○ほんと、生きるって――
私が宿に着いた時にはすでに主人は避難していて、部屋の鍵だけが受付の台に置かれている。私は自分の部屋の鍵を取って、階段を駆け上がる。2階の端から2番目が、私達が泊まっている部屋。
鍵を開けて中へ。
「ポトト、逃げましょう! って、……ポトト?」
そこはもぬけの殻だった。きれいに整えられたベッドと机の上に置いておいた寝間着が丁寧に畳まれて放置されている。どちらもメイドさんの仕事ね。さすがだわ……って、そうじゃなくて。
私の寝間着の隣にあるはずの鳥かごが無い!
「一体どこに……もしかして窓?」
採光のために開けている窓。そこから逃げた……? いいえ、だとするなら鳥かごはどこに? 小さいままの彼女が持ち運べる大きさでは無いし、元のサイズに戻ったポトトでは窓を通り抜けられない。
念のために窓の下、建物と建物の間の細い路地を見てみる。そこにはごみ袋があるだけ。窓をくぐる瞬間、ポルタの時と同じように薄い膜を突き破った感覚があったけれど、ポトトの痕跡は無い。
「まさか、盗賊?」
開け放たれた窓は格好の侵入口。私達のポトトは白くてきれいなメスだから、狙われてもおかしくないわ。でも、だとするなら無事である可能性が高い。用途の広さから、生きているポトトの方が圧倒的に高値で取引される。
そうこうしているうちに、近くで地鳴りと大きな音がした。見えなくてもわかる。赤竜がウルセウの町を攻撃し始めたのだ。関所も兼ねたウルセウ自慢の背の高い外壁も、空を飛ぶ相手には効果が薄いってわけね。
「ポトト……。絶対に見つけるから、待っていてね」
ひとまずお気に入りの寝間着を手に持って、部屋を出る。お金はメイドさんが預かってくれているから平気のはず。鍵は……持っていた方が安全ね。宿が壊れてしまったら、意味も無いのだけど。
『止まり木』から王城まではかなり距離がある。急がないと。宿の入り口を出たところで、再び爆発音が響く。すぐそばだったみたいで、立っていられないぐらいの揺れが来た。倒れないよう、その場に身を伏せて揺れをやり過ごす。
「急がないと――」
駆け出そうとした矢先。辺りが暗くなる。同時に押し寄せてきたのは上空から吹き降ろしてくる暴風。
宿は南西の端にあって、赤竜は南から来た。もしかして。そう思って恐る恐る空を見てみれば――。
そこには私を見下ろす巨大な竜がいた。
全身は赤い鱗に覆われていて、首からお腹の部分はさっきたべていたケーキと同じクリーム色の皮膚が覗く。太く長い尻尾を揺らして、空中姿勢を保っているみたい。
皮膜のついた大きな翼がはばたくたびに、吹き飛ばされそうな暴風が吹き荒れる。飛ばされないためには自然と膝をついて身を低くするしかない。見上げる人間を
2本の大きな足には黒く鋭い鉤爪が見える。黄色眼球に黒くて細い瞳孔。鋭い牙が並んだ口を開いたかと思えば、
『グギャァァァ!』
耳をつんざくような鳴き声を上げた。とっさに手に持っていた寝間着ごと耳を塞いでいなければ、鼓膜が破れていたかもしれない。コットン製の服が良い緩衝材になってくれた。
「持って来て良かったわ……」
けれど、そうしてほっとしていた私が次に赤竜を見上げた時、その口には巨大な火の玉が形成されていた。
竜種が持つ代表的なスキル〈ブレス〉。赤竜の〈ブレス〉は、火の玉を着弾地点で爆発させて極小範囲を焼き尽くすもの。〈ブレス〉の中では最も破壊力が高い、そんな攻撃だった。
当然、今の私では防ぐことも、逃げることもできない。〈即死〉だって触れなければ意味が無いし、そもそも耐性だってあるでしょう。
「……残念だけど、幕引きみたいね。折角、死滅神として名乗り出たのに、昨日の今日でこのざま」
短い人生だったけれど、楽しかったし、充実していた。メイドさんも、ポトトも無事かしら。全ては私に優しくしてくれたみんなのおかげ。彼ら彼女らが、“死滅神である私”について来てくれたというのなら。
私は最期までそうあり続けないといけないわ。
暴風に負けないように精一杯踏ん張って立ち上がり、キッと赤竜を睨みつける。膝をつくなんて、人々の信仰を受け、上に立つものとしてふさわしくないでしょ?
「いいわ、来なさい! 私、死滅神スカーレットがあなたを迎え撃ってあげる!」
『――ッ! ゲャァァァ!』
生意気な。そう言うように鳴いた赤竜。その衝撃だけで地面に置いていたお気に入りの寝間着も飛んで行ってしまう。たった1人残された私に向けて、赤竜が〈ブレス〉を構える。
願わくは、次の死滅神がよくできた人であることを祈るばかりね。それと、メイドさんとポトトがもっと仲良くなってくれること。あ、もっとおいしいものも食べたかったわね。料理、結局うまくできなかったわ。ライザさんもイズリさん、仲良くなったウルセウの人たちも、無事だと良いな……。
こうしてみると、情けなくもたくさんの未練があったみたい。
――悔しい!
何よ、生きることの方がよっぽど難しいじゃない! お金を稼いで、いろんな人と話して、知らないことを知って。そんな難しくて、分からなくて、でも楽しい“生”を無理やり切り上げさせられる。この悔しさこそが、「死」なのね。
だけど、涙なんて流してやらない。だって今の私の中に悲しさは無いもの。目端に溜まる雫はきっと、感謝の証。そうよ、涙なんかじゃない。絶対に
だって私は、死を体現する者――死滅神。最期まで、その身をもって“死”を示して見せる!
両手を広げて赤竜を見据え、笑って見せる。死ぬことなんか、お前なんか、怖くないと。
そんな私を見て、一瞬だけど赤竜も
「ほんとっ、生きるって難しかったわ!」
そんな私の
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