第37話 きゅー!きゅー!きゅー!

「ルードベキアさん、あそこ見て下さい! 宝箱がありますよ。ほらっほらっ」


 次のエリアに移動できる船着き場よりも、ほんの少し手前にあるココナツの根元に宝箱がぽつんと佇んでいた。こっちにおいでと手招きをするかのようにキラキラと黄金色に輝いている。パキラは今度こそ逃がすものかと、がっちりとルードベキアの腕を両手で掴んで引っ張った。


「何が入っているか楽しみですねっ」

「パキラさん、待って。鑑定スクロを出すからーー」


 ルードベキアはクエストアイテムのラブチョコで交換した鑑定スクロールを取り出そうとスマホのインベントリを開けた。しかし、そのアイテムを使うよりも先にパキラが宝箱のフタに右手を伸ばしていたーー。


「開けますね! 」

「え!? ちょっーー」


 2人の足元に出現した魔法陣が紫色の光が噴き出すように輝いている。嫌な予感がしたルードベキアはペンダントのようにぶら下げていたお守り代わりの笛を勢いよく引っ張った。銀色の鎖が、ぶちっと音立ててーー宙を舞うように飛んだ。


 眩しくて目を閉じていたパキラは何が何だか分からず……キョトンとしていた。巨大な宝箱と自分サイズのバッタに驚いて、後ろにぴょんとジャンプしてすぐに、口の中に違和感を覚えた。


 ーー何かが入っている……。


 ゲホッと吐き出すと、ヒマワリの種らしきものがポロンと地面に転がった。触った頬はまだぷっくりとしている。さらに人参とトウモロコシ、サツマイモの欠片のようなものが出てきた。


 ーーえ!? どういうこと? ってか何よ、この手っ。


 どうみても人の手ではなく何かの動物のものだった。その手で身体のあちこちを触りながら、チェックしている。お腹辺りはふわっとした白くて柔らかい毛だったが、お尻や背中は茶色だった。

 

 はたから見れば、ずんぐりむっくりな愛らしい容姿にほっこりしたことだろう。きっとカナデやスタンピートがいたら、可愛いと言って頭を撫でていたはずだ。だが、パキラは愕然としすぎて考える余裕がまったくなかった。ぽてっと座って、お腹の毛をじっと見つめている。


 ーーなんでこんな体になってるのよぉ……。ま、まさか……この宝箱、呪い箱だったの? 


 パキラはヒマワリの種と巨大な宝箱を交互に眺めて、自分がハムスターのような小動物になったことやっと理解した。それならば、ルードベキアはどうなったのだろうか……。髭を小刻みに揺らしながらきょろきょろと辺りを見回した。


 ルードベキアは小さくなったパキラの背後で仰向けに倒れていた。頭を少し右に倒して目を閉じている。意識を失っているのか単に寝ているのかわからないが、パキラは声を振り絞った。


「きゅー! きゅー! きゅー! 」


 助けて下さいと言ったはずなのに、人の言葉は出なかった。何度頑張っても、ハムスターのような鳴き声しか出ない。焦りが募り、落ち着きなくちょこちょこと歩き回っている。ふと、彼が見覚えがあるアイテムを右手に握っていることに気が付いた。


 ーーあれって、もしかして緊急支援の笛!? 


 パキラはちっちゃな手で大きな小指の爪の辺りを持つと、指が開くようにグイっと押した。他の指も自然と動いて、銀色の笛がルードベキアの手からこぼれ落ちた。


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「ルー! 」


 緊急支援の笛によって開いたポータルからカナリアが飛び出した。彼女はスクロールを落として魔法壁を展開すると、シーフ職のスキル探索を発動した。しばらく周囲を警戒していたが、敵は見当たらなかった。


 宝箱のフタが開いているのを見て察したカナリアは倒れているルードベキアの傍で膝をついた。彼の頬をペチペチと叩いている。


「ルー、大丈夫? 起きて! まさか……意識がないの!?  ルー! 」


 カナリアの必死の呼びかけに応えることなく、ルードベキアはぐったりとしたままだった。ショコラダンジョンにある宝箱の呪いでこんなことになるなんて聞いたことがない……。カナリアは震える手を抑えて、情報を得るためにスマホを取り出した。


 その一方で、ハムスターパキラは咄嗟に逃げ込んだ宝箱の傍で鼻をひくひく動かしていた。助けを求めるタイミングを見計らっていたのだが、今なら踏みつぶされる危険がなさそうだ。座っているカナリアにタタタタタと4つ足で駆け寄り、きゅーきゅーと鳴きながら彼女の膝を叩いた。


 ーーカナリアさん、助けてください! 私、パキラです! 


