第39話 次からは絶対にシーフは雇わないっ!

 イリーナが満足そうに四角い肉の塊をフォークで刺している。溶けるように消える和牛ヒレのおかげで腹の虫がおさまったようだ。最初は値段が高いのに自分も食べて良いのかと遠慮していたが、ひと口食べた途端、あまりの美味しさに心を奪われて夢中になっていた。


 やっと嫌な出来事がスッと消えて、気の置けない仲間との楽しいひと時を過ごしていた。そう、ついさっきまでは! ーーステーキを食べるために口を大きく開けていたイリーナとディグダムの動きがぴたりと止まっている……隣席から聞こえてくる話に耳を傾けているようだ。


 金髪で鼻ピアスをしている男性プレイヤーが豪快に喋っていた。酔っ払いらしい大袈裟な身振り手振りで話の登場人物を嘲笑している。どうやら、萬屋商会が雇ったシーフのザイガンは賞金首になったらしい。冒険者ギルドのウォンテッド掲示板に手配書が貼りだされていると言いながら愉快そうにバンバンとテーブルを叩いた。


 さらにザイガンと何かごたごたがあったのだろうか、彼は相席している3人と合唱するようにーーざまぁみろ! と叫んでいた。


 ディグダムはフォークに刺さっているミディアムレアの肉を見つめた。まったくもってザイガンに同情する余地はないが……公式に指名手配されたということは、今後、キャラクターを1つしか作れないこの世界でのゲームライフは困難を極めるだろう。憎たらしい笑顔が泣き顔になっているザイガンを想像して、小さなため息を吐いた。


「やれやれだな……。スキル悪用の代償ってやつだ」


 肉の旨さをじっくりと味わった後に、ビールを一気に喉に流し込んだ。ラガーのスッキリとしたのどごしが、あの最悪の出来事でしおれてしまった心を癒してくれた気がした。


「そういえばさ。人の家にグレネードグレ投げるとかビックリしたね」


 イリーナは隣席に聞こえないように小声で話すと、木製の深皿に盛られた枝豆を1つ取った。鞘を軽く押して口でキャッチしようとしたが、勢いよくすぽ~んっと飛び出した豆は元気よくテーブルを転がりーー地面に落ちてしまった。


「あぁ、あたしの焼き枝豆がぁ…」


 食感や味を楽しむ事ができるゲームは今となってはどのVRシンクロゲームでも当たり前になっている。さほど珍しく無くなったが、この神ノ箱庭の料理目当てにログインしてくるプレイヤーはまだまだ健在だった。ディグダムもそのうちの1人で、ファンサイトや名店巡りを発信しているSNSをたまにチェックしている。


 ディグダムはゲームを始めた頃から美味いもの食べる! というツアーをイリーナとしていた。ただ食べるだけじゃない、資金稼ぎのために料理人職が調理した料理にのみ付与されるバフ情報を集めていた。同じようなことをしているプレイヤーはたくさんいたが、ディグダムはきっちり料理人にインタビュー取材をして情報誌のようにまとめていた。


「スマホに撮影機能がないってホント困っちゃうよねぇ」


「そうだなイリーナ。バフ情報は必須だが、文字で美味しさが伝わるようにしないと駄目だな」


 カメラというアイテムが無いため、事細かに書いた文章は表現にも気を配った。何度も店を訪れて了承を貰ってから、ランドルに構えた店舗や行商で売りに出した。ありがたいことに顧客が付き、販売数はどんどん増えていった。


 つい最近も、お菓子の街アマリアでひっそりと営業していたビストロ店に出向いたばかりで、記事をまとめている最中なのだが……情報を出すことを許可してもらえるか心配だった。以前はもっと料理人職の店舗が巷に溢れていたため、流行る前の店をいち早く見つける楽しみがあった。店側も情報が出ることで顧客が増えて喜んでくれていた。


 それなのに……。


 シーフ職プレイヤーの悪い意味での活躍、つまり料理店強盗が流行ったことにより潰れる店舗が増え始めた。彼らは繁盛していそうな店を狙って忍び込み……経営資金が入っている金庫を開けて、売上金を巻き上げた。さらに、商品を根こそぎ奪って、遊び半分で店内を破壊する者もいた……。


 店舗での金銭取引方法を現実世界と似せていたことが仇になったようで、料理人プレイヤーがお金を回収する前を狙うという犯行は減ることがなかった。今は防犯システムのおかげで生き残っている店舗は多い。しかし、アイテムを奪われ店を壊されたプレイヤーは、この世界を去り、戻ることはなかった。


