NPCになった彼らが羨ましいカ?
第54話 狩られるものと狩るものたち(上)
この暗い森で目覚めてからどのくらい時間が経っただろうか。何人いるかも分からないぐらいの、プレイヤーだとわかる白線の輪郭がそこら中に見えている。とても理不尽でおかしな状況下に置かれていると何となく悟ったが、怒涛の如く押し寄せてくるプレイヤーたちのせいで、ゲーム会社に助けを請う方法を考える暇がない。
ガサッという葉擦れの音に敏感に反応して手足が硬直している。なんとか彼らを回避するために樹木に登ったり、熊笹の茂みに隠れたりとアレコレ知恵を絞ってみたが、どの方法もシーフ職のスキル探索の前では意味がなかった……。
ーー早く逃げないと!
さらにスキル隠密を使われてしまうと、どうにも太刀打ちができない。『復活する度に殺される』という恐怖が、とめどなくザイカンを襲った。額からツゥーっと汗が流れている。音が聞こえた方角を確かめなくても、危険が迫っているのは明白だった。
ーーもう死にたくない。
ザイガンは震える右手を左手で抑えて、大きく息を吸って吐き出した。何が1/3痛覚だ! ちゃんとテストしてんのかよ。そう思うほど、肉体的苦痛は耐えがたく……さらに集団いじめのような彼らの行動がザイガンのメンタルを追い詰めていった。
スキル隠密で姿を隠したシーフ職プレイヤーがどこかにいるはずだ。樹木の後ろでしゃがんだまま静かに辺りを見回した。背中からヒリヒリする気配を感じる……急いで走り出そうと足に力を入れたが一歩遅かった。
足がどうしても動かないーー。
心の中で動けと何度も叫んだが、何かに乗っ取られたかのように微動だにしなかった。いやいや、これはどう考えても、ガンドルとかいうやつが憑依しているに違いない。大型アップデートせいでこんな目に合うなんて……。
こんなことになるならもう少し真面目に事前情報を確認しておけば良かったと後悔している最中に、すくっと立ち上がった。目の前に何も見えないということは、きっと挨拶圏内にシーフ職プレイヤーが足を踏み込んだのだろう。誰もいない場所に向かって、ザイガンは挨拶するように両手を広げた。
「やぁ、初めまして冒険者さん。俺の名はガンドル。あんたの敵じゃぁないよ」
何も楽しくないのに満面の笑みを浮かべている自分に腹立たしさを感じた。いら立ちを覚えていると白い線が身体に当たって跳ね返った。喋っている間はダメージが入らないというのに、プレイヤーたちは無駄であると納得するまで攻撃していた。
気が付けば人型の白線の輪郭がザイガンをぐるりと囲んでいた。重なり合って見えることから相当な人数がいるようだった。お前は単なる狩られるものなんだと、再認識させるように絶望という巨大な鬼がザイガンに指を差してげらげらと笑っている。
悔しくて、悔しくて……胸が張り裂けそうだというのに、涙すら自由にならない。お道化たようなフレンドリーな表情のまま言葉を続けていた。
「ーー近くの港まで連れて行ってくれないか? 」
セリフが終わると同時に、シュッっという風切り音が鳴った。ザイガンのベストに矢が食い込んでいるーー。体内で分裂した矢尻が肉の中で回転しているのを否応にも感じた。更にそれらが次々に爆発したが、膝をつくほどのダメージではなかった。
死ぬそして復活するを何度も繰り返しているうちに増加したザイガンの体力はまだまだ残っていた。ーー逃げ出すチャンスはある。そう信じて1歩踏み出した足の太ももを、岩のつぶてが穴を開けた。ぐらつく身体を支えるために樹木に伸ばそうとした左手はーーすでに無かった。
浮遊する刀がおもちゃのネズミを得た猫のように、研ぎ澄まされた刃を草むらに落ちた左腕に突き立てている。髪と同じ色の血液が流れる胸や背中からは木の枝が伸びていた。咲き誇った桜がザイガンの体力を吸って、花びらを撒き散らした。
喉の奥に甘くて苦いものが流れている。残された右腕が緑色に変色したということは……これは毒のようだ。黒龍が喉元に牙を食い込ませる感触がザイガンの恐怖を煽った。
体力が増えてしまった分だけ、ザイガンはありとあらゆる攻撃を身体中に受けていた。自分が今まで倒してきたモンスターたちもこんな風に辛い思いをしていたのだろうか。感情というものが何もなければ良かったのに……。
ーーもういい。一瞬で終わらせてくれ……。
すべてを諦めてしまったザイガンはスローモーションで近づいてくる弾丸を見つめた。
ーーあぁ、暗闇がやってくる……。
死者を憐れむように鮮やかな色彩の揚羽蝶が勿忘草色の鉱石に止まった。
大勢のプレイヤーの中に1番旗を上げたシーフ職のルークも混ざっていた。狩人Bと命名した仲間のエディの隣で着信音が鳴ったスマホ画面を叩いている。
「ーー最初とだいぶ違い過ぎないか? 」
「
自ら狩人Cと名乗ったシバイヌがルークとエディにスマホを見せた。大型アップデートアプリのキャンペーンボスの情報ページで、眼鏡をかけた女教師衣装のらいなたんが棒で黒板を指し示していた。セリフの吹き出しには『進化するNPCだよっ』と書かれている。
「ってことは……俺らが倒せば倒すほどーーあいつ、強くなるんか? 」
「うわっ。面倒臭いなそれ」