 必死に何かを訴えているような仕草に目を丸くしながらも、カナリアはすぐにこのハムスターはプレイヤーだと悟った。柔らかな微笑みを向けている。


「プレイヤーなんですね。私の言葉は分かりますか? イエスなら声を出して下さい」


「きゅっ」


「人の言葉が喋れないだけなんですね。えっと……」


 カナリアは左の腰と太ももに密着するように装着している革製のバッグから、解呪の巻物を取り出して使用説明書をじっと見つめた。どうやらダンジョンを出ないとこれは使えないようだ。そのことを説明すると、ハムスターは目の辺りに両手を置いて悲しそうな鳴き声を上げた。


「もう少しだけ待ってくださいね。さっきフレンドさんにーー」


 ぽてっと座っていたハムスターが急にぷるぷると小刻みに震え始めた。両前足を胸に当てて、カナリアをじっと見つめている様子から、寒いのではなく怖いようだ。カナリアがそっと手のひらを地面に置くと、ハムスターはすぐさまよじ登り、大きな親指に抱き着いた。


「きゅー……」


「私があなたを守りますから、大丈夫ですよ。ーーあっ、フレさんから連絡が決ました。えっと……不測の事態が起きた時は、トーテムポールにある緊急ボタンをーーあぁ、なるほど。気が付かなかったわ」


 右手にスマホを持ったまま、カナリアは目を凝らしてトーテムポールを探した。だが、生い茂る樹木に邪魔されて見つけることができない。


「座ったままじゃダメね……。ハムスターさん、トーテムポールを探しに行くのでここで待っててもらえますか? 」


「きゅきゅ」


 ハムスターはカナリアの親指をしっかり握ったまま首を横に振っている。


「一緒に行きたいんですね? では、指にしっかり掴ってて下さいね」


 ゆっくりと立ちあがったカナリアは念のためにルードベキア上にプロテクトスクロールをぽとりと落とした。左手のひらにいるハムスターは高さに怯えることなく右前足伸ばしている。トーテムポールの場所をカナリアに教えているようだ。


「ありがとうございます。こっちに行けばいいんですね」


 そう言って、ものの数分もしないうちに船着き場にたどり着いてしまった。あまりの近さに思わずカナリアはクスクスと笑いを漏らしている。どうやら自分たちはトーテムポール裏側にいたようだ。茂みに頭を突っ込むとフタが開いた宝箱が見えた。


「こんな近かったなんて……。さてと、緊急ボタンは……トーテムポールの裏側だったわね」


 緊急ボタンを押してすぐに、誘導案内NPCが現れた。一般的な警備服に身を包んだ彼は守ってもらえそうだと安心してしまうほど、逆三角形のがっちりとした体格だった。


「こんにちは。誘導案内役のリヒトと申します。ご用件をどうぞ」

「はい、実はーー」


 カナリアが事情を話している間、ハムスターは両手でムニムニと柔らかい頬を触っていた。ダンジョンから出られると分かって、ホッとしていたはずなのに、どうしても落ち着かない。自責の念と後悔が入り混じった石に押しつぶされそうで……身体がまた震え始めた。


 ハムスターが小さく丸くなって元気が無さそうな様子に、心配になったカナリアは柔らかい毛が生えている小さな頭を優しく撫でた。心地よかったのか、ハムスターはそのままスーと寝息を立てて眠ってしまった。



「カナリアさま、ご説明ありがとうございます。ではルードベキアさまの状態を確認させていただきます」


 茂みを突き抜けた誘導案内NPCリヒトはルードベキアの頭や首に触れながら、胸元に装着しているトランシーバで通話を始めた。ダンジョンの外にいる救護NPCと連絡をとっているようだ。しばらく症状についてなどのやり取りをした後に、カナリアに微笑みかけた。


「お待たせしました。では出口にご案内します。只今このダンジョンは外敵はおろか、びっくりシステムも全て停止しておりますので、ご安心下さい。ルードべキアさまは私がお運び致します」


