第57話 黄金の宝箱(下)

 虹彩こうさいトカゲの愛をひとしきり受けた後、リディは膝の腕で団子状態になっている彼らをじっくりと見つめた。身体は黒と黄色の縦縞だが尻尾はキラキラと虹色に輝いている。


「プレイヤーのとっては雑魚モンスターなんだろうけど、こんなに甘えられちゃうと愛着が湧いちゃうな。しかもほんのり暖かいときた。今までは出会った瞬間に倒してたけど、もうできない気がする」


 リディのお腹に頭をくっつけていた個体がぱっと顔を上げた。首を傾げて『きゅ~ん? 』と話しかけるように鳴き声を上げた表情がリディのハートを鷲掴みした。


「モンスターだけど可愛いな! これが大型アップデートのイベントならば、大成功なんじゃないか? ペットアイテムがあるけど、モンスターと触れ合えるシステムなんて無かったから、かなり新鮮だ」


 メロメロドキューンな心にダメ押しするかように、虹彩こうさいトカゲは撫でようとしたリディの手のひらに頭をグイグイと押し付けている。


「ぐはっ。これがペット萌えってやつかぁ。こんな風に抱えたことが無かったから知らなかったけど、虹彩こうさいトカゲって触り心地がいいな……。尻尾は虹色に輝いて綺麗だし、1匹執務室にーー」


 そこまで言葉に出してはっとしたように口を閉じた。虹彩こうさいトカゲを愛でながら、もふってる場合じゃない。……ふわふわの毛をまとっていないので『もふる』という表現は当てはまらないがーーペットを飼ったことがないリディにとっては『もふる=撫でる』である。


 そんなわけで、リディは別れを惜しむかのように、顔を緩ませながら巨大なトカゲをもふりまくった。


 螺鈿洞窟はシークレットエリアや通路はあるが、ほぼ1本道で迷うことはない。セーフティエリアに辿り着けばそこにいる商人NPCから、入口付近にいる商人NPCにファストトラベルできる。マキナやルードベキアたちと攻略したことをやっと思い出しだリディは明るい表情で歩みを進めた。


「プレイヤーに全く会わないな……。皆んな、小型モンスターエリアは飛ばしてるのか? 螺鈿洞窟は中ボスのドロップ品の方が価値があるから、仕方ないかぁ……。お、リザードマン登場っ」


 トカゲと人間が合体したような姿の屈強な戦士リザードマンはエリアの方々に散っていたが、リディの姿を目にすると、慌てたように駆けつけた。彼らは深々とお辞儀をした後に、手に持った槍で歓迎するかのように地面を叩き、リディがエリアを通りすぎるまで微笑みを絶やさなかった。


「あはは……。テーマパークの着ぐるみがゲストを迎えているような感じだな」


 体長3メートルはある大蜘蛛たちは毒のオーラをまとっているせいか、リディのそばに寄って来ようとはしなかった。だがよく見てみると……そのオーラでハートマークを作り出し、必死にラブアピールをしている。


「このモンスターに好かれる現象はこのダンジョンだけなのか? 外に出たらヘルプセンターで聞いてーーいや、それよりもスマホが消えたんだから、ログアウト方法が先か……。それにしてもログインしてからどれくらい時間が経ったんだ? 」


 鍾乳石が幾つも垂れ下がる天井を見上げながら大きなため息を吐き出した。現実世界では妻がプレゼントしてくれた時計をいつも身に着けていたが……ゲーム内ではスマホを見れば事足りると思っていた。どこかに忘れたり落としたりしても、アシストシステムによってすぐ手元に戻って来るからだ。


「こんなことなら腕時計の1つぐらい持ってりゃよかったな」


 スマホが消えてしまったということは、ゲームのシステムに何等かの不具合が起きているのかもしれない。今までそんなことは滅多に起きなかったというのに、こんな時に限って……。


「あはは、あの本を思い出しちゃったよ。続巻が出てたら欲しいって、玲奈が言ってたから調べないとなぁ」


 フッと笑みを零したリディは子犬のようにまとわりついている空中を泳ぐ魚モンスターたちを眺めた。数百匹いるだろうか……はたから見ると銀に輝く竜巻にリディが飲み込まれたような光景になっていた。魚の壁で天井以外は良く見えない。


「ボーノが近道使ってエリアを飛ばしをしてたから、この辺はよく分かんないな。スケッチブックにちゃんとマッピングしてみるか」


 茶革のウエストバッグに手を突っ込んでスケッチブックを取り出した後に、はたと気付いた。鉛筆やペンなどの筆記用具が無い……。リディは目を皿のようにして8×50のマス内を探したが、どこにも見当たらなかった。


