○朝クックルー

『『クックルー!』』


 窓の隙間からこぼれる光がナールの淡いそれからデアの強烈なそれに変わった。朝に鳴く習性があるポトトの声が厩舎きゅうしゃの方から聞こえた……気がする。


「お嬢様、朝です。起きてください」

「んぅ……すぅー……すぅー……」

「ふむふむ。お嬢様は寝起きが弱いと。朝に襲う方が可能性はあるでしょうか?」


 覚醒し切らないまま、目だけを開ける。そこにはすでに黄緑色のワンピースに前掛け、フリルのカチューシャと肘まである白い手袋という完璧装備を整えたメイドさんがいる。窓は開け放たれ、差し込むデアの日光にプラチナブロンドの髪が揺れていた。

 こんなにきれいな友人に起こしてもらえる私は幸せ者ね。だけど、もう少しだけ……。




「起きてください、お嬢様。朝ですよ?」


 そんな優しいメイドさんの声が聞こえた。大きく開かれた窓からはデアの光が差し込み、外を行き交う人々の声が聞こえる。


「んゅ……。おはようメイドさん」

「はい、おはようございます、お嬢様♪」

「いま、なんじ?」

「はい、アクシア大陸時刻、7時50分です♪」


 そう。まだ朝なのね……。ならもう一度……。


「……え? 7時50分?」

「いえ、7時51分です♪」

「朝ご飯は8時じゃなかったかしら?!」

「はい。お嬢様、寝坊でございます♪」


 だから、なんでこの人は毎度毎度、大切なことを言わないのかしら?!

 憤りながら飛び起きる。少しだけ寝癖のついた長い黒髪を乱雑に1つにまとめ、前に垂らす。


「えっと、着替えは――」

「こちらに。昨日のうちに洗濯は済ませてあります」


 ほんと、こういうところはきちんとしてるのにっ!

 すぐさま寝間着を脱いで、昨日私が着ていた服――簡素な薄赤色の半袖に茶色の短パンをはく。今日はローブは無しね。朝食を食べる時間はあくまでおおよそのもの。多少遅れても文句は言われない。それでも約束であることには変わらない。


「行きましょう、メイドさん。遅れてしまうわ」

「窓が全開の中、全裸になるお嬢様……。豪胆で素敵でした♪」

「あ」


 素っ頓狂な声が出てしまった。……いいえ、今は私の事なんかどうでもいいわ。約束を守ることは信頼関係を作る上で大切なこと。ひいてはそれが、職業ジョブにもつながって来る。人の命を扱う重い役目を任せられている以上、私は人一倍約束に真摯でいなければならないはずよ。


「……ここは3階よ? どうせ誰も見ていないわ。それより、急ぎましょう」

「かしこまりました。……お嬢様の裸体はわたくしだけのものですね♪」

「行、く、わ、よ!」


 そうしてあわただしく、目覚めて2日目の一日が始まった。




 ギリギリ8時に間に合って空いている所に座り、朝食を取る。朝は芋が練りこまれた焼き立てパンとポチャという動物の肉を薄く切って焼いたベーコン、ピュルーの卵を割って焼いた目玉焼きに果汁の水割りだった。素材はともかく、調理法や料理名についてもはるか昔から召喚者たちによってもたらされたもの。


「こうしてみると、共通語にお金、料理。召喚者たちがフォルテンシアに与えて来た影響の大きさがうかがえるわね」


 目玉焼きなる物騒な名前がついた卵にナイフを入れる。あふれ出す黄身をフォークで切り分けた白身に纏わせて食べる。黄身の濃厚なコクを、白身にまぶされた香辛料と塩が引き立てる。今日もライザさんの料理はおいしいわ。


「はい。ですが召喚の儀が流出した最近ではあまりに“供給過多”です。昨日のやからも、数十人という規模でひと月前に召喚された外来者たちの1人だと聞きました」


 パンをちぎって口に運ぶメイドさんが、昨日私が殺したイチマツゴウについて教えてくれる。そう言えば、昨日メイドさんはあそこで何をしていたのかしら。無い頭で考えても仕方ないから聞いてみた。


わたくしはイチマツゴウとは別の、役割を放棄し、ウルで悪目立ちをしていた外来者を殺すよう申し付けられていました。いつもであればご主人様自らが向かわれるのですが、外来者どもの応対をせざるを得ないようでした」


 ウルは、今いるポルタから北方に鳥車を使って3日ほどで着く交易都市。元々メイドさんと“ご主人様”はそこから海を挟んでさらに北にあるハリッサ大陸に住んでいたみたい。

 そうして主人の下を離れている間に、恐らくくだん外来者召喚者たちに“ご主人様”が殺されたのでしょう。自分を作った、恐らく最愛の人物を殺された。彼女の召喚者嫌いはそこに端を発しているようね。


「転移陣を使ってウルに到着後すぐ。私の中から“何か”が抜け落ちました。まさかとは思いましたが、ご主人様の命令です。任務遂行を優先しました。『北の勇者が死神しにがみを討った』。その噂をウルで耳にしたのはその2日後でした」


 死神、あるいは死神様。死滅神を言い表すときに使われる呼び名ね。いずれ私もそう呼ばれるようになると思うわ。


「すぐに転移陣を使って戻ろうとしました。ですが、転移先……ご主人様の神殿とつながることはなく、何をしても経験値が得られません」


 そうしてメイドさんは主人の死を悟ったのね。あとはその憂さ晴らしとして、ウルで良くない噂があった召喚者――イチマツゴウが隠れ潜んでいたアジトを見つけ、壊滅させた……と。

 少しだけ無理をした笑顔でメイドさんは教えてくれた。許容することはできないけれど、彼女がイチマツゴウの一派を不用意に殺してしまったその気持ちは理解できるわね。彼らもイチマツゴウと似たようなことをしていたみたいだし。


「そうだったのね……。興味本位で朝から嫌な話をさせてしまったわ。ごめんなさい」


 食事の手を止め、己の浅慮を詫びる。そんな私を見つめ返す翡翠ひすい石のような目に一瞬だけ、何か感情が揺れたような気がした。けれど、すぐに彼女はいつもの優しい笑顔を見せる。


「――いえ、ご主人様の軌跡をたどる以上、いつかお話しする必要はありました。むしろ、お嬢様がわたくしに興味を持って頂いたようで嬉しい限りです♪」


 それだけ言って、丁寧な所作で食事を再開したメイドさん。

 なんとなくこれ以上は踏み込めなくて、そのもどかしさを再開した食事とともに飲み込む私。浅はかと言えば今朝の寝坊についても。自分のせいなのに、少しきつく当たってしまった。1日も経たないうちにいくつも積み上げている失敗は、きっとステータスのせいではない。もっとたくさん人と話して、経験を積まないといけない。


「頑張らないと!」


 意気込みと共にパンにかじりつく。その所作をまたしてもメイドさんにやんわりとたしなめられてしまった。

 分かっていたけれど、一人前になるまでの道のりはまだまだ長そうね……。

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