○さようならね、ポトト

 チリチリと入り口のベルを鳴らしながら宿『ライザ屋』に入った私とメイドさん。室内には暖色系の魔石灯――ため込んだ魔力を光と共にゆっくりと放出する性質を持った石――が灯っており、どことなく安心感がある。左手には暖炉とソファ。右手には宿泊者たちが食事をするためのテーブルや椅子が並んでいた。


「いらっしゃい。何名だい?」


 私達に気付いた男性が受付から声をかけてくる。ライザ屋とあったからてっきり店主は女性だと思っていたけれど、違うみたい。


「2人と、それから外にポトトがいるの。1泊いくらかしら?」

「1人1600エヌと厩舎が1羽400nだ。食事は夜が1000n、朝が500nだな。ポトトの分は自分たちで調達してくれ。仕込みもあるから、食事に関しては今決めてもらえると助かる」


 黒い口ひげを生やした黒髪の男性が太い腕を組む。おおよそメイドさんが言っていた通りの金額ね。質にもよるけれど、食事の値段から見ても1泊1600nは安い方なんじゃないかしら。


「メイドさん、ご飯はどうしましょう?」

「お嬢様がお望みなら、わたくしがお作りします。あっ♪ どうでしょう、宿泊費も浮きますし、早速を使ってみるというのは――」

「店主さん。朝晩、食事付きで1泊お願いするわ」


 これで1泊3100nね。食事についてはメイドさんにばかり負担をかけるのも悪いというのと、ポトトの身の安全を守るため。

 了解の意を返してくれた店主の指示に従って、名簿に記帳していく。その後、宿泊の細かな決まりを確認する。午後4時から翌朝10時まで部屋を利用できる。ご飯は朝夕8時に予約をしておいた。厩舎は予約したその日から使用してよいとのこと。助かるわね。


「それじゃあまた後でな」


 愛想よく笑ってくれた男性に見送られ、ライザ屋を出る。それからすぐに、外に繋いでいたポトトを宿の裏手にある厩舎まで連れて行く。

 多少、糞尿のにおいはするけれど、きちんと手入れされているようね。干し草もどれも新しいもので、先客たちが連れていた動物たちが数匹いる。茶色い子や青いポトトもいるけれど、やっぱりうちの子の方が可愛い。そもそも他のポトトはおすだし。


「残念ですがここなら、ポトトも安心かと」

「そうね。嬉しいことに清潔で、住み心地もよさそうだわ」


 メイドさんの太鼓判を貰えたこともあって、ポトトを厩舎に繋ぐ。


「ごめんなさい。でも私たちは少しやることがあるから」

『クッ、クルゥ……』


 涙目で何かを訴えかけてくる彼女と見つめ合う。けれど、私はなるべく早く動いて、日雇いの仕事を探す必要があるの。断腸の思いで別れようとしていると、メイドさんが気を回してくれた。


「少しライザ屋のかたに良いところが無いかを聞いて参ります。お嬢様はもう少しだけ、ポトトと一緒にいてください」


 こういった時の身の振り方はメイドさんの方がよく分かっているはず。それに、ポトトに後ろ髪を引かれる思いだったのも事実。仕方ないわよね。


「そ、そう? なら、ここはお言葉に甘えさせてもらうわ」




 その日の夜。私はライザ屋でいた。場所は1階受付の奥にあった厨房。その皿洗いが今日の私の仕事だった。何か当てが無いか、メイドさんがライザ屋の受付にいた男性に聞いてみれば、ここを紹介されたらしかった。


「スカーレット! 早く! 次の客が来ちまうよ!」

「わ、分かってるわ!」


 料理長であるライザさんのげきに必死で私は手を動かす。貸してもらった青いエプロンはもうびしょびしょで、服の中まで水が染みている。羽織っていたローブは「念のためです♪」と言ったメイドさんに没収されていた。きっとこうなることが分かっていたのね。

 死滅神なんて大層な職業ジョブを与えられたけれど、結局生きるためにはお金が必要。そして、お金を得るためには働かなければならない。スキルで人を殺すことしかできない私は、身を粉にして働くしかない。

 そうして汚れと格闘することしばらく。


「ふぅ……。どうにか終わったわ」


 最後の一枚を布で拭き終わり、一息つく。お皿を洗うだけなのに、息も絶え絶え。長い髪は後ろで1つに結んでいて、下ろしていた時は少し蒸れていた首元が何とも涼しい。


「休んでる暇はないよ! 次は配膳、これを3つ目のテーブルの客に持って行って!」

「ま、任せて! それより3つ目って右から? それとも左から?」

「入り口からに決まってるだろう?! 戻ってきたらこれを5番目の奥にいる2人組にね」


 決まってるなんて聞いてない! 心の中で声を上げつつも、手と頭を必死に動かす。額や頬に密かな自慢の黒髪が張り付く程度には汗だくになりながら働くこと3時間。時刻は私とメイドさんが食事をとる予定だった夜8時になっていた。


「スカーレット、お疲れさん!」

「痛っ! ……ええ、お疲れ様。きちんとお役に立てたかしら?」

「もちろん! 真面目に働いてくれたし、意外と器用で助かったわ」

「それは良かったわ。……ん? 意外?」


 仕事終わり。バシバシと強く私の背中を叩いて労ってくれたのは赤銅色の長い髪が印象的なライザさん。日々の仕事で鍛えられたらしい高い筋力。一発ごとにわずかに体力が減るから正直やめて欲しいけれど、きっとこれも1つの交流よね。可能な限り受け入れていきましょう。意外と言われたことも、もちろん流すわ。


「ほら、あんたらの分も作ってあるから。早く着替えてテーブルにつきな」

「そうさせてもらうわ。ありがとう」


 びしょびしょの服のまま、厨房を出る。すると暖炉前に置かれたソファで優雅に紅茶を飲んでいるメイドさんの姿があった。


「あらお嬢様♪ お仕事、疲れ様でした」

「……一応、主人であるところの私が汗水たらして働いている横で、楽しそうね?」

「一生懸命働くお嬢様、素敵でした♪」


 より一層笑顔が輝いて見える気もする。けれど、彼女はお金を持っていて働く義理は無い。それにお金を出すという彼女の申し出を断って働くと決めたのは私なのよね。


「はぁ……。一緒にご飯にしましょう?」

「はい、仰せのままに♪」

「ほんと、調子がいいんだから……」

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