第55話 狩られるものと狩るものたち(下)

 背丈が腰ほどの高さの樹木が大きく揺れている。弓を構えていたシーフ職プレイヤーのエディがすかさず矢を放つと、鳴き声と同時に小ぶりなシカが肉の塊に変化した。軽く舌打ちをしながらも、肉を拾ってスマホのインベントリに収納した。


「ハズレだったけど、この肉は売れる。それにしても……あいつ、どこ行ったんだ? 」


 シーフ職のスキル探索を仲間3人で代わりばんこに発動しているというのに、なかなか獲物がセンサーに引っかからなかった。エディは肩を落として、5メートルほど離れた場所にいるルークにがっかりしたようなジェスチャー見せた。


「他のパーティーに倒されちまったかな……」


 何十人いるか分からない冒険者がこの常闇の森をうろついているのだから、先を越されることもあるだろう。エディは小さなため息を吐き出して周囲を見回した。右後ろにいた仲間のシバイヌが笑顔でグレネードを持ったまま手を振っている。


「シバイーー」


 行き先を言うとして開けた口をすぐに閉じた。不用意に声をだすと獲物に感づかれてしまうかもしれない。エディは自分が進む方向を指で示した後に、熊笹の茂みをかき分けて行った。



 ザイガンは樹高20メートルほどあるブナの木の枝から彼らの様子を眺めていた。青い光を消したナビは枝葉に隠れながらソナーのように超音波を出して、キャッチした敵を視界の右上にある小マップウィンドウに表示している。


 ーーまさかこのナビにシーフの探索に似た機能があるなんてな。助かったよ。マップ取得も手伝ってくれたし、そのマップも自分の意思で縮小も拡大も出来る。便利すぎるだろ!


 今のところ使えるスキルはこれだけで、戦闘に関してはまだ心もとなかった……。ダガー1本でどこまで戦えるのか不安は尽きないが、一矢報いたいという気持ちが先立っていた。


 ちょうど真下に銃器の種子島を腰打ちスタイルのように構えたプレイヤーが辺りをきょろきょろしていた。シーフ職のようだが木の上にいるザイガンを発見できないということは、スキル探索とパッシブスキルの第六感は役に立っていないようだ。


 彼の仲間らしきプレイヤー2人はだいぶ離れた場所に移動している。ザイガンは右ポケットに入れていた小石を1つ取り出してーー右奥にあるシダ植物の茂みに向かって放り投げた。


 ガサガサという音にすぐさま反応したプレイヤーが引き金を引いた。ザイガンはドンという銃声音を聞きながら枝から飛び降りると、少し背中を丸めていたプレイヤーの背中に両膝を当てて体重を乗せた。うつ伏せで倒れた相手に追い打ちをかけようと、渾身をの力を込めてダガーを突き立てた。


「痛ってぇ! 」


 押しつぶされたプレイヤーが背中に張り付いている敵を振り払うために、身体を捻ろうとしている。ザイガンはそんな相手の左手をとって動きを封じると、いままでの恨みを晴らすかのように何度もダガーを振り下ろした。


 プレイヤーはどうにもこうにも姿勢を変えることができず、徐々に感じるだるさに、このままだとまずいという危機感を覚えた。だがシーフ職にはこんな時に使える奥の手がある。


「なめんなっ、勝栗かちぐり! 」

「しまった! 」


 ザイガンの元から火にくべた栗が弾けるようにプレイヤーが3メートルほど飛んだ。勝栗は敵に掴れたり、ハグされたりした時に使える緊急回避のスキルだ。それがあることをすっかり失念していたザイガンの前で、プレイヤーはジャケットのポケットに手を入れて回復ポーションを握りつぶした。


「ルーク、大丈夫か! 」


 仲間が襲われていることに気付いたエディが弓を構えた。シバイヌは2本のダガーの柄を繋いで飛来刃を飛ばしている。ルークと呼ばれたプレイヤーが種子島をリロードする仕草を見たザイガンは大地を蹴った。


 逆手で持ったダガーで相手の首を狙っていたというのに、くるくると回転している飛来刃に邪魔されてしまった。さすがに3対1では分が悪すぎる……出直した方が良さそうだ。ザイガンはすぐさま左に見えた熊笹の茂みに飛び込んで、脱兎のごとく逃げ出した。


 ーーもう少しで倒せると思ったんだけどな。俺のダメージが低すぎるのか? 