「嘘だろ? 紙だけでどうしろっていうんだよ。どこかにペン代わりになるものは落ちてーー魚で見えないな……」


 視界を遮っている魚たちに話かけてみたが、彼らはより一層まとわりつくだけで離れようとしなかった。


「石で紙を削って書いてみるか……」


 リディは困り顔を浮かべながら足元に落ちている小石を拾うと、B6サイズのスケッチブックのページを開いた。そしてすぐに、1ページ目に釘付けになった。白い紙に螺鈿洞窟というタイトルと鉛筆で描いたような線が浮かんでいる。


「これはマップだったのか! ところどころ抜けがあるということはーー歩いた場所を自動で描いているんだな……。くっそ、もっと早く確認すれば良かった! 」


 いつもなら初めて手にしたアイテムは重箱の隅をつつくように確認していた。冷静なつもりでいたが、実はかなり混乱していたらしい。リディは苦笑しながらも安心したように微笑んだ。


「え~っと、今いる地点は……この人型マークか。あ、やっぱり抜け道がこのエリアにあるじゃないか。シーフ職じゃないと開通できません系だとお手上げだけど……物は試しにーー」


 スケッチブックマップを見ながら隠し通路があるらしき地点の壁に移動した後、コンコンとノックするように叩いた。しかし、これといった反応がない。どこかにスイッチがあるのだろうか? シーフ職ならばスキルで見つられるのだろうが……こういう時は商人職にしたことを悔やんでしまう。


「しょうがない……普通の通路にーー。ん? なんだなんだ!? え? ちょっ、ええええ!? 」


 リディが口を大きく開けて驚愕するのは無理もなかった。彼を包み込んでいた銀色の魚群が白っぽい岩肌に体当たりをして、ガラガラと壁を崩したからだ。ぽっかりと開いた通路に吸い込まれるように消えた彼らは奥の方でドカンという音をさせた後にリディの元へ戻った。


「あはは。マップに『銀針魚によって開通! 』って書いてあるぞ。こんなことも記載されるのかっ。……面白いなコレ、量産したら売れそうだ。ルーに見せたら同じのを作れないかな。もしくはカナデ君に頼んでーー」


 商人職らしい考えを巡らせながら、隠し通路を通りーー黄色いスライムが飛び跳ねる広い空間を抜けると……目が覚めるような青い水をたたえた地底湖があるエリアに到達した。


 現実世界の洞窟ならば真っ暗で何も見えない場所だが、ゲームの世界独特の視覚補正がかけられている。そのため周辺はほんのりと明るかった。さらに特別感を演出しいるのか、天井からは神が降臨してきそうな光が差し込んでいた。湖水はぼんやりと青くい光を放ち、白い鍾乳がキラキラと輝いている。


「久々にきたせいかもしれないけど、この景色は凄いよな。確か……地底湖の奥には小舟で行かないとたどり着けない小島があって、そこに裏ボスがいたんだっけーー」


 地底湖を眺めながらとぼとぼと歩いた先にはかがり火があった。その周辺はモンスターが入れないセーフティエリアで、大きなリュックを背負った商人NPCが立っている。リディはほっとしたような息を吐き出すと、安堵の笑みを浮かべた。


「やっとファストトラベルできるな……。戦闘がなくてホントに良かったよ。武器なしソロで戦うなんてことになってたら……考えただけでも恐ろしい」


 セーフティエリアには15人ほどのプレイヤーたちが休憩していたのだがーー地底湖の方から歩いてくるリディを見た途端に『え!? 』というような驚きの声をあげた。目を見開いてルートを逆走してきたリディをじっと見つめている。


 リディは突如沸き起こったざわめきに居心地の悪さを感じた。パーティ推奨の螺鈿洞窟をソロで歩いていたせいかもしれないが、モンスター仲良しイベントが開催されているなら、別におかしくはないはずだ。だが……リディの考えは見当違いだった。


「おい、あの首のタトゥーまさか……」

「嘘だろ、まじかよ! 」

「ここにいたのか! 」

「誰か、合言葉を言ってみろよっ」


 タトゥー? 合言葉? 何のことだ? 何1つピンと来なかった。銀の獅子商会の団長をしているが、顔はそんなに知られていない。そのはずなのに……プレイヤーたちはリディの進路を塞ぐように立ちはだかった。その中からスッと前にでた男性プレイヤーが軽く会釈をしている。


