○魔物……初めて見るわ

 高さは10mほどで、幹の太さ2mほどの常緑樹『ドドの木』。しなやかで香りも良いこの木は建材としてよく使われるものだった。

 比較的過ごしやすい気温の風の季節だけど、今は9月。時折火の季節にも負けないデアの光が照り付ける。その直射日光を避けるように敷かれた厚手の布。その上に腰を下ろした私はメイドさんが淹れてくれた紅茶とお茶菓子の『クッキー』を頂く。


「~~~~っ!」


 香ばしくてサクサクと解ける口当たりの良い生地に、甘く煮詰めた果物の液体『ジャム』の香りが溜まらなく美味しい。自然と頬が緩み、声にならない声を上げてしまう。


「やはり、お気に召して頂けたようですね♪」

「悔しいけれど、控えめに言って最高よ! これはメイドさんが?」

「お嬢様が畑仕事を成されている間に、ライザ様に厨房をお借りしました」


 やっぱりこのメイド、出来るわ……! きっと料理をするときに各種ステータスに補正が入る〈調理〉のスキルも持っていそうね。

 赤、青、黄色。いろんな色と味のジャムと共に無心でお茶菓子を頂く。紅茶も即席のものとは思えないほど美味しい。お菓子を食べる合間に飲めば、たちまち口内の甘みが消えて、新しい甘味を迎える準備をしてくれる。メイドさんに呆れたような目線も気にせずに、私は紅茶とお茶菓子の無限機関を堪能した。


「おや、あれは……」


 そう言って、メイドさんが遠くを見やって言ったのは、休憩もそろそろ終わろうかという時だった。お菓子は全部、頂いたわ。あまり日持ちしないみたいだし、もったいないでしょう?


「どうしたの、メイドさん? 何かあった?」


 渡されたハンカチで口元をぬぐいながら、私も彼女にならって遠くを見てみる。けれど、これといって何も見えない。いえ、何かがいるのは見えたけど、その詳細が分からない。

 その時だった。湧き上がる衝動。体内を流れる血が沸騰しているような熱が私を襲う。世界がその異物の存在を認めない。そう言っているように、私の中に圧倒的な使命感が湧いた。


『アートードを殺せ』


 職業しょくぎょう衝動しょうどう。イチマツゴウ以来のそれが、私の中を駆け巡った。


「アートー……ド……?」

「おや、良くお分かりになりましたね。……まさか衝動がありましたか?」


 芽生えた使命感を抑えようと粗く息を吐く私を見て、メイドさんがすぐに察してくれる。彼女に背中をさすられながら息を整える。


「ありがとう、メイドさん。それよりも。アートードって何かしら? 私の中には知識が無くて……」

「アートードはメリの魔物で……、ご覧になって頂いた方が早いですね」

「ちょっと、面倒くさがらないでよ」


 魔物は、魔力を持たない動物たちが何らかの形で魔力を取り込んだために狂暴化したものだったはず。多くの場合、魔石と呼ばれる魔力が蓄積した石なんかを飲み込んでしまうことで魔物化してしまう。

 そうこうしているうちにアートードと呼ばれるその生物はすごい勢いで草原を駆け、やって来ている。


「気のせいかしら。私たちの方に来てない?」

「はい、来ていますね。魔物は本能で魔力を持つ存在を狙います。このままでは魔物風情にお嬢様が美味しく頂かれてしまうわけです」


 どうしてこのメイドはこんなに暢気なのかしら。いや、まあ強いからなのでしょうけど。でも私はそうじゃない。レベルも低ければ、ステータスも低い。魔物化した動物はステータスが大幅に向上するはずだし、今の貧弱な私が敵うとは到底、思えない。……だけど。


「お嬢様、どうされますか? 逃げることもできますが――」

「いいえ、メイドさん。あの魔物は私が殺さなくちゃいけないの」


 初めての戦闘が魔物だなんて。怖いし、逃げ出したいけれど。あの魔物を殺すことが私の……“死滅神”の使命だと言うのなら、ここで逃げ出すわけにはいかない。


「だから、メイドさん、ポトト、手伝って?」

「んふ♪ やはりお願いの仕方をお教えする必要がありますね♪」


 言いながらもそれは同意の言葉だと理解する。一方でポトトからの返事が無い。見れば彼女ポトトは鼻提灯を上げて寝こけている。こんな緊急事態だけど……可愛いわね。

そうよね、ある意味あなたはここまで働き詰めだものね。仕方が無いから休ませて――。


「――起きてください、この駄鳥だちょう?」

『クルッ?!』


 メイドさんがポトトの脳天に手刀をかましてたたき起こす。もちろんメイドさんの全力をもってすれば、ポトトを一撃で仕留められるでしょうから、手加減はしたはずよ。……したわよね?

 それに、魔物を前に無防備をさらし続けさせるわけにはいかないわ。メイドさんの愛ゆえだと思いたい。


『クッ……クルルクルッ!』

「お嬢様に生かされているのです。お嬢様のために働きなさい。それがあなたの職業でしょう?」

「ごめんなさい、ポトト。でも緊急事態なの」


 何やらメイドさんと言い合いをしていたポトトだけれど、こちらに迫りくる魔物を見つけてようやく事態を察したみたい。


『ルルッ?!』


驚いたように鳴いて、震えだす。その頃には、四足歩行で突進してくるアートードの姿が私でもはっきりと見えていた。

 体長は2m、体高は私と同じ1.5mくらいかしら。メリの魔物というだけあって全身はモコモコとした柔らかそうな毛でおおわれているけれど、体毛は白じゃなくて茶色。そこから黒い地肌の手足や顔が覗いていて、不覚にもちょっとかわいいと思ってしまうわね。

 そんな私の感想も、アートードの顔を見て変わる。真っ赤に充血した目に、粗く息を吐く口。頭部の左右にある渦巻いた角で刺されてしまえば、即死でしょうね。露出した部分は漏れなく血管が浮いていて、異常であることが如実に伝わってくる。

 だけど、間近に見るその表情は怒っているようで……どこか苦しそう?


「ん? 間近……?」

「レティ!」『クルゥ!』


 切羽詰まったメイドさんとポトトの声が、すぐ隣から聞こえた。

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