 ディグダムは不愉快な気分になる嫌な事件を思い出して、ジョッキを握る手に力が入った。


「シーフ職は、信用したらダメだな」


「危うく悪い事に巻き込まれるところだったよね。コワイコワイ……。どうしたの? 真顔になってるよ? 」


「俺は次からは絶対に、シーフ職は雇わない」


 イリーナは焼き枝豆を口に放り込みながら軽く眉間にしわを寄せた。上手く使えば荒稼ぎできるスキル解錠のせいで現在、このゲームのシーフ率は……5割だ。


 萬屋商会はまだスタートしたばかり……。弱小商会なら資金や商品を容易く奪えると考える不届き者も少なくない。街のあちらこちらには交番があるし、警官NPCが巡回しているからまだ安心だが、情報入手のためや、各村の特産品を買い付けに行く時などにはフィールドに出ることがある。


 まだまだこれからも、護衛を雇うことが多いというのに……。シーフ職以外のハンタークラスなんて、ほとんど古参だ。しかも彼らはダンジョン攻略が中心で、商人職のクエストはーーそうそう引き受けてくれない。


 機嫌が悪そうなディグダムをちらりと見た後に、イリーナは不満そうな声を出した。


「でもさぁ、それむずかしいんじゃない」

「それでも俺は絶対に雇わない」


 ディグダムの決意は固いようだった。イリーナはそれ以上は何も言わず、焼き枝豆が入った深皿を手に取って、彼の前に置いた。


「私そろそろ寝るから、これあげるっ」

「あぁ、ありがとな。それと、すまん……何ていうか、その……」


「気にしないで! ゆっくりまったりしてね。ばいばーい」


 ログアウトのエフェクトが青い光をキラキラと撒き散らしている。ディグダムが深皿に目を移すとーー底に申し訳なさそうに焼き枝豆が1つと豆粒が2つ転がっていた。どうみても食べきれなかった残りものに見える。


「……ったくしょうがないな」


 困った顔をしつつディグダムは豆粒を取った。いつもはイリーナがログアウトした後に現実世界に帰っていたが、今夜はもう少し飲みながらまったりしたい気分だった。追加注文した生ビールをごくごくと勢いよく飲んでプハァと声に出した。マンガのような仕草だが、ゲームの世界だからこそ気にせずにできる。


 ディグダムは琥珀色のビールをぼんやりと眺めながら、このゲームをプレイし始めたきっかけを思い出して笑みを浮かべた。


 イリーナはパソコンのオンラインゲームで知り合ったゲーム仲間だった。そろそろ3年の付き合いになる。互いに違うゲームを始めて疎遠になりそうだった頃に連絡がきたーー。


「ディグ、冒険者なんて他でいっぱいやったじゃん。私と一緒に商売やって、お金持ちになろうよ! 」


 単にパーティを組む仲間が欲しかっただけなのかもしれない。それでもディグダムはゲームに誘ってくれたのが嬉しかった。神ノ箱庭はゲーム内課金が多いと聞いていたため敬遠していたが、セールだったということもあり……彼はその場ですぐにゲームを購入した。


 久しぶりのイリーナとのボイスチャットでダウンロードしていることを告げると、彼女はかなり驚いていた。


「そんなにあたしが好きだったのか! 照れるぞっ」


 冗談だと分かっていたが、ディグダムは耳まで赤くなったのを覚えている。職業はもちろんイリーナと同じ商人にした。クエストを進めるのは困難を極めたが、どんな時でもいつも明るく前向きなイリーナが、ディグダムの苦を楽に変換した。 


 それに商人という職業には他職にはない便利な固有スキル宝船があった。1度でも訪れたことがある街ならば、戦闘状態にならない限り、いつでもどこからでもファストトラベルできる。   


 このスキルのおかげでフィールドを長々と旅することが少なくなり、各街で商店をオープンするのが楽になった。そうこうしているうちにやっと最近になって、イリーナと共に商会の立ち上げに成功した。


 その時ディグダムは、萬屋商会の目玉商品として扱うブランドについて、以前から、とある職人に目を付けていることを初めてイリーナに明かした。誰もが喉から手が出るほど欲しいというルードベキア……。彼の作品をぜひ扱いたいという気持ちが大きく膨らんでいた。


「花の名前だから絶対女の子だよ! ディグダムの魅力で誘惑だっ」


 イリーナは待ち合わせ場所へ向かう道中でそう言っていた。だが実際に会ってみれば眼鏡をかけた男だった。有名になった職人は狙われることが多いというから、見た目変更をしていたのかもしれない。だが、あの感じは絶対に……リアルでも男だ。賭けてもいい。


「やっとここまできたんだけどなぁ」


 音を聞けばいいアイデアがでるかもしれないと思って、ビールジョッキを指ではじいた。鈍い音がするだけで何も浮かばなかった。アルコールで酔ってきたのか独り言をつぶやいている。