 彼はパキラがお気に入りの長ったらしいタイトルのアニメに登場するドワーフに似ていた。


「えっと、初めましてこんにちは。『ハートの小さな銀の箱』」


 その言葉を聞いた途端に、リディは自分じゃない物に変身したことが分かった。景色がクルマの運転席から外を眺めているような状態になり、ハンドル部分辺りにコマンドボタンが並んでいる。両サイドのスピーカーからプレイヤーたちの歓声と拍手が響いた。


 自分の身に起きたことが何1つとして理解できなかったが、リディはパニックにはならなかった。頭の片隅に大型アップデートのイベントなのかもしれないという垂れ幕が下がっていたからだ。それならばとことん楽しんでやろうじゃないか。


「なんだか1人称アドベンチャーゲームみたいな感じだな。取り合えず……ピカピカと光っている『挨拶1』というコマンドボタンを押してみるか」



 リディがコマンドボタンの数が少ないとぼやいている一方で、プレイヤーたちはワクワクしながら、黄金の宝箱を見つめていた。宝箱の内側には鋭い牙を生やしているが、箱の外まで飛び出ている大きな舌が愛嬌を感じさせた。開いた蓋の奥からは青い目がぼんやりと光っている。


「やぁ、冒険者諸君! よくオイラがわかったなぁ。びっくりしたよ! 」


「ねぇねぇ、ミミックの王って、めっちゃ可愛いくない? 」

「殴ったらなんかドロップしそうだな」


「はぁ? 何言ってんだ。ふざけんなし! 」

「え、いや、すみません冗談です……」


「そこ煩い! ハルデンのセリフが聞こえないじゃないか」

「初見なんだから静かにしようぜ」


 喧嘩まで発展しないまでもプレイヤー間で言い合いが始まっていた。ミミックの王ハルデンという文字を頭上に掲げた黄金の宝箱はそんな彼らに向かってパカパカと蓋を開け閉めしている。


「オイラを見つけたご褒美だ! ホホホーイ! さぁ、依頼を受け取りなっ」


 黄金の宝箱は蓋を大きく開けて、ハート型の小箱を人数分ばらまいた。そしてピョーンと天井付近まで飛び上がると、パンッというクラッカー音を鳴らして小さな煙の中に消えてしまった。


 呆気にとられたプレイヤーたちの頭上に紙吹雪が舞い落ちている。しばらくの間、水が垂れる音が響いていたが、ドッと笑いが沸き上がった。彼らはミミックの王ハルデンに出会ったことを楽しそうに話し喜び合った。



 リディはというと……最初に目を覚ましたゴブリンエリアにいた。黄金の宝箱からいつもの自分に戻っていたが、腑に落ちないという表情を浮かべていた。コブリンたちはそんな彼を守るために、周囲を見渡して警戒している。


「困ったな……。俺にクエスト配布しろっていう事か? これって運営の仕事じゃないか……。文句を言ってやりたいがスマホは無いし……。連絡用のユーザーインタフェースぐらいつけて欲しいよな」


 ぶつぶつと文句を言いながらウエストバッグに手を入れて、文字化けと黒塗り線ばかりの手帳を取り出した。今のところ手がかりがありそうなのはこれぐらいしかない。


「お。文字化けと黒塗りがない。直ってるじゃないか。どれどれーー」


 1ページ目にはキャラクター名とステータス、2ページ以降にはスキルについての説明が記載されていた。この手帳は『ミミックの王ハルデン』のマニュアルのようだ。


「へぇ、ハルデンはダンジョンマスターなのか。モンスターたちに好かれまくってた理由はそういう事なんだな……。おっとぉ~、ダンジョンビルドができるだって!? ……面白いなーー」


 黄金の宝箱に変身しなくても使えるスキルがあると分かったリディは我を忘れて文字を追った。百面相祭を開催しながら、夢中になっている。しかし……隅から隅まで読んだ手帳にはログアウトする方法はどこにも書かれていなかった。スケッチブック方はダンジョンのマップ以外については表示されていない。


「玲奈に1時間でログアウトするっていったのになぁ……。これは……人生最大のピンチか? ーーなぁ、お前、どう思う? 」


 話しかけられたゴブリンは分からないというように首を左にかしげている。


「あはは。だよねーー。プレイヤーに会うと、さっきの合言葉? みたいので変身してしまうようだから、できるだけ遭遇したくないな……」


 プレイヤーを見かけたらすぐに知らせるようにリディに依頼されたゴブリンたちは真剣な表情で頷くと、5人編成の1パーティとゴブリンメイジ2体を王の護衛として残し、方々の通路へ走っていった。


「モンスターが守ってくれるって凄いな……。さてと、スキルがいろいろ使えるみたいだから、何とかできないか頑張ってみるか」


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