身をもって知った私。事の重大さがよく分かっていた。


「そ、それにここは空の上。もし墜落したら……」

「お嬢様、はしたないですよ。座ってください」


 もし青竜の〈ブレス〉を食らおうものなら、この小さな飛空艇はひとたまりもないはず。すぐ近くに迫る危機に顔を青くする私に、メイドさんからいさめる声がかかる。アイリスさんと言い、メイドさんと言い、落ち着き過ぎじゃない?!

 一応、ソファに座り直した私の服の裾を引っ張る人物が居る。私の右隣に座るサクラさんだった。ついでにアイリスさんは左に座っていて、メイドさんはサクラさんの右隣に居た。


「ひぃちゃん、セイリュウって何?」

「竜よ、竜。青い竜。翼の生えた大きなトカゲ、みたいなものね」


 一度紅茶を口に含んで気持ちを落ち着ける私の説明に、大きな茶色い目をぱちくりさせるサクラさん。


「りゅう……大きいトカゲ。竜? ……あ、ドラゴン! って、ドラゴン?!」

「サクラ様も。座ってください」


 今度はサクラさんがソファから立ち上がる。そう! これが普通の反応のはず!

 メイドさんの諫言かんげんで、サクラさんもあわててソファに座り直す。


「え、大丈夫なんですか?」


 サクラさんの問いかけは、ケーキに手を伸ばしていたアイリスさんに向けたもの。今日のお菓子は私とサクラさんが飾り付けを手伝った、クリームの乗ったカップケーキだった。

 小さな口でケーキを頬張るアイリスさん。「美味しい!」と笑う顔と揺れる金髪がとってもきれい。口の中のものを飲み込んで、唇をぺろりと舐めたアイリスさんがようやく口を開く。


「大丈夫です! でなければ、サクラちゃんを含めた皆さんをミュゼアには乗せません」

「そうは言うけれど、アイリスさん。どうしてそう言い切れるの?」

「うふふ、スカーレットちゃん。それを聞きますか? 忘れているかもしれませんが私……じゃなかった。わたくしはアイリス・ミュゼア・ウル――」


 胸に手を当てて、茶目っ気と気品とを兼ね備えた笑顔で笑うアイリスさん。彼女は続けて、言った。


「――貿易都市ウル王国の、王女なんです!」


 またしても静けさだけが響く。


「ええ、知っているわ。第2王女様よね。ついでに、ウルのギルド職員さんってことも」

「あれ、びっくりするぐらい反応が薄い……? まあ、いいでしょう。つまり、大丈夫だということです」


 ……本当に、どういうことかしら。そう言えば、船長のハルトさんと話すときにスキルの話をしていたような気がする。


「もしかして、〈防衛〉のスキルが鍵なの?」

「はい! この船がわたしの所属するウル王国の所有物であり、そこにウルの国旗さえ描かれていれば。“王女”である私のスキルで守ることが出来るんです!」


 難しいことは分からないけれど、アイリスさんの職業ジョブに紐ついたスキルが船を守ってくれるということ。しかも、青竜の強力な〈ブレス〉を相手にしても大丈夫なほど、強力な守りで。


「すごい……。すごいわ、アイリスさん!」

「うふふ、大切な友達を乗せるんですから、当然です! もちろん、飛行空域に青竜が出ることも知っていました。ギルド職員たるもの、下調べも完璧にこなせてこそですからね」


 ギルド職員としてのアイリスさんの凄さは知っていたけれど、本職“王女”としてのアイリスさんの凄さを垣間見ることが出来た気がするわ。

 アイリスさんの言っていた通り、しばらくすると根負けした青竜たちが去って行ったとハルトさんから連絡があった。一時はどうなることかと思ったけれど、こうして無事、青竜の襲撃を退けたのだった。

 それにしても、飛空艇はただ空を飛べるだけじゃダメなのね。今は船員さんがやってくれているから忘れそうになるけれど、見張り、速度と高度の調節、時に空飛ぶ襲撃者の撃退。その全てを寝ずに交代で行わなければならない。

 陸路を行く鳥車の旅よりも、やることはずっと多そう。便利なことには違いないけれど、思い描いていた空の旅は、思った以上に過酷だと言うことが分かった。……船員さんには頭が上がらないわね。今度、お菓子でも差し入れましょう。

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