 表情を曇らせながらも、タイマンならばなんとかなりそうだと光を見出した。ブナ樹林の間を縫うように駆け抜けて、幹が太い樹木に登った。


 シュッ、シュッ、シュッ。


 矢羽根が風を切る音が聞こえたかと思うと、ザラザラとした樹皮に縦1列で3本の矢が突き刺さった。ちらりと目を向けた小マップの上で10個ぐらいの赤い点が動いている。ナビの姿を消したまま、安全ルートを確認せずに急いで移動したせいで、どうやら他のプレイヤーにも見つかってしまったようだ。


 改めて表示したナビは熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。心配そうにザイガンの頬に擦り寄っている。どこに逃げても敵だらけなら、切り崩していくしかない。マップを広げて赤い点が少なそうな場所を探していると、木の上にいるという声が耳に届いた。


「ここにいるのは、まずいな。ナビ、敵が少ない方に誘導してくれないか? 」


 ナビは少しの間くるくると小さく円を描くような動きを見せた後に、飛び移りやすそうな樹木に向かって動き出した。さっきエンカウントしたシーフ職のプレイヤーがいた方角だが、どんなスキルを使うか分からない職とぶち当たるよりはまだましな気がした。ザイガンは迷わずに枝伝いに、次々にジャンプしていった。



「まじか……。1度、下に降りないと駄目なのか」


 調子よく移動していたというのに、なぜアレなんだと疑いの目を向けるほどナビが示した樹木はかなり遠かった。ザイガンは不満げな表情を浮かべたが、左右の樹木をよく見てすぐに考えを改めた。なるほど……飛び移るには枝が細すぎる。 


 白線の輪郭では無く、姿が確認できる場所で3人のプレイヤーが歩いているのが見えた。そのうちの1人は見覚えがある。できればこのままやり過ごしたい……。息を殺してタイミングを待っていると、何かがパンと弾けるような感覚を覚えた。


 まさかと思って移動予定の樹木に目を移した途端に、鎖のようなもので引っ張られた。四角い大楯がゆっくりと眼前に近づいている。危機的状況であるにも関わらず、ザイガンは右上にあったはずの小マップが消えていることに気が付いた。


 ーーナビが見つかったのか! 


 ザイガンのナビはプレイヤーたちにも見えていた。彼らは森を移動する不思議な赤い光を訝しんで、そっと後を追っていた。そして1本の樹木付近でじっとしてる様子から、もしかしたらどこかにキャンペーンボスがいるではないかと推測し……見事に発見したというわけだ。


 パラディン職のプレイヤーは引き寄せたザイガンの身体に何度も大楯をぶつけた。周囲にいるプレイヤーたちは攻撃することなく……ぐらぐらと身体を揺らして眩暈を起こしているザイガンをじっと見つめている。エンカウントしたからには、またあのお決まりの挨拶があるのだろう。


 誰もがそう思って獲物の状態異常が切れるのを待っていた。


 その一方でザイガンは冷静に周囲を観察していた。直線にしか飛ばないパラディンのスキル聖なる鎖を回避するには樹木を盾にするしかない。どうせパラディンはセオリー通りに挑発スキルを最初に使うだろうから、その間に体力が少なくて直接攻撃を嫌うウィザードを狙って包囲網から脱出しよう。


 その他にも秘策を思い付いていた。それを利用すれば彼らの油断を誘える……。


 目論見通り、プレイヤーたちがざわめきだした。ザイガンから離れていたアタッカーがタンク役のパラディン職プレイヤーの傍に集まっている。


「ユッケさん、こいつのスタン状態、長すぎないか? 」

「俺もちょうどそう思ってたとこだよ」


「早速、不具合が来ちゃいましたかね」

「普通にエンカウントしないで鎖を使ったのがまずかったかな……」


「やっぱ例の挨拶を聞いてからじゃないと駄目なんっすかね」


 いつまで経ってもザイガンは身体を揺らしたままだった。困惑したプレイヤーたちは武器の構えを解いて、口々に原因について喋り始めている。


「ーー確かスマホから不具合報告できたよな」

「ヘルプセンターに行かなくても大丈夫でしたっけ? 」


「いや、この公式情報アプリのさーー」


 鎧姿のプレイヤーがスマホを取り出した瞬間に、ザイガンはほくそ笑みながら後ろに振り返った。誰もいなくなった草むらに向かって勢いよく走り出しーー3回ほどジャンプして樹木の影に滑り込むと、そのまま人気のない森の奥へ逃げ込んだ。


 各々スマホを手にしていたプレイヤーたちは呆気にとられた表情を浮かべて立ち尽くしていた。



 ーーこんなに簡単に騙せるなんて、笑えたっ。……でも挨拶ルーチンが無くなったってバレちゃったよな。


 まんまと脱出に成功したザイガンは一面に広がっている熊笹の茂みに身を低くして後ろを振り返った。パラディンを中心にした先ほどのパーティ御一考様は動く気配はないようだ。


 ーーやっぱ小マップがあった方がいいな。姿を消した状態でナビを起動し直して……。

 

 ドーンッ! という耳をつんざく音が森中に響き渡った。一難去ってまた一難とはこのことを言うのだろう。さらに丸いボールが2つザイガンに向かって飛んでいる。


「グレネードか! 」


 ドーンッ! ドーンッ! 炸裂したグレネードから飛び出した小さなマキビシがザイガンの脇腹と咄嗟に頭を覆った左腕に深く食い込んだ。痛みで顔が歪み、鉄の味が広がった口から、げふっと液体を吐き出した。たかがゲームでここまでリアルに表現する必要があるのだろうか。ゲーム開発者に恨み言をぼそりとつぶやき、赤い血が流れる脇腹を抑えた。


