○旅を続ける理由――

 途中、魔石の補給を済ませて船に揺られること、4日。山々を見下ろしていた飛空艇は高度を下げて、今は地上1,000m付近を航行していた。

 明け方。ポトトが鳴くよりもほんの少し早い時間。


「お嬢様。起きてください」

「んぅ……。あと30分ぅ……」

「それは1時間前にも聞きました。それより、日の出を見るのではなかったのですか?」

「ゅ? むぅぅぅ……」


 そうだったかしら……? 昨日、そんなことを言った気もする……。だけど、眠い。もう一度温かいふとんに引きこもろうとした私の布団を剥ぎ取って、メイドさん体をまさぐってくる。


「はい、前失礼しますね。手を挙げて下さい。胸当てブラはどうされますか?」

「ぅぅぅ……。くるしいから、いらないぃ……」

「かしこまりました。――はい、腰を上げて下さいね。ストッキングは厚手のものにしましょうね」

「そうする、わ……すぅ、すぅ」


 そうして深い眠りへ――。


「起きなさい。えいっ」

「んあっ! ちょ、メイドさん?! どこ触って」


 そう言って体を見てみると、いつの間にか着替えを済ませている。いつの間に着替えたのかしら。私はメイドさんに言われるがまま階段を下り、談話室の扉を開く。朝の挨拶をする相手は、いない。


「こちら、コートと手袋です。わたくしはサクラ様の様子を見に行って参りますので、お先に外の景色を堪能なさってください」

「くわぁ……。わかったわ」


 頭巾……フード付きのコートを着て、分厚い手袋とブーツを履く。まだまだ残る眠気と戦いながら、談話室から甲板へと続く扉を開く。途端に、肌を刺すような冷たい風と、どこまでも透き通ったような空気が私を迎えた。


「きゃぁっ!」


 激しくなびく私の黒髪。鼓膜を打つ風切り音。かすみがかっていた思考が瞬く間に晴れていく。な、何が起きたの?

 思わず閉じてしまった目を開く。そこには青白い光で照らしだされた銀世界があった。


「なに、これ……?」


 導かれるように甲板の先端へと足を進める。遮るものが無くなった視界には、遠く山の稜線りょうせんと、どこまでも続く森林が見えた。今は12月の7日目。普段は緑色だろう景色も、真っ白な雪の衣装をまとっている。ところどころにある湖がデアの光をキラキラと反射していて、目を凝らせば水を飲みに来たらしい動物たちの姿も見えた。

 いつの間にか脱げていたフードも気にならないくらいの雄大な自然が、命が、そこにはあった。


「わぁ……」


 思わずこぼれた溜息が白い塊になって、後方に流れていく。この森のどこかに、前任の死滅神が使っていた別荘があるらしい。


「良い景色ね。これを絶景と呼ぶんだわ……」


 落ちないように気を付けながら船から身を乗り出して、隅々まで自然を堪能する。少しして、甲板にもう1人出てくる。私と同じで着こんでシルエットが丸くなったサクラさんだった。彼女は自分の髪色と似た、深い茶色のコートを着ている。


「わ~! 絶景だね、ひぃちゃん!」


 フードを片手で押さえながら、船首付近にいるわたしの所まで歩いてくる。そこからは黙って2人並んで朝焼けの景色を堪能する。と、正面。東側の空が赤く染まってきた。本格的な日の出の時間ね。

 薄暗く、青っぽい光を返していた雪が一転。デアの光を映しだしていく。これからまた新しい1日が始まることを、世界に教える。時を同じくして、


『クックルー!!!』


 元気一杯のポトトの「おはよう」が聞こえて来た。


「おはよう、サクラさん」

「うん、おはよう、ひぃちゃん。今日も良い日になるといいね!」


 私がこの世界に来て初めて見る日の出は、もうこれ以上ないってくらい美しいものだった。


「スカーレットちゃん、サクラちゃんも! 落ちないでくださいねー!」


 背後。談話室の扉を握りながらアイリスさんが叫んでいる。さすがに心配し過ぎね。私もサクラさんも、立派な大人なのに。だけど、心配してくれることは嬉しいし、ありがたいことだと思う。


「大丈夫よ、ありがとう!」


 振り返った私は大きく手を振って、アイリスさんに大丈夫であることを伝える。アイリスさんは私と、その後にサクラさんを見て、頷く。サクラさんが手を振り返したのを確認すると、安心したような笑顔を見せて談話室の扉を閉めた。……私にサクラさんを任せたってことでいいのよね。姉だもの。

 落ちないように、隣に居るサクラさんと手をつなぐ。と、私を見たサクラさんもぎゅっと手を握り返してくれた。


「日本だと、初日の出っていうのがあるんだ~。フォルテンシアにもある?」

「初日の出……。1月の1日目の日の出、かしら?」

「そうそう。じゃあお正月もありそうだね。初詣は、神社が無いから無いかな? そう言う意味だと、クリスマスも無いかぁ~」

「クリスマス? ハツモウデ? それって――」


 そう言って遠くの方を見たサクラさん。弾んだ声とは裏腹に、その表情はなんだか……寂しそう?


「どうかしたの、サクラさん? なんだか、泣きそうな顔しているわ……」

「え? そうかな~? そんなことないと思うけど」


 首にかかるぐらいまでに伸びた茶色い髪が風に揺れている。どう声をかけていいか分からないままサクラさんを見上げていると、根負けしたようにサクラさんが言葉を漏らした。


「まぁ、あれだよ。少し日本のこと、思い出しちゃっただけ。毎年、クリスマスと初詣はしずく……友達と一緒だったな~って」


 昇って行くデアを眩しそうに見ながらつぶやいたサクラさん。何もない状態から始まった私の生活とは違って、サクラさんにはチキュウで積み上げてきたものがあった。それを捨てて……いいえ、奪われて。今こうしてここに居るんだもの。


「そう……。その、ごめんなさい。フォルテンシアに来させてしまって」

「あはは。ひぃちゃんが謝ることじゃないよ。それに、フォルテンシアでの生活も楽しいしね」


 ひぃちゃん達のおかげで。そう言ってくれるサクラさん。こんな優しい人を勝手にフォルテンシアに召喚して、霧深いフェイリエントの森に放っぽりだした人が、必ずどこかに居る。いつか絶対に見つけ出して、謝ってもらわないと。それからもう1つ。

 私は隣に居たサクラさんの手を両手で包み込んで、互いに向き合う姿勢になる。どうしたのかと私を見下ろす茶色い瞳に、誓う。


「絶対に、ニホンに帰る方法を見つけましょう」


 そう言って分厚い手袋をしたまま、サクラさんの手をぎゅっと握る。パチパチと大きな目で瞬きをしたサクラさん。朝焼けが私とサクラさんを橙色だいだいいろに染める。

 やがて、私の手を握り返してくれたサクラさん。空いたもう片方の手を渡しに向けて伸ばしたかと思うと、


「うん! でも、急がなくていいよ? ひぃちゃん、すぐに無理するから。ひぃちゃんに何かある方が、わたしは悲しいもん」


 そう言って優しく頭を撫でてくれる。


「サクラさん……っ」


 私に何が出来るか分からない。でも、大好きな友人のために。立派な死滅神を目指すという私の旅の理由に、召喚者をチキュウに帰す方法を探すことが増える。


「そろそろ戻ろっか。お腹すいちゃった」

「そうね。今日はアイリスさんが作ってくれるそうよ? きっとおいしいに違いないわ」


 2人手をつないで、朝日を背中に浴びながら。私たちは船内へと引き返した。

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