○最速記録ね
魔法道具の技術が発展した町、ディフェールル。街並みも綺麗で、女の人が1人で出歩いても大丈夫なぐらいには治安も安定しているみたいだった。
夕暮れ。城塞も無くて、町がなだらかな傾斜になっているおかげで、遠く地平線に消えて行くデアが見える。普段は白や黄色に見えるのに、ことの時だけは橙色に変わるなんて不思議。隣に居たサクラさんに聞いてみたところ、さすがチキュウの人ね。リカだとか大気だとか言って教えてくれた。半分以上、意味は分からなかったけれど。
とにかく。今晩の宿は無事決まった。大通りから2本ほど入った路地にあった『シャゥググ』、共通語で“たまり場”という宿ね。ディフェールルにある他の建物と同じで、深い灰色の石造りの四角い建物は6階建て。外に突き出した出っ張り……えっと、確かバルコニー? もあるみたいだった。
「らっしゃい」
少し強面の短身族の男性が受付みたい。イーズと名乗った彼の話によると3人用の部屋は無くて、4人用の部屋を使うことになるらしい。半日が3000n、1日で5,700n、1週間で38,500n、1か月が99,000n。それぞれ提示されたけど、1週間のものを選んだ。価格は少し高く見えるけれど、1部屋というところを考えると、むしろ安いように思うわ。
少し前にリリフォンでの借金を返したばかりだけど、『キリゲバに見つかった』ね。ここでもメイドさんにお金を借りて、先払いの宿代を払い終えると、
「とわぁ~」
無事、ベッドに飛び込んだサクラさんの声を聴くことが出来た。これまでずっと野宿だったんだもの。だらしないと言うのは、さすがに酷よね。
私も擬装用に持っていたカバンをベッドの脇に置きつつ、蒸れた革靴を脱ぐ。むわっとしたところから一気に涼しくなる足の感覚、私は意外と好きだった。
「晩ごはんはどうなさいますか、お嬢様、サクラ様?」
ブラブラと足を揺らして開放感を味わう私に、部屋の確認を終えたメイドさんが聞いて来る。
「材料と場所があるなら、今日はわたしが作るよ?」
と、ベッドの上で起き上がったサクラさんが言う。ちょっと悔しいことに、サクラさんは料理が上手だった。最初こそ私やメイドさんに調味料なんかを教えてもらっていたけれど、野宿3日目にもなれば1人で料理が出来るようになっていた。
「じゃあ、お願いしようかしら。代わりに私が買い出しに行ってくるわ」
「うんっ、まっかせて~! 今日は何作ろうかな~?」
袖をまくったサクラさんから献立を受け取って、私は日暮れのディフェールルへと繰り出した。
献立に沿って、私は宿の近くにある商店で野菜を中心に買う。ディフェールルの人たちはリリフォンに比べるとずっと人当たりが良い。久しぶりに人と話すということもあって、少し嬉しかった私は、商店のおじさんとの会話が弾んでしまった。
そうして少し時間をかけてお使いから帰る。手提げに入ったたくさんの野菜と、商店で買った調味料とを眺める。
「おまけしてもらっちゃったわ。これも〈魅了〉と〈交渉〉のおかげかしら。働き手は募集していないのが、残念ね」
白い魔石灯の街灯に照らされた道を独り言ちながら歩く。と、私の全身を得も言われぬ感覚が襲った。サクラさんの〈空間把握〉が使用された時に似ているかしら。全身がくすぐられる、そんな感覚だった。
決して心地の良いものではない謎の波に鳥肌を立てていると、
「君、ホムンクルスなんだね?」
背後からそんな声がかかった。
「誰?!」
私はとっさに距離を取って、振り返る。そこには丸い眼鏡をかけた女性が立っている。ぼさぼさの黒い髪に目の下にある大きなクマ、少し汚れた白衣が印象的な女性だった。
「ああっ、そんなに警戒しないで。大丈夫。君の種族は誰にも言わないから」
先ほどから私がホムンクルスだと確信したうえで話している女性。恐らく、さっき感じた“波”で知られてしまったのでしょう。私の警戒を解こうとするけれど、さすがに無理な話。
「だったら、どうして声をかけてきたの? 何の用かしら?」
「あんまりにきれいなホムンクルスだったから、ついつい声をかけちゃっただけなんだ。それで、用ってわけじゃないんだけど――」
自らをケーナと名乗った女性はディフェールルでホムンクルスを研究していると語った。私に声をかけたのは、研究以外のこと、例えば掃除洗濯をして欲しいというものだった。
「実は他にももう1人、ボクが造ったホムンクルスを働かせているんだけど、手が回らないみたいでさ。その子に無理させるわけにもいかないし、もし働き口を探してるんなら手伝ってほしいな~……なんて」
どうしようかしら……。少し怪しいし、何か引っかかるような気もするけれど、ホムンクルスを研究しているとケーナさんは言った。彼女と一緒に居れば、私自身の出自についても何かわかるかもしれない。それに、メイドさん以外のホムンクルスにも会ってみたい。何より、働き口があるのはやっぱり、ありがたいこと。
「お、お給金はいくらかしら?」
そんな私の返答に、ケーナさんが満面の笑みを浮かべる。けれどすぐに咳ばらいを入れると、私の顔をちらちら見ながら、
「そうだなぁ……。じゃあ、1日。朝9時から夕方の6時までで12,000……いや、14,000nでどう?」
「い、いちまんよんせんえぬ?!」
リリフォンで冒険者として稼いでいたお金の2倍近い額じゃない?! しかも、家事をするだけでいいなんて。断る理由なんか、無いわよね。ケーナさん、研究者と言っていたけれどお金持ちか何かかしら。
それだけもらえれば、リリフォンでは買えなかったメイドさんへのお礼を買う金銭的な余裕も出てくるはず。
「いいわ。そのお仕事、受けましょう。でも仕事内容に嘘があったらすぐに辞める。それでも良い?」
きちんと安全策は講じておかないと。でもこれで万事、大丈夫なはず。
「本当っ?! じゃあ早速明日から、よろしくね。場所は――」
興奮したように言ったケーナさんに、彼女が働く研究所の場所を聞く。念のために地図も書いてもらって、ケーナさんとは別れる。
こうして次の日から、私はケーナさんの自宅兼研究所で働くことになった。
「ふふん。どう、メイドさん? 安くて安心な宿も、仕事のわりに高収入な仕事も、町に入ったその日に決まったわ。最速記録じゃないかしら?」
「はぁ……。これだからレティは」
「む。どういう意味? 言いたいことがあるならハッキリ言ったらどう?」
「いえ、何でもありません♪」
そんなメイドさんとの会話が、サクラさんの手料理を待つ間にあった。もう少し問いただしたかったのだけど、今はやめておくわ。運ばれてきたサクラさんの手料理が放ついい香りを放っておくなんて、失礼だもの。
濃い目の味付けが美味しいサクラさんの手料理を味わった私は、体を拭いて、明日に備えて早めに眠ることにした。
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