第4話 特攻機『桜花』

昭和十九年十月のレイテ戦沖の戦い後のフィリピンの戦いから始まった特攻作戦は、それなりの戦利があったのか続いていた。

それまで武は特攻作戦に対して否定的であった。特攻と言うのは、一緒に死んで来いという命令だ。自分は生きて帰って来いではない。国のために命を捧げるとは聞こえはいいが、操縦技術一ついらない体当たり戦法の命令に、何のために厳しい訓練に耐えてきたのか、と怒りが背中を駆け上がるほどであった。

そんな武の考え方を変えたのは、三月十日起こった東京大空襲だ。この空襲において、東京は二時間余りで十万人を超える死者を出していた。武はその時、遺体の運搬に駆り出されていた。隅田川に流れてくる無数の民間人の遺体を目の当たりにし、武の心にも、米軍を沈めるには、特攻作戦もやむを得ないという感情が芽生え始めた。

先に出撃命令が下ったのは、一期先輩の河村だった。河村とは空中戦訓練において、何度も一緒に練習をしてきた仲間であった。予科練の特攻は年齢順で出撃命令が下され、河村は武より三歳上だったため、先に声掛けがあったのだ。

 明日、出撃すると決まった日の夕方、武は予科練施設近隣の農家を訪れ、

「エンドウ豆の卵とじを作って下さい。」

とお願いして回った。エンドウ豆の卵とじは河村の大好物であった。事情を説明し、

ようやく手に入れた惣菜を持って河村の兵舎に届けた。調味料も十分ではなく、味も不安定な卵とじであったと思われるが、

「山本、うまいな、うまいな。」

と満面の笑みを浮かべて河村は喜んだ。そんな姿を見て武は思わず、『死は怖くないのか』と聞いてしまった。河村は箸を置き、

「山本、頭で考えているわけやない。『敵機、沈めろや。』ワシの体の声や。発熱するのと 同じ、体が発する声や。」

武を見据えて、そう伝えてきた。河村は武同様、当初は特攻作戦には否定的であった。武に自身の覚悟を告げるため、あのような言葉をあえて使ったのではないか。質問と距離をとった回答を返してきたところに、武は河村の中の死への恐れを見つけた。

 翌日早朝、河村の乗った特攻機『桜花』は、沖縄の海に向かって飛び立った。数時間後、機体故障で三機ほど戻ってきたが、その中に河村の『桜花』はなかった。

 河村が英霊となった一か月後、武は教員に呼ばれた。特攻への意思確認であった。

「君は親も年配だし、心配ないか。」

息子の好物を持ってわざわざ石川県から武に会いに来た両親の姿が、教員の脳裏にも住み着いていたのだろう。親兄弟を捨てて予科練に入隊し、意図的に残される家族のことを考えないようにして過ごしてきたようなところがある。

「特攻に行かなければ、生き残る保証ができますか。毎日、敵機の空襲を受けております。この日本のどこに安全な地がありますか。石川県もそのうち、空襲にさらされます。特攻は死であります。しからざるも死を覚悟しなければならないと考えます。」

武のこの言葉に、教員は言葉を詰まらせた。自分で自分の命すら守れないのが、戦争の宿命である。

「よし分かった。」

と教員に言われたが、その時は『死』などということを、大して深く考えてなかった。河村の後に続かなければ、それだけだった。

 東京大空襲以降も米軍による空襲は続き、四月十三日には城北大空襲、城南京浜大空襲、五月二十四日には麴町、麻布、牛込、本郷方面もやられ、翌日には山手大空襲と続き、国会議事堂や皇居の一部までも消失する損害を受けた。米軍による度重なる無差別攻撃によって、武たちは訓練どころではなくなり、毎日遺体収集や消火活動に奔走する日々となっていた。

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