○森で1人……
昨日よりも少しだけ濃い霧が立ち込めるフェイリエントの森。声を張れば動物たちに気付かれてしまうかもしれない。だけど、霧の中、むやみに動くべきでもないでしょう。
悩んだ挙句、私は声でポトトを探すことにした。
「ポトトー! どこなのー!」
ポトトと別れた場所にとどまったまま、私はポトトを呼ぶ。いつの間にか女の人の叫び声も、動物たちの鳴き声も聞こえなくなっていた。
薄暗い森で、囁くように鳴く鳥たちの声だけが聞こえる。今までは心地よく聞いていられたけど、1人になった途端、不気味に聞こえてしまう。
「ぽ……ポトト――」
心細さをごまかしたくて、もう一度ポトトを呼ぼうとしたとき、背後でガサガサと足音がした。反射的に駆け足で逃げながら背後を振り返る。と、そこには私と同じ赤い目をしたトビウサギが1匹、追いかけて来ていた。普通のトビウサギは黒目で温厚な性格なのだけど、赤目のトビウサギは発情期で、気性が荒くなる。恐らく私が縄張りに入ってしまったせいで、襲ってきたみたい。……そうよね? 私を見て発情しているって思うのは、うぬぼれよね?! 目が怖いわ!
「む、むやみに殺すわけにはいかないし……
昨日、捕獲しようとしたときに分かっていたことだけど、私よりトビウサギの方が速い。すぐに追いつかれて、体当たりを受けてしまう。しかも、これが意外と痛い。これを繰り返すこと3度。さすがに体力的にも、ステータス上の体力でも無視できなくなってきた。
「……ごめんなさい」
立ち止まり、振り返った私は飛び込んできたトビウサギを抱き止める。硬いものが手のひらに当たっているけれど、きっと足よ。そう言い聞かせ、〈即死〉のスキルを発動した。
身の安全を確保するためとはいえ、本来、殺す必要のない命。むやみに縄張りに踏み込んでしまった私の落ち度よね。だけど、こうして殺してしまった以上は、最大限の敬意を払わないと。
メイドさん愛用だと言う15㎝ぐらいのナイフを、腰に下げた鞘から抜く。
「確か、お腹の皮をお尻まで切って……」
メイドさんから聞いたトビウサギの血抜き方法を思い出しながら、内臓を取り出す。ひっくり返した時にこのトビウサギがオスだったこと、興奮していたことも分かったけど……これは無視ね。
「後は水で洗えば……【ウィル】」
3回ぐらいごく少量の水を生成する魔法【ウィル】を使って、血を洗い流す。
聞いたとおりに血抜きを終えて、一息つく。洗ったトビウサギのお肉は、綺麗なピンク色をしていた。太もものお肉が美味しいそうよ。
取り除いた内臓は他の動物たちの餌になるから、置いておくみたい。でも血の匂いを嗅ぎつけて肉食の動物たちが来てしまう。まずは移動しないと。立ち上がって、気が付いた。
――リリフォンの方向が分からない。
思えば咄嗟のことでトビウサギにばかり気を取られ、全力で逃げてしまった。大体の方向は分かっているつもりだけど……焦ってはダメよ
「こ、こういう時は……」
落ち着いて考えてみても、何も案が浮かばない。その事実に焦燥感がこみ上げていく。……逃げる時、私はリリフォンから離れるようにして走ったから、足跡を追えば!
霧でぬれた地面。足跡だってつきやすいはず。そう思って茶色い地面を見てみると
「うぅ……。分からないわ」
当然と言えば当然で、素人の私が見て足跡なんか追えるはずがない。冒険者の
焦るな、焦るなと言い聞かせるたびに、なぜか焦りは膨らんでいく。食べ物は……今手に持っているトビウサギくらい。湿気の多いここじゃ焚火は難しいだろうし、かといって生で食べるわけにもいかない。それよりも、野生動物に襲われないとも限らない。
「ど、どうしよう……。どうすれば……」
いつの間にか呼吸は浅くなっていて、短い間隔で行なわれる呼吸の音がやけに良く響く。ざわざわと風で木の葉が揺れるたびに体が硬直してしまう。多少視界はあるのに、すぐそこに“何か”が居るような気がしてしまう。そんなこと無いって分かっているのに、体が震えて――。
『クックルーーー……』
聞きなれた鳴き声が聞こえた気がした。
「……ポトト?」
気のせいかもしれない。そう思って耳を澄ませる。
『クックルーーー!』
今度こそちゃんと聞こえた。いつも私に夜明けを教えてくれる、あの声だ。
そう思った時には、私はわき目もふらずに走り出していた。
「ポトト! ポトトーーー!!!」
『クルッ?! クックルー!』
私の叫びに応えるように、ポトトが鳴いてくれる。そのおかげで――居た! 霧の向こうに白の羽毛と黒い羽が特徴的なポトトが居る。ぬかるんだ地面に足を取られそうになるけど、必死でこらえて。
「ポトトぉ!」
『クルールッル!』
私はその柔らかな羽毛に包まれた胸に飛び込んだ。でも、足りない。目一杯に腕を広げてポトトを抱き締める。そのままぐりぐりと頭を押し付けて、顔が見えないようにする。
「1人に、しないで……っ」
『クルゥル……』
胸に顔をうずめたまま言った私に顔を寄せて、ポトトが弱々しく鳴く。
「謝っても、許してあげないんだから……」
『クルゥ……』
そのまましばらく、ポトトの温もりを感じていた時。
「あ、あの~……」
「……何かしら?」
ポトトの横にいた誰かが声をかけてくる。
「そろそろ泣き止みまし――」
「泣いてない!」
「は、はいぃっ」
もう大丈夫だろうと判断して、私はポトトから身を離して声をかけてきた
――あれ、この子、どこかで……。
既視感のようなものが、私の中を満たす。同時に、何とも形容しがたい温かさ? 安心感? のようなものがこみ上げて来て、再び泣きそうになってしまう。
――どうして? 絶対に会ったことなんてないのに……。
ひとりぼっちが辛いあまりに、見知らぬ人にまで安心感を覚えてしまう。そんな自分の弱さを突きつけられた気分だった。
「ごめんなさい、失礼だったわね。……私はスカーレット。あなたは?」
「あ、これはどうもご丁寧に。ていうか日本語? えっと、わたしは
そう言って自己紹介をしてきたのは変わった服装をした女の子。パリッとした白い襟付きのシャツにネクタイ、クリーム色のモコモコした長袖の上着。私が普段着にしている折れ
大きな茶色い瞳に、深い茶色の髪があごの下あたりで切り揃えられている。身長はメイドさんと同じくらいかしら。そんなどこか場違いにも思える格好をした少女――サクラさんは、
「ここ、どこですか?」
今度こそ間違いなく、場違いな質問をしてくるのだった。
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