第44話 新しいクエスト配布NPC(上)

 メンテナンスが明けて1時間過ぎたVRゲーム神の箱庭はどの街もプレイヤーだらけで賑やかだった。特にガロンディアの街は多くのプレイヤーが拠点にしていることもあり、ことさら混雑している。ファストトラベル地点がある教会付近は待ち合わせをしているプレイヤーが多く見られた。


 マキナは屋台が立ち並ぶ賑やかな大通りを一瞥して小さなため息を吐くと、スマホを取り出した。あまりの人の多さにうんざりしたような表情を浮かべている。


「これだからアプデ初日は嫌なんだよ……」


 気持ちと相反した楽し気な雰囲気が、憂鬱という風になってマキナの身体にまとわりついた。さらに不安感が蛇に変化して首に巻き付いているような気分になっていた。現実世界で目覚めないルードベキアのことが心配で胸が苦しい。

 

 スマホのフレンドリストに表示されているルードベキアの居場所に驚いて目を見開いた。なぜこんなところに……一瞬、表情を曇らせたが、逆にここで良かったと思い直した。招待されないと入れないマイルームのような場所だったら完全にアウトだったからだ。


「……診療所にいるってことは、やっぱりバグが何かでトラブってるのか。ルーからのメッセージがないし、かなり深刻なのかもしれない」


 ルードベキアにメッセージを送ろうと文字を打ち込み始めてすぐに手を止めた。『だ』を連発した後に、『だいぶ』や『だいだら』になってしまって、まともに書けない。思った以上に動揺している……。マキナは『急がば回れ』と筆文字で書かれたTシャツの胸元を、震える右手で強く握りしめた。


 ーー落ち着け……落ち着くんだ。


 何度も自分にそう言い聞かせながら軽く深呼吸をすると、スマホを左手でにぎりしまたまま診療所がある方向に目を移した。現実世界にいる時の方がまだ冷静だったというのに……。マキナは時間が経つにつれて大きくなった不安感に侵食されている自分に苛立ち覚えた。


 そう言えば総司のクルマが追突された事故を聞いた時も同じように震えが止まらなかった。目の前が真っ暗になって、妹の京子に支えられた。不甲斐ないと思ったが、大事な従弟を失ってしまうのではないかという喪失感は想像以上だった……。


 マキナのメンタルにダメージを与えるほどルードベキアの存在は大きかった。絶対に失いたくないという気持ちばかりが先走って、思うように身体をコントロールできない。


 ーーくそっ、手がまだ駄目だな。これなら診療所に行った方が早い」


 ゲーム会社の運営が管理する診療所は商業地区の裏通りにある。教会からは大通りの右手にあるリアルマネーしか使えない店を眺めながら走って行けば、5分ぐらいで着くはずだ。だが今日は大型アップデートで人が多い……七夕や三社祭ほどではないが走る抜けるのは難しい。


「急いでる時にかぎって、いつもこうなんだよな」


 誰もかれもが笑っている人混みを、マキナは悲しそうな表情で歩いている。時折り、不安で押しつぶされそうになる心が口から息となって吐き出ていた。焦る気持ちが抑えられず、前方をあるくプレイヤー2人組を抜かすために左の隙間に足を進めた。


「あっーー」

「ーーきゃぁ」


 気付いた時にはすでに遅かったーー。マキナは緑髪のボフヘアの女性プレイヤーと正面衝突を起こして、軽く後ろに仰け反った。石畳に『らいなたん人形』が転がり落ちている。マキナは他者に踏まれそうな人形を焦ったように拾うと、尻もちをついた女性に手を差し伸べた。


「ちゃんと前を見てなくて、すいません」


「私こそーーあ、ごめんなさいっ。さっき屋台でつけたお試しリップがTシャツに……」


 起き上がった女性プレイヤーは慌てたように猫を模したカバンに手を入れている。申し訳なさそうに眉尻を下げて、軽く頭を下げたマキナにクリーニングキットアイテムを渡そうとしているようだ。


「あっ、大丈夫です。クリーニングアイテムはもってるので気にしないで下さい。ぶつかって、ホントすみません。では失礼しますっ」


 胸元にべったりと赤い唇のマークが付いていたが、マキナはそそくさとその場から離れた。クリーニングする時間を惜しんで、人の隙間を縫うように速足で歩いている。ルードベキアがいる診療所に早くたどり着きたい……彼にしか見えない光る蟲の群が進むべき道を示すように飛んでいたーー。


「いつもならすぐに着く距離なのに……。ルーはまだ診療所か? 」


 ながらスマホは良くないと思いつつも、マキナはフレンドリストを見ずにはいられなかった。ルードベキアの所在地は診療所から動いていなかった。あの角を右に曲がれば裏道に入れるーーそう思った時、賑やかな大通りにスマホの着信音が鳴り響いた。


 ルードベキアからだと思って即座に画面を見たがーーすぐにがっかりしたような表情を浮かべた。大きなため息を吐きながら、ディグダムからのメッセージに目を移した。


「え? ログアウトが出来ない? 昨夜にゲーム内で寝て起きたら昼過ぎだったってーー今日の午前中メンテがあったのに変だな……。なんで強制ログアウトしてないんだ? まさか、ルーも……」


 マキナのスマホにはログアウトボタンがしっかりと存在していた。どういう事なのだろうかと考えている間に、メッセージが次々に表示された。ヘルプセンターと診療所が閉鎖されているらしい。ディグダムはその文章からも察することができるぐらいパニックを起こしているように見えた。


