○魔法生命体研究所

 あくる日。早速私は、昨晩ケーナさんに指定された場所にやって来ていた。

 西を平原、それ以外の3方を森とゲバ山脈に囲まれた山間の国ディフェールル。町は山を背にした東から西に向けて、扇状に広がったような形をしていた。

 私たちが泊まっている宿『シャゥググ』は、ディフェールルでも森に近い南東部にある。一方、ケーナさんの研究所はそこから少し北に行った場所――ディフェールルの東の端に近い場所にあった。すぐそばには頭に雪を被ったゲバ山脈の山々が見える。そんな、街はずれと言ってもいい場所にある石造りのお屋敷のような建物だった。

 高い塀に囲まれた研究所。柵の門扉もんぴからは荒れ放題の前庭が透けて見える。手入れのしがいがありそうだと気合を入れて、いざ敷地内へ。……と思ったのだけど。


「鍵がかかってる……?」


 当然と言えば当然で、門には鍵がかかっていた。ケーナさんからは何も聞いていないし、お迎えがあるのかも。大きく息を吸って、声をかけてみる。


「誰かー! 誰か居ないかし――」

「よ、ようこそ……」

「きゃぁ! だ、誰?!」


 ふいに話しかけられて思わず叫んでしまった。とりあえず門扉から飛び退いて、声の主を探す。と、門の向こう側――研究所の敷地内から私を不思議そうに見つめる人物がいる。

 緑色の髪は短く切られていて、だけど、前髪は目を覆うほどに伸びている。身長は130㎝ぐらい? 私を少し見上げるくらいの背丈ね。簡素な白い服とくすんだ黄色の半ズボンをはいている。所座無げに揺れる目は鮮やかな黄色だった。

 門の向こうから周りをキョロキョロと見渡した彼? 彼女? は、


「創造主様が雇ったホムンクルス……で、合っていますか?」


 そんな風に私に聞いてくる。妖精族でもない限り見たことがない髪と目の色。創造主という言葉から、あの子もホムンクルスだろうと推測できる。……ホムンクルス。私のお仲間。で、これから一緒に働く同僚。そう思うと心がほわほわする。

 そんな浮ついた気持ちを押さえて、私はいつも通りでいることに努める。


「ええ。スカーレットよ。あなたは?」

「イチは、イチです。……スカーレットさん、どうぞ中に」


 そう言って、イチさんは器用に門の鍵をけて、扉をひらいてくれる。屋敷兼研究所だと言う建物へ向かう道すがらイチさんに聞いてみると、性別は無いみたいだった。やっぱり彼が、ケーナさんの言っていた、研究所で働くたった1人のホムンクルスらしかった。ついでに、彼の言う『創造主様』はケーナさんのことね。

 道中見えたのは、左右にある伸び放題の雑草が生えた庭と、正面の植物がへばりついた灰色の壁に赤い屋根のお屋敷。2階建てで、外からは小窓があることぐらいしか分からない。


「掃除が大変そうね」

「は、はい。イチは、掃除と料理で一杯一杯です……。うんしょっ!」


 金属でできた重そうな両開きの扉を開けたイチさんに続いて、中に入る。

 屋敷の床には暗い赤色の絨毯が敷かれていた。外とは違って、調度品や魔石灯に埃なんかは無い。丁寧に掃除されていて、清潔感があった。

 玄関の正面には上下に続く階段がある。ここは1階のはずだから……。


「地下があるの?」

「はい。創造主様は地下で研究を。2階で寝起きをされています」


 他にも1階に居間と調理場、風呂場、資料庫があるらしい。


「今、創造主様は研究中なので、スカーレットさんにはイチのお手伝いをお願いします」

「そうなのね。本当は挨拶の1つでもした方が良いのでしょうけど……。分かったわ」

「で、ではここで少し待っていてください。前掛けを持ってきます」


 こうして、私はイチさんと2人で、ケーナさんが営む研究所――『魔法生命体研究所』で働き始めた。

 最初は屋敷の中の案内。それぞれの部屋の配置や、立ち入ってはいけない場所なんかも聞く。最たるものは地下にある『研究所』と1階奥にある『保管庫』で、部外者である私は絶対に入らないように、と注意された。イチさんも入ったことが無いらしいし、機密ってやつね。

 次に、お昼ご飯の準備。野菜の皮をむいたり、切ったり焼いたり。この辺りは料理の練習にもなって、良いわね。やつれた様子で地下から上がって来たケーナさんに挨拶を済ませて、一緒に食事をする。だけどすぐに地下に戻って行ってしまった。

 食器を片付けながら、イチさんと話す。


「昼からは洗濯と買い出し。夕食の準備をするんだったかしら?」

「はい。スカーレットさんのおかげで、仕事が楽です」


 私の問いに頷いたイチさん。彼は暖炉に入れていた火を調整しつつ、煤を掃除していた。


「それなら良かったわ。……そうだ。手が空いたら庭の掃除でもしない? さすがに見栄えが悪いわ」

「う、うへへ。いいですね、やりましょう」


 仕事に余裕が出来たなら、これまで出来なかったこともするべきよね。仕事である以上手を抜いたり、休んだりすることはできないもの。と、そこまで考えて。


「手を抜けない、ね……」


 私は独り言を漏らしながら、先日、砂浜でメイドさんが賊を殺したことを思い出す。メイドさんが言っていたのはこういうことなのかしら。従者である以上、主人である私を守ることがメイドさんの職務。だから、危険分子たる賊を殺した。だとするなら、私が手を抜け、と言うのもお門違い……かも?


「じゃ、じゃあお皿を洗いに……どうかしましたか、スカーレットさん?」


 考え事をしていた私を、イチさんが黄色い瞳で不思議そうに見ている。しまったわ、手を止めてしまっていた。


「ごめんなさい、何でもないわ。任せて、皿洗いは得意なの」


 調理場まで食器を下げて、ライザさんの宿で鍛えられた皿洗いの技術を駆使して手早く仕事をこなしていく。その後は特に大きな失敗することも無く、1日目の仕事を終える。ケーナさんからお給金を貰って、研究所を後にする。


「ま、また明日、です」

「ええ、さようなら、イチさん。また明日」


 優しい笑顔を浮かべて門まで見送りに来てくれたイチさんと別れる。こうしてケーナさんの研究所で働くお仕事の初日はつつがなく終わった。

 宿に向かう角を曲がって、研究所が見えなくなってから。


「やったっ!」


 私はお給金の入ったカバンを掲げて、我慢していた喜びを発散する。新しい同僚ホムンクルスと会えた興奮を隠すこと、うまく出来たはずよね。他にも、カバンに入っている14,000nに浮かれるのも我慢した。初めての仕事なのに、失敗することも無かった。……やっぱり、私もやればできるんだわ!


「それでは暗くなる前に帰りましょう、お嬢様」

「ええ、そうね! って、メイドさん?! いつから?!」


 誰も見ていないと思ってクルクル踊っていた私の目の前に、袋を下げたメイドさんが居た。買い物帰りなのかしら。いえ、それより。


「い、今の見てた……?」

「いえ、なにも♪ ……んふ♪」

「ふぅ……。それなら良かったわ。そうね、帰りましょう。晩ごはんは何?」

「今日は――」


 町でメイドさんと出くわす。そんな珍しいことを経験しながら、私はディフェールルで過ごす2日目を終えた。

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