第36話 皆んなに内緒のバレンタインデート

 バレンタインイベント最終日という事もあり、ショコラダンジョンの扉がある大型テント周辺は沢山のプレイヤーたちで溢れていた。天幕の中に掃除機があるんじゃないかと思うぐらい、人々が次々に吸い込まれている。


 パーティリーダーになったパキラもウキウキしながらテントに入った。白い扉に表示されているレベル30のボタンを何も考えずに押してドアノブに手を掛けた。


 白い門の前に着いてすぐに、あっーーという声を漏らした。ルードべキアにダンジョンのレベル帯を相談してない……。パキラは上目遣いでルードベキアの顔を見つめながら、彼のコートの袖を左手で摘まんだ。


「ごめんなさい、ダンジョンレベルを30にしちゃいました。大丈夫ですか? 」


「……問題ないです」


「ありがとうございますっ。あ、私、ここの風船を割るお題、好きなんですっ」


 パキラは最初のエリアに入るために白い扉を開ける時まで、しっかりぴったりステッカーのようにルードベキアにくっついた。ルードベキアの表情は曇っていたが、彼女はまったく気にしていなかった。


 ーーはぁ~……。クールビューティキタコレ、萌えるぅ。


 終始こんな感じで、例の如くミニミニパキラが『ツンデレ属性』というビラを振りまいていた。大きなグッドサインを心の中に描きながら、公式萌えキャラアイドルらいなたんのカウントを聞いている。砕け散る白い門扉に驚いたふりをして、ぎゅっとルードベキアの腕を両手で握りしめた。


「分かってても、このシーンってびっくりしちゃいますよね」


 ハートの風船を壊してポイントを稼ぐエリアだというのに……離れようとしないパキラにルードベキアはほとほと困り果てていた。露骨に嫌そうな顔をしないようにしていたが、無理に笑顔を作ることもしなかった。会社の上司を相手にしているような気持ちでぐっとこらえている。


「あの……腕を離してもらえますか? この状態だと風船が割れないのでーー」


「あっ、そうですよね。ごめんなさい」


 はにかむ笑顔を見せたパキラはぱっと手を放して、すぐ傍にあるハートの風船に抱きついた。両手で少し力を入れればすぐに壊れる風船がパンッという小気味良い音を立てている。ピンク色の小さなハートが飛び出すエフェクトがパキラの幸せゲージの100パーセント限界突破した。


 ドーンと次々に花火が打ち上げられ、小さな天使たちがパキラを祝福をするように花びらを投げている。そんな想像をしながら噴水前にあるハートの風船に視線を向けた。


 ーーこんな風に、抱き着いちゃってもいいかなぁ。ぐひっぐひっ。


 パキラはにやけながら、風船にルードベキアの姿を重ねて思いっきり飛びついた。だが、ジャンプタイミングが早すぎたのか、風船はつるんと上に逃げてしまった。挙句、身体はバランスが崩して転びそうになっている。


 慌てて出した右足で転ばないように必死に踏ん張ってはいるのだが……このままだと頭から噴水の中に落ちてしまいそうだ。


 ーーせっかく頑張っておめかししてきたのに! 


 危機感を覚えて焦っていると、ぐらぐらと揺れていたパキラの身体がピタッと止まった。


「パキラさん、大丈夫かい? 」

「ルードベキアさん!? 」


 パキラは腰を支える手のぬくもりを感じて、顔が熱くなった。失神してしまいそうだったが、脳裏で響くリンゴーンという教会の鐘がなんとか意識を引き戻していた。


「……ありがとう」

「危うく噴水に落ちそうだったね。すぐに気が付かなくてごめんね」


「いいえ、ルードベキアさんが助けてくれたからーー。あっ」


 自然に身体を引き寄せられたパキラは驚きつつも幸せを噛みしめた。身体が湿っぽくて、鉛がぶら下がっているかのように重い服が気になったが、ルードベキアの瞳を見つめてるうちに、そんなことはどうでも良くなった。


「パキラさんがあまりにも可愛くて、つい……。嫌だったかな……」

「いいえ嬉しいです。もっと強く抱きしめてください」


 恋人繋ぎをした左手をきゅっと握り、じっとりと濡れて冷たい彼の胸に頬を乗せてもたれた。


「……パキラさん」

「パキラって、呼んで下さい」


「僕のことはルーって呼んでくれるかな」


 ルードベキアはパキラの頬に左手を添えて見つめ……え~っと、それからーーパキラは目をそっと閉じた……彼らは互いの唇をーーぐふっ、ぐふふっ。


 バンッ、バンッ! 


 勢いよく風船が割れる音が響き渡った。パキラにとってかなり期待が出来る良い場面だったというのに、邪魔するように何度も聞こえている。いら立ちを覚えて目を開けると、ルードベキアが無表情でハート型の風船を淡々と割っていた。


 じゃばじゃばと頭に落ちてくる水の冷たさで、パキラはぶるっと身体を震わせた。ずぶ濡れになった新品のバレンタイン限定衣装が重たくて、なかなか立ち上がれない。噴水で藻掻きながら、ルードベキアに『察して視線』を送ったが……。


 ルードベキアは効率的に風船を割る方法に夢中で、まったくもってパキラが眼に入っていない。やがて、やっとの思いで水から這い出したパキラはーー思わず心の声を漏らした。


「アウトオブ眼中かよ! 」



 パキラの声はスコアを眺めるルードベキアに耳には届いていなかった。だが、殺気立った視線と言うか……何かを感じたのか、ルードベキアは思い出したようにパキラの姿を探したーー。


 パキラは全身びしょ濡れでぽたぽたと石畳に雫を落としている。


 そう言えばスタートしてすぐに噴水に飛び込んでいたような……。ルードベキアは目線をパキラから外し、グーにした左手で笑いが漏れそうになった口元を隠した。


「えっと……。パキラさん、どうしました? 」

「……ちょっと、転んでしまいましてーー。へくしゅっ」


「クリーニングアイテムは持ってますよね? ゲームだから風邪を引くことはないけど、水分を含んだ服のままだと動きが鈍るから、早く使った方が良いですよ」


「え。あ、ハイ……ソウデスネ」


 パキラは不満げな顔で、スマホから服が汚れた時などに使用するクリーニングアイテムキットを取り出した。ルードベキアが言っていることは正論だが、自分が期待していた言葉ではなかった。小さなため息を漏らしながら、手のひらに乗るドラム式洗濯機のスイッチを押している。


 ーーこういう時ってさ、男性がささっとハンカチやアイテムを出して、どうぞとか言わないの? 