「ディグダムさん、大丈夫かな。心配っちゃ心配だけど……。ゆっくりメッセのやり取りしてる暇はないからーー」


 ディグダムはマキナと直接会って話をしたいようだったが、今はルードべキアの事で手一杯だった。申し訳ないと思いつつ、震えが止まった手でスマホの画面を叩いた。


「タライ回し的でホント申し訳ないけど、銀獅子のマーフかヨハンに連絡をとってもらおう」


 取り合えず、こういう時は情報を早く入手できる銀の獅子商会に相談するのが1番良い。そう返事を書くと、マキナはアップデートを楽しむプレイヤーたちの間をすり抜けて、診療所のある通りに入った。



「お花はいかがですか? 」


 進路を邪魔するようにマキナの前に出た花売りNPCが白いガーベラの花を見せている。愛想笑いをして通りすぎると、今度はピエロNPCが立ち塞がって風船を差し出してきた。


 急いでいる時に限ってーーというタイトルの書籍がマキナの脳裏にポンと浮かんで、フッと笑いを漏らした。その本は現実世界でルードベキアこと総司が趣味で書いた短編小説が出版されたものだった。総司はフィクションだと言っていたが、話のネタを知っているマキナは自分に似た主人公に照れくささを感じていた。


 診療所に着いたら、道中話をあいつに語ってやろう。大笑いするルードベキアを想像して、マキナは受け取って欲しそうなピエロNPCに笑顔を向けた。


「俺には必要ないからーーごめんなさい」


 ピエロNPCは残念そうにしていたが、『ちょーだい』と手を伸ばす少女に気を取り直したように微笑みながら風船を渡した。少女は受け取ってすぐに駆け出しーー先を急ぐマキナに思いっきりぶつかった。


「あっ! っと。ごめんね」

「あぁ……わたしの風船がーー」


 小さな手から逃げ出した黄色い風船が疑似太陽に向かって上昇している。少女は目に薄っすらと涙を浮かべて今にも泣き出しそうだ。慌てたマキナは赤い風船をピエロから受け取って、彼女の前でしゃがんだ。


「ごめんね。この風船をどうぞ」

「お兄さん、ありがとう」


 にっこりと嬉しそうに微笑んだ少女は……マキナの首元に手を回して抱き着くと、砂嵐のような音を混ぜた声で囁いた。


「……サーッ……ザッザザザ条悟ーー」

「なっーー」


 マキナは耳障りなノイズ音に思わず顔をしかめた。違和感と覚えて、咄嗟に立ちあがろうとしたが、縄で縛られているかのように身体がまったく動かない。


あるじのザッザザザッめに受け取れ」

「何を言っーー」


「ザッザザザッザッに祝福ザザッーー」

「うぅ……頭がーー」


 耳の奥で鈴の音が騒ぐように鳴り響ている。それはマキナの思考を停止させるほどの激しい頭痛を引き起こしていた。眉間に深い溝を作って苦しそうに呻いているマキナに、少女は赤いキスマークがついたTシャツに、右手に持っていた黄金色の鈴を押し付けた。


ドーン! パラパラ。


 ガロンディアの街の夜空に艶やかな花火が咲き乱れた。風船を貰うためにピエロNPCに集まっていたプレイヤーたちが歓声を上げている。プレイヤーに渡そうとした風船の行き場が無くなったピエロNPCは少し困ったような表情を浮かべたが、『ちょーだい』と言う少女に気が付き、笑顔で差しだした。


「ありがとう」


 少女は嬉しそうに青い風船を引っ張りながら大通りへ走って行った。



 オルゴールの音が響いている。暗闇の中で目を凝らしても何も見えず、どこから流れているか分からない。段々とその曲のテンポはゆっくりになって……止まったーー。紙をめくる音と子どもたちのはしゃぎ声に交じって、男の低い声が聞こえてきた。


「昔々あるところに仲のいい兄妹がーー。ザザッザザザッ……ザザッザザ、ザザザッ」



「お兄ちゃん? 大丈夫? 」

「うんーー」


 妹の名前を言いかけてハッとした。ダメだ名前を言ってはいけない、それを言ったら帰れなくなる。ーー帰るだって? いったいどこへ? 


 ぼんやとしていて何も思い出せない。記憶の引き出しは鍵が掛かっているのか開かなかった。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫? 今日は怪物退治は止めた方がいいんじゃない? 」


「心配かけてごめんね。大丈夫だから行ってくるよ」


「今日のお昼はソ-セージ入りスープを作るから楽しみにしててね。さぁ、お人形さん、お兄ちゃんに『いってらっしゃい』を言うのよ」


「オニイチャン、イッテラッシャイ」


 ザザッザザザ、ザザザッ。ッザザザ……。街中を歩いていたはずなのに、砂嵐のような音と同時に暗闇に包まれた。しばらくすると、籠を持ったピエロが子どもたちに菓子を配っている様子がぼんやりと浮かびあがった。


「お菓子をどうぞ」


 疑問にも思わずにソレを受け取って口に放り込んだ。いつの間にかライトに照らし出された円形舞台ではーーピエロが深々とお辞儀をしていた。映画を見ているような……いや、どちらかというと夢のような感覚に近いかもしれない。そう思えるほど現実感がなかった。


 どこから出したのだろうか、ピエロは大きな木製の操り人形を観客に見せた。右手には金髪で黒の羽付き帽子をかぶった男の子をーー。そして左手には、腰まである金髪に赤い三角頭巾をかぶっている女の子がだらんと糸から垂れていた。


「さぁさぁ、続きをご覧あれ! 」

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