「良かった……。ハムスターさん、ダンジョンの外に出たら、すぐに解呪の巻物をお渡ししますね」


 ハムスターはスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。カナリアは左手の上に優しく包み込むように右手をかぶせると、ルードベキアを姫抱っこして歩いている誘導案内NPCの後に続いて避難用出口に向かった。



 救護テントに運ばれたルードベキアはベッドに寝かされた。カナリアが解呪の巻物を手に握らせているというのに、意識を取り戻す気配がなかった。心配して駆けつけたボーノは腕組みをしながら首を傾げて、ルードベキアの顔を覗き込んだ。


「これ、宝箱の呪いなんでしょ? なんで解けないんですかね? 」

「看護NPCにも分からないみたいなの」


「バグですかね。マキナさんは? 」

「たぶん、もうすぐ来ると思うんだけど……」


 2人の会話を聞いていたパキラは救護テントの入り口付近で立ったまま鼻をすすっていた。涙をこらえていたが、知らせを受けて救護テントに入ってきたカナデとスタンピートの顔を見た途端にわっと声を上げて泣き出した。


 ハンカチを出したままオロオロしている彼らの前で、ごめんなさいという言葉を何度も繰り返している。


「ーーごめんなさい。私が……話を聞かないでーー箱を開けちゃったからーー私のせいなの……」


「パキラ、あんまり自分を責めるのはーー」


「ルードベキアさんはカナデのお師匠さんなのに……。こんなことになるなんてーー」


 肩を震わせて、さらに大声でパキラは泣き始めた。何もできない上に後悔の念しか湧いてこない状態がつらくて涙しか出てこない。カナデから渡された唐草模様の手ぬぐいでごしごしと顔を擦って顔を上げると……ルードベキアの傍にいたはずのカナリアがいつの間にかパキラの前に立っていた。


 叩かれる……そう思って咄嗟にぎゅっと瞼を閉じた……。


 しかし頬に痛みを感じる事なく、柑橘系の良い香りと暖かさに包まれた。パキラはハムスターだった時に感じた心地良さを思い出して、背中を優しくポンポンと叩いているカナリアにしがみついた。


「カナリアさん……ごめんなさい……」

「ルーはすぐに目を覚ますから大丈夫よ。後は私に任せて」


 パキラは頬に当たるカナリアのサファイアのイヤリングのひんやりとした感触を覚えながら、こくりと頷いた。



 少し落ち着きを取り戻したパキラにホッとしたスタンピートが笑みを浮かべている頃、カナデはルードべキアの傍で怪訝そうな表情を浮べていた。目を凝らしてじっくり見ないと分からないが、錠前のようなアイコンがルードべキアの心臓の辺りに張り付いている。


「ボーノさん、これ、何でしょうか? 」


「ん? どれだい? あぁ、スクロの収納ベルトに鎖が引っかかってるね。笛をぶら下げてたやつじゃないかな」


 ボーノは短くなった鎖を取って、ルードべキアのコートのポケットに入れた。どうやら、あのアイコンはカナデにしか見えないようだ。カナデは頭上で帽子のようにじっとしていたビビを腕に抱えて、コッソリと錆色の耳に囁いた。


 ーービビ、アレが何か分かる? 


 だが、ビビは猫らしいあくびをするだけで何も応えなかった。カナデから視線を逸らして、眠そうに目を細くしている。聞き出そうと思ってコソコソ話しかけている最中に、スタンピートに背中をポンっと叩かれた。


「カナデ、そろそろ俺らは退場しよう」

「えっと……」


「ここにいても何も出来ないし、パキラのメンタルも心配だから外に出た方が良いと思うんだ」


 カナデは重い足取りで救護テントの外に出た。弱々しい微笑みを浮かべているパキラと彼女を慰めようとしているスタンピートの会話を聞き流して、考え込んでいる。


 押し黙っているカナデに不安になったのか、パキラはスタンピートから貰ったアイスコーヒーを両手で持って、申し訳なさそうに下を向いた。


「心配だよね。カナデ、本当にごめんね……」

「パキラのせいじゃないよ。たぶんーー何かのバグだと思う」


「カナデは、もしかしてパソとか詳しいの? 」

「……僕、ちょっと調べたいことがあるから、今日はもう帰るね。じゃあ、また」


「え? カナデ? おつ、かれ……さま」


 カナデはキョトン顔しているパキラとスタンピート置いて、プレイヤーだらけのバレンタインイベント会場を後にした。


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