「マキナさんと連絡取れないなら……恥を忍んで、銀獅子のマーフさんを頼ってーー。いや、職人を大事にしていてることで有名な商会だから、トラブった件を聞いたら……」


 ディグダムは門前払いされトボトボと暗い道を歩いている自分を想像して、ちょっぴり涙が出てきた。


「もっとーー情報が欲しい……」


 神ノ箱庭がオープンした当初、トレード掲示板や世界チャットがなかったことから、ダンジョンやクエスト攻略などの情報は高値で売り買いされ、特定のプレイヤー達のみが独占していた。今は公式サイトや非公認の掲示板が立ち上がったことにより、誰でも調べればある程度は知ることができる。


 だがディグダムが欲しいのは質の良いアイテムを作れる職人の情報だった。WEBサイトでアピールしているプレイヤーもいたが眉唾的な情報もかなり多かった。実際の最新情報は銀の翼獅商会がほぼ独占している。


 スタートダッシュの違いでここまで差が出るなんて……羨ましさを通り過ぎて嫉妬が生まれそうだ。ジョッキ内を気泡が踊りパチパチと軽い音を立てている。隣のテーブルではザイガンを罵ったプレイヤーが自分の武勇伝を語っていたーー。


 彼も、自分も、困難やアクシデントがあっても諦めず何度も立ち向かおうとするのはーー苦労の末に得た喜びを感じたいからだろう。ディグダムは深皿の底にある1粒の豆を右手で摘まんだ。これはもしかしたら、希望なのかもしれない。


 とはいえ、ここは現実世界とは違う。


 某サイトのレビューでVRシンクロゲーム神ノ箱庭はクソゲー認定されていた。理不尽で制約が多いこのゲームを続けることに意味はあるのだろうか。


 ーーイリーナがログインする限り、俺はこのゲームを止めないだろうな。


 気恥ずかしくなったディグダムは逃げるようにカウンターへ移動して、新たに生ビールを注文した。バーテンダーNPCがビールサーバーから綺麗な泡を作り、琥珀色の液体をジョッキに注いでいる。テーブルに出されるとすぐに、ぐいっといっきに飲み干した。


「すみません、もう1杯」

「やぁ、こんばんは。良い飲みっぷりだね」


 カウンター席で飲んでいた男性プレイヤーがディグダムに陽気に挨拶をした。彼は足元にいる白毛で黒い縞のある虎を撫でながら、楽しそうに笑っている。


 ペットアイテムかと思ったが腰にぶら下げているウィップを見て、ディグダムはピンときた。虎にスキル鑑定眼をコッソリ使って、息が止まりそうになった。


 ーー白虎だなんてレア中のレアじゃないか! しかもテイマーは滅多にお目にかかれない、レア職……。ぜひ話をしてみたい。


 ディグダムは早くなる鼓動を感じながら、開いている椅子の背もたれに手をかけた。初めて見る白虎を前にして緊張している。


「良い毛並みの隷属獣ですね。隣に座っても? 」


「もちろん、どうぞ。ははは、隷属獣だとよく分かりましたね。本当はもっとでかいんですよ。ちょっといろいろありまして。あっはっは」


 何があったのか気にはなったが、聞かない方が良さそうだ。彼は少し哀しそうな瞳をディグダムに向けていた。


「えっと、明日メンテ明けに来る大型アップデート、楽しみですね。公式サイトで事前情報、見ました?」


「今回は今までにない規模でかなり気合が入ってるっぽいですよね。新しいクエスト配布NPCがシークレットっていうのが気になって仕方ないですよ。俺の予想だとーー」


 ディグダムが投げた話題にさっき出会ったばかりとは思えないほどのノリで、彼は笑いながら会話のボールを返した。さらにアルコールが進み……つい最近あった体験談を喋り始めた。


「……ひっくっ。聞いてくれよ、俺の上司がさぁ。飲みにケーションの3次会まで連れまわした挙句、誰もいない真っ暗なオフィス街でーー走りながら服を脱ぎ始めたんだよ! あっはっはっ!」


「それでさぁ、俺はどうしたと思う? その上司の点々と脱ぎ捨てられた服を拾って『服を着てくださ~い! 』って叫びながら、必死で追いかけたんだよ! 笑えるだろ? 」


「あはははっ。マンガみたいですね」


「だろう? でも本当にあった話なんだよ。真夜中に裸で走り回る上司ってどうよーーぶはっ、ぶははは。それでさ、その後ーー」


 意気投合した彼との会話をディグダムは大いに楽しみ、大笑いした。たまにはこういうのも良いものだ。すっかり酔っぱらったディグダムはまた飲もうと言って別れた後、マイルームのベッドに流れ込むように倒れーーそのままぐっすりと眠ってしまった。



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