第5話 あっけない終戦
四十五年の八月に入り、上官に呼ばれた。「山本。お前が突っ込むのは十七日や。」
河村が乗って死んでいった『桜花』ではなく、爆弾を積んだ練習機『赤とんぼ』を特攻機としてあてがい、敵艦に体当たりせよとの指示だった。もう敵機に突っ込むためのまともな飛行機はなくなっていた。『一機一艦』を掲げ、河村が沖縄の海で散ってから、国のために死ぬため覚悟を固めてきていた。一緒に上官に呼ばれた者の中には、
「今更なんやねん。ワシらの攻撃に意味はあるんか。ワシら犬死にやないか。」
と上官に食って掛かる者もいた。三月から頻繁に行われてきた、大阪大空襲で身内を全て失った者だった。
終戦はあまりにも突然にやってきた。
本日出撃予定の先輩の機体点検をしていたとき、突然招集がかかった。出撃命令が時間より遅れているし、何かが上層部で起きているんだなということは、空気で伝わってきていた。
正午から始まった天皇陛下による玉音放送の内容は、さっぱりと理解できなかった。その後上官により、解説が付け加えられ、日本が負けたことを告げられた。
「ワシらが残っている。何で負けたんや。」と仲間同士で泣いている者もいたが、生き延びたことを素直に喜んでいる者もいた。度重なる空襲の処理をしてきた予科練メンバーの中は、既に真っ二つに分かれていた。
出撃を二日後に控えていた武は、意気消沈する中、一年前に両親に今生の別れを告げた金沢駅の光景を思い出していた。親兄弟だけでなく、親戚や町内会の皆さん、旧友たちも涙ながらに見送ってくれた。
九月に入り、帰還命令が下り、少ない荷物をまとめ、列車に乗り金沢へ戻ることになった。金沢に近づくに連れ、生きて帰ることへの羞恥で気持ちが塞いでいった。
蝉の声が聞こえなくなった頃、帰るつもりのなかった金沢駅に着いた。帰還日をどこで聞きつけたのか、親兄弟や親戚、そして旧友の姿がホームにあった。
「武、よう帰れた!」
と声を上げた。駆け寄ってきた母は、息子の名を呼び、武の体を抱いてその場に泣き崩れていった。死んだと思っていた息子の奇跡の帰還に、金沢駅が揺れた瞬間だった。
旧友も帰還を喜んでくれた。敗戦を悔やみ、生きて帰ることを恥とばかり思っていたが、人々の意識は逆だった。誰もが、
「早いこと戦争が終わって良かった。」
「よその国まで行っとらんで良かった。」
と声を揃えた。終戦が遅かったら、確実に武は異国へ行かされていたに違いない。帰還命令が下り、さっさと金沢へ戻ることができたのは、日本にいたからである。
母は武の好物の牡丹餅とともに、これもまた好物だった『エンドウ豆の卵とじ』も食卓に並べた。
それを見た瞬間、武は胸が詰まり嗚咽が止まらなくなった。河村はエンドウ豆の卵とじを『うまい、うまい』とほう張り、沖縄の海で悲しく散っていった。
年齢順に突撃して行き、帰ることはなかった特攻兵。武の出撃が遅かったのはただ、十六歳と若かったからだけだ。若さだけで命拾いをしたのだ。
周囲は武が生きて帰還した喜びに打ちひしがれていると思い、父は『卵とじ』をもっと作ってこい、と母に命令した。
これ以降、武は河村の無念を思い出すからか、生涯にわたり、エンドウ豆すら口にしようとはしなかった。
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