 クリーニングアイテムキットには洗濯板がたらいに入っている消耗品型もあった。パキラは何度もそれを使うのは馬鹿馬鹿しい気がして、ずいぶん前に帰属型を手に入れていた。……そう、確かに持っていたがーー。


 ーー女子を手助けしないで見ているだけって何なの!?


 ずぶ濡れのままでいれば、ルードベキアが優しくしてくれると思っていたのに……予想が外れてがっくりと肩を落としている。姫プレイを期待していたわけではない。それでもペアでダンジョンに潜っているのだから、もう少し気を使ってくれてもいいのではないだろうか。


 悶々とそんなことを考えながら、ふわっと若葉が風に乗って飛ぶエフェクトを見ていた。汚れが取れて乾燥された肌触りの良いシャツに、自然と顔がほころんだ。だがすぐに……腑に落ちないという感情がパキラの眉間にしわをつくり、モヤモヤ袋を膨らませた。


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 仲を深めるチャンスだと思っていた絶叫滑り台はパキラが声をかける前に、ルードベキアは単身で飛び込んでしまった。逃げるように速足で行ってしまった彼は本当にツンデレ属性なのだろうか……。ふっと浮かんだ疑問が書かれたプラカードをミニミニパキラがずぼって引き抜いた。ふんわりと笑いながら、パキラに小さな手を振っている。


「そうだよね。悪いことを考えるのは止めよう! 」


 脳内会議を終えたパキラは胸の前で右腕と左腕を交差させるツタンカーメンのポーズをとって目を閉じると、木製の筒の中を滑り降りて行った。着地前にスカートが捲れているのではないかと心配になったが、一糸乱れず砂浜に降り立った。


 そこはさすが神ノ箱庭の世界! と言うべきか、きゃっえっちぃみたいなドッキリエロチズムシーンは起きない仕様になっているようだ。スカートの中身が見えたとしても、黒いレギンスを着用しているため、このゲームでレースのパンチラを拝むことは出来ない。


 パキラが複雑な表情をして考え込んでいる間に、ルードベキアは無言でスマホから銃器を取り出していた。彼はロケットランチャー式種子島を構えたかと思うと、上空に見える『甘いハチミツ』の巣に炎属性のロケット弾打ち込んだ。


 蜂の巣がバラバラになって消滅するエフェクトと重なるように、蜂たちが爆発に巻き込まれて霧散している。レベル50のカンストにとって、レベル30ダンジョンのモンスターなど赤子の手をひねるほど簡単なことだった。それなのにパキラは感嘆の声をあげて、大げさに手を叩いている。


 必死に雰囲気を盛り上げようとしているのは分かるが、早くダンジョンから出たいルードベキアの心には響かなかった。


「いや、そんなに凄くないからーー」


「そんなことはないです! だって1撃ですよ! こんなに簡単に倒せちゃうなんてすごいですよっ」


「カンストだったら誰でも出来ーー」


「ルードベキアさん、この先にキモ可愛熊かわくまがいるんですよねっ。屋台で縫いぐるみが売ってるって知ってます? 結構、可愛いんですよ」


「……あぁ、うん」


「昨日、ゲットしてマイルームに飾ってるんです。その時、この衣装も一緒に買ったんですけど……あの、どう、でしょうか……。その……似合ってますか? 」


 パキラはもじもじしながら、スマホを操作しているルードベキアの右腕の隙間をロックオンしていた。目をきらりと光らせて素早く左手を突っ込もうとしたその時、ルードベキアが駆け出した。パキラの伸ばした手は空気を掴み、身体はバランスを崩してべしゃっと地面に転がった。


「痛っ。思ったよりも痛くないけど……痛ぁい! いたぁい! ですぅ……」


 両手で顔を覆って、指の隙間からちらっと前方を見ると、ルードベキアは振り返ることなくピンク色のクマに向かって突進していた。


 トロピカルな植物の間をドンッという銃声音が鮮やかな葉を揺らしながら走り抜けている。さらに響いたドンッドンッと音に驚いたのか、カラフルなオウムがバサバサと森を駆け抜け、壺のような形をした巨大な食虫植物のフタがぱたんと閉じた。


 小道の先にある少し開けた場所でアイラブベアだった肉の塊が空中で消えていた。座り込んでいるパキラを置いたまま、ルードベキアはどんどん先に進んでいる。小道から外れると発動するドッキリシステムで、きゃっきゃっうふふする予定だったというのに……。パキラのモヤモヤ袋がさらに大きく膨らんだ。


 ーーちぇっ。1人で先に行くとかありえなくない? 全然、喋らないし、なんかがっかりだな……。


 ずっと妄想で語り合っていたルードベキアとあまりにも違いすぎる彼に落胆しつつも、パキラは必死に追いかけた。まだチャンスはある……。


 パキラはスタンピートが知ったら呆れるを通り越して、説教するであろう計画の成功を思い浮かべーーニタニタと笑った。

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