○とびます!

 ケーナさんの屋敷の地下にある研究所を脱出した直後。私を職業衝動が襲った。その内容は、


『イチを殺せ』


 というものだった。


「イチさんを、殺せ……?」


 全身を血が巡り、体が熱くなる。イチさんを殺す。ただそのことだけで頭が一杯になる。


「お嬢様? その目は……。なるほど、使命を果たす時ですね?」


 すぐに私の変化を察したメイドさんが張り詰めた声で言って、周囲へと視線を配る。彼女の言う通り、私はイチさんを殺さなければならない。今にも身体は、イチさんがいる場所、屋敷の地下室へと向かおうとしている。……だけど。


「メイドさん、私を拘束して」

「――かしこまりました」


 私の言葉を一切の躊躇ちゅうちょなく肯定したメイドさん。〈収納〉から縄を取り出すと、私の上半身と下半身を即座に拘束した。やけに手慣れたその手つきについては後で言及するとして、今はこれでいい。

 心臓の鼓動に合わせて、頭の奥が拍動する。世界の意思が使命を果たせと訴えてくる。……それでも私は、一緒に働いて、花について語り合って、笑い合って。私を助けてくれたイチさんを殺したくなかった。

 私の意思とは反対に、勝手に縄を引きちぎろうとする身体。腕に食い込んで痛いけれど、我慢。


「どうして……っ、どうしてイチさんなの?!」


 どう考えても“敵”はもう1人……ケーナさんの方のはずなのに。どうしてイチさんなのか。私には、フォルテンシアの意思が分からない。

 葛藤する私の横で、ふと、メイドさんが研究所の方を見た。そして、


「お嬢様。少し、失礼します」

「ぅえ?! ぁきゃっ!」


 手足を拘束された私をメイドさんが横抱きにして、地面を蹴った直後だった。

 目の前にあった研究所が大きく揺れ、爆発した。大小さまざまな破片が四方八方に飛び散り、私たちや近くにある建物を襲う。


「あっ、花壇が!」


 爆心地である屋敷のすぐそばにあった花壇も爆発に巻き込まれ、白い蕾をつけていたフリステリアが土ごとはじけ飛ぶ。その光景が職業衝動に侵された私の瞳に、嫌にゆっくりと映った。

 激しく舞う土煙。私を抱えたメイドさんが、飛んでくる瓦礫を最小限の動きで回避していく。ほんの十数秒のことだけど、私だけだったら間違いなくぺしゃんこだった。

 やがて、爆発の余波が収まる。遠方で鳴り響く警鐘。何があったのかと、人々が徐々に集まってくる。そんな中。倒壊した屋敷から、ソレが現れた。

 身長は5mぐらい。肌は不健康そうな緑色をしていて、血管が浮いている。筋肉でぱんぱんに膨れた四肢。頭は無くて、大きな目だけが胸のあたりに1つだけある。そして、お腹が裂けて歯が見えたかと思うと、


『――――!』


 甲高い金属音のような鳴き声を上げた。


「メイドさん、アレは何?」

「申し訳ありませんが、分かりません。が、恐らく、魔法生物の一種ではないかと」


 明らかに異様な生物。怪物と呼ぶべきかしら。魔物か、魔法生物か。そのどちらかだと予想できた。だけど、私が聞いているのはそんなことではない。怪物の胸元にある大きな目。その美しい黄色の瞳に、嫌というほど見覚えがあった。何より、まだ私の脳内に響く職業衝動の声が示している。


「アレが、イチさん……なの?」

『――――!』


 私の呟きに呼応するように、怪物が鳴く。そして、私とメイドさんを大きな瞳で見つめたかと思うと――。


「っ?! レティ、もう一度跳びます!」

「えっ」


 逼迫ひっぱくした声で言ったメイドさんが私を抱いたまま、近くの瓦礫を蹴って宙高く高く跳び上がった。その数瞬後。まばゆい光とともに肌を焼くような熱が私を襲う。それは赤竜の〈ブレス〉に匹敵する熱量だった。

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