「……つっ。こっちはポーションがないっていうのにーー」


 逃げればいいのか、それとも反撃した方がいいのか迷うほど思考が混乱していたが、左後ろからのヒリヒリした気配は見逃さなかった。身体を捻って仰け反るとベストのボタンが1つ弾け飛んだ。細木の幹に弾丸が突き刺さり、枝葉がガサガサと音を立てている。


「まじかよ。あいつ避けやがった……」


 小さなため息を漏らしたルークとは裏腹にエディは楽しそうに弓を構えていた。樹木の隙間から見える赤い髪の毛に狙いを定めてーーにやりと笑った。


「ロックオンっとーースキル掃射! 」


 炎属性が追加された赤い閃光が熊笹の上を駆け抜けている。それに気付いたザイガンは地面を慌てたように蹴って樹木の後ろへ転がり込んだ。射線を切ってしまえば弓の攻撃はどうにかなる。ザイガンはそう思っていた……。


 だが赤い閃光は樹木に突き刺さることなく、すぐさまカクンと進路を変えてーー迷わずに……獲物を捕らえた。


「ぐあああああああっ! 」


 ザイガンの右腕が血を撒き散らしながら砕け散っている。衝撃で右脇腹も大きくえぐれていた……。遠距離武器を使うことがなかったザイガンは弓のスキルに詳しくない自分を恨めしく思った。


 カチ。


 ふらつきながらも、必死に歩きだしたというのに……いきなり足元が爆発した。爆風によって吹き飛ばされた身体は樹木に当たってーー地面からニョッキリと出ていたキノコを潰した。ザイガンはすぐさまエスケープしたかったが、ずたずたに引き裂かれた両足では立ち上がることができなかった。


「シバイヌさん、ナイストラップ! 」

「うっほっ。地雷使えるや~ん」


 狩猟犬のように走ってくるプレイヤーたちにザイガンは涙を見せた。血まみれの左腕を上げて、手を伸ばしている。シバイヌは助けてという言葉を聞き流して、酒場で的当てゲームを楽しむかのようにダガーを投げた。


「はい、いただきますっと」


 赤い刀身で柄が黒いダガーがザイガンの額に深く突き刺さったーー。赤い血が溢れる涙と混ざって、頬に流れ落ちている。ザイガンはゆっくりと歪んていく風景を眺めながら、徐々にやってくる暗闇に問いをぶつけた。


 ーーこの悪い夢は、いつまで続くんだ?


 ザイガンの身体は虹色の光に変化してキラキラと輝いていた。魂を浄化する演出で美しいエフェクトだった。惨たらしい姿をプレイヤーの記憶に残さないためなのだろう。薄れていく輝きを眺めていたエディは勿忘草色の鉱石を嬉しそうに拾ってすぐに、スマホを取り出した。


 着信音と同時に表示されたメッセージを瞳に映して、顔をほころばせている。


「わぁお! レアドロキタ~! 」

「エディさん、まじで? どんなんキタ? 見せて見せてっ」


 上機嫌なエディの肩に腕を回したシバイヌがはしゃぎながらスマホ画面を食い入るように見つめている。イベント初日で低確率のレアアイテムを手に入れる運を分けて欲しいと騒いで、羨ましそうにため息を漏らした。


 キャンペーンボスは成長型NPCと情報アプリに記載されている通り、リポップする毎に明らかに成長しているのが目に見えて分かった。最初に出会った時と比べて体力も動きもだいぶ違うとはいっても、所詮、狩られる存在なのだから攻略は難しくないだろう。


 まだまだ討伐に苦労することはなさそうだと、シバイヌとエディの2人は愉快そうに笑っていたが、ルークの表情は曇っていた。


「なぁ……。さっきから思ってたんだけど、このキャンペーンボス……人間臭くて気持ち悪くないか? 」


 ルークの言葉にキョトン顔で返事した2人は顔を見合わせた。シバイヌはケラケラと笑いだし、エディは何を言っているのか分からないというような半笑いを浮かべてルークの背中をバンバンと叩いた。


「ゲームの演出じゃね? 油断させて反撃してくるってパターンは今までもあったじゃないか」


「そうだけど……。なんか死に際がちょっとリアルすぎるっていうかーー」


「ルークがそんなことを気にするなんて珍しいな。次倒す時にじっくり見てみるよ」


 複雑な表情をしたまま歩きだしたルークをエディが不思議そうに見つめている。2本のダガーの柄尻を繋いだシバイヌは右手の甲で、それをくるくるを回しながら目を細めた。


「でもさ、遠距離で倒しちゃったら……見る暇ないカモね」 

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