エディは楽に討伐できる今のうちに低確率でドロップするというアクセサリーを何とか手に入れたかった。そんな思いを察したシバイヌが眉間にしわを寄せた彼の背中をポンと軽く叩いて、爽やかな笑みを浮かべた。
「あいつの体力が上がったおかげで、1撃入れることもできるからいいんじゃないか? それにさ、あまりにも手ごたえがなさ過ぎだと面白味がないだろ」
「……そうだな。ワンパンばっかじゃつまんねぇよな」
「そうそう。簡単すぎると飽きるっしょ」
シバイヌはどこかでリポップした獣王ガンドルを探すためにケラケラと笑いながら歩き出した。その後ろを左手で弓の柄を握りしめたエディが続きーールークは視界の左隅に表示されている炸裂弾の数を確認して、火縄銃式種子島の銃弾を通常弾に切り替えた。
「なぁ、こんなに逃げ回るボスってどうなん? 」
「そういえば、今までに無いパターンだよな」
「獣王のくせに、反撃もしてこないって、どんだけ弱いんだよ」
「ウサギや鹿狩りっぽくていいんじゃね? 」
運営のサービスコンテンツだとエディが愉快そうに言ったが……ルークは腑に落ちなかった。本当にそうなのだろうか? 不具合で修正されてしまった過去の出来事を思い出して顔をしかめた。ゲームのイベント事はやはりスタートダッシュが肝心だと再認識しているようだ。
ルークは他にも気になることがあったが、言葉には出さずに胸の奥にしまった。獣王ガンドルの逃げ惑う様はまるで……いや、そのことを考えるのは止めた方が良さそうだ。考えれば考えるほど罪悪感に苛まされる……。ルークは思考を停止させるために、左手でシャツの胸元を強く握りしめた。
復活したザイガンはツタ植物の葉を憂鬱そうに千切っていた。両目から流れる涙を左手の甲で拭って……天に向かってスッと伸びている樹木を見上げた。プレイヤーとエンカウントする度に、同じ動作と同じ台詞を繰り返す自分が嫌で仕方なかった。
なぜ? という言葉を反復しているザイガンの心の奥底で疑問は福引の抽選機の姿に変わった。答えを見出すためにガラガラと何周も回している。コロコロと転がり落ちてくる黄金色の鈴を顔ない係員が手に取った。
大当たりだと言いながらハンドベルを鳴らす様子にザイガンは安堵の表情を浮かべたが……景品は何も書かれていない白紙のカードだった。
「これは大当たりじゃない! こんなものは要らない! 」
顔ない係員の笑い声が脳に突き刺さるような感覚に怯えた。感情と今までの記憶を消し去って、狂ってしまいたい……。繰り返し殺されるという悲惨な悪夢と極度の緊張感でザイガンのメンタルは崩壊の限界点を突破しようとしていた。
ーー逃げるのは疲れた。
ザイガンは樹木の根元で膝を抱えて小さくうずくまると、 憔悴しきった顔で目を閉じた。
ーーそんなに俺を殺したいなら好きにすれば良いさ。
何も考えずにプレイヤーたちに身を任せてしまえば良い。そう思っていたのに、本能というものだろうか、頭に乗せている大きな耳が足音をキャッチした途端に、ザイガンは顔を上げた。遠くに見える白い人型の輪郭を一瞥して反対方向に目を向けるとーー。
薄暗い森の中に青い光が浮かんでいた。
ついて来いと言っているようにゆらゆらと揺れている。プレイヤーの罠かもしれないという考えはまったく浮かばなかった。藁にもすがる思いで、青い光を追いかけたーー。
「……こんなに移動しているのに、誰ともエンカウントしないどころか、ヒリヒリしたあの感覚さえもない。もしかして俺のスキルなのか? 」
ナビゲーションシステムのように的確にルートを見出しているとザイガンは確信した。喜びが隠せず、頬を緩めて明るい笑顔を浮かべている。これなら今度は生き残れるかもしれない。無理やり押し付けられた死の運命から逃れるために、足を動かし続けた。
「止まったぞ……。どうしたんだ? 」
肩で息をしているザイガンの5メートル先でナビは急にピタッと動きを止めた。青い光から赤に色を変えて、来るなと言わんばかりにザイガンのすぐ傍に戻ってきた。八方塞がり状態になのだろうか……。
光を小さくしたナビはツツジの茂みで身をかがめたザイガンの左太もも付近でくるくると円を描いている。
「あっ! ダガーがあるじゃないか。そうかこれを使えってことだな。……なんで俺は今まで武器に気がつかなかったんだ」
フッと笑みを漏らしてダガーを手にしたザイガンの目に大角をもった鹿が映った。それはツツジの茂みを突き破りーー頭の角で目障りな相手を突き刺そうとしているようだった。ザイガンは左手にあったダガーを右手に持ち替えながら、身体を捻って大角を回避すると……鹿の首を目がけて振り上げた。
「あぶなっ……」
モンスターが消えるようなエフェクトは現れず、ごろんと鹿の生首が転がった。血液は飛び散らずーーツツジの茂みに胴体がオブジェのように乗っている。
ザイガンは鹿に不意を突かれたことよりも、身体が軽いことに驚いていた。体力だけではなく、全てのステータスが増加していることに気が付いて朗らかな笑みを零した。
「これなら、反撃できるかもしれない。ナビ、ありがとな。おかげであいつらに、一泡吹かせられる」
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