第43話 キャンペーンボス

 何も見えない……そう思った途端に行き先を示すような白い道が浮かび上がった。ゲームを進めるためには転がる鈴を追いかけなければいけない。当たり前のように歩き出したが、ふと……疑問に思った。


 本当にこれはゲームなのだろうか。


 いつの間にか寝落ちして、夢の中を彷徨っているような雰囲気だった。ならば急ぐ必要はない。暗い壁に道に沿って飾られている絵画に目を向けた。豪奢な黄金の額縁に収められているそれらは物語を綴っているようだった。どれにも銀髪の美しい人形が登場している。


「ナレーションがあったら良かったのにな。ーーこれは……」


 雨が降る深い森の水溜まりで人形が倒れている絵の前で立ち止まった。髪の毛も顔も泥だらけで……青い瞳から涙を零していた。なぜか胸が締め付けられーー目が離せなかった……。



 ガサッガサッ。


 葉擦れの音で目を覚ましたザイガンは頭を押さえながら起き上がると、頬を伝っている涙を右手で拭った。何か悲しいものを見たような気がするが……思い出せない。シダに似た植物が靴を隠していることに気が付きーー不快感を表すように顔をしかめた。


「ここはどこだ? 俺は草むらにいたはずなのに、何でこんな所に……」


 見上げた空は己のテリトリーを誇示するかのように、大木の枝葉が存在を隠していた。木々があちこち好き勝手に生い茂っている風景をザイガンはしばらくの間、口を開けたまま眺めた。


「とりあえず街にーー」


 移動石でこの場から脱出するために斜めがけしていた黒革の鞄を探したが見当たらなかった。それどころか、ポケットにスマホを入れていたクリスマス限定のジャケットを着用していない。胡坐をかいて座ったまま、身体ぺたぺたと触って持ち物検査をした後にーー腰まである赤い髪を掴んで首を傾げた。


「ーー金髪だったのに、何で赤くて長髪なんだ? ……服装もまったく違うし、ケモミミがあるーー」


 何かの視線を感じて振り返った。パッと見た感じでは何もいなようだったが、ヒリヒリとする奇妙な感覚を覚えて目を凝らした。笹の茂みの傍にある樹木の向こうに人だと分かる白い輪郭が動いている。プレイヤーだとすぐに察したが、なぜそんな風に見えるのか不思議だった。


「まぁ、いっか。取り合えず、助かったな」


 おもむろに立ち上がり手を振ると……プレイヤーらしき人影は後退ったような動きをした後に、森の奥に行ってしまった。


「何で逃げるんだ? ここが何処だか教えてもらおうとしただけなのに……」


 さらに気配を感じて、ぐるりと周囲を見渡した。ざっと10人ぐらいがウロウロしているのが分かった。なぜこんな深い森の中にプレイヤーが集まっているのだろうか。少し考えてピンときたのか、ザイガンは明るい笑顔を浮かべながら、1番近いプレイヤーに向かって歩き出した。


「大型アプデで追加されたイベントか何かがあるんだな。ちょっと聞いてみよう」


 しかし、プレイヤーは近づいた分だけ離れてしまった。さらに笹の葉を突っ切って進むと、慌てたように距離を取っている様子が見えた。ザイガンの動きを窺うような仕草をしながら一定の距離を保っている。これではいつまで経っても追いつくことはできない。


「なんじゃそりゃ。意味が分からん」


 腰まであるシダ植物を乱暴にパシッと叩いて、怪訝そうに眉間に皺を寄せた。失礼すぎるとぶつぶつ言いながら、覗き見している相手を睨みつけている。こんなやつを相手にしても仕方がない。さっさと諦めて別のプレイヤーの所に行った方が良いだろう。


 ーー1番近そうなプレイヤーは、左斜めのやつかな。


 目標を変えて歩き出したザイガンに……スキル隠密で姿を消したシーフ職のプレイヤーが静かに接近していた。黒地に魔法陣のような文様が白で描かれているグレネードを両手に持って、機嫌が悪そうな彼の横顔を見つめている。


 ザイガンは何となく先ほどと同じような嫌な感じが気になった。ヒリヒリする感覚がする方向を目を細めて見つめた。遠目にプレイヤーと分かる白線の人型以外は見当たらないが、直観力というか本能的に……何か危険が迫っているような気がした。どうしても心がざわついて落ち着かない……。


 この場から逃げた方が良いかもしれないと思って走り出そうとした途端に、なぜか身体が勝手に左90度の方角を向いた。さらに挨拶するように軽く両手を広げて、満面の笑みを浮かべている。


「やぁ、初めまして冒険者さん。俺の名はガンドル。あんたの敵じゃぁないよ。森で迷っちまって困ってるんだ。近くの港まで連れて行ってくれないか? 」


 ーーおいおい、俺は何でこんな事を言ってるんだ? それに、俺の名前はザイカンだ、ガンドルじゃない。


 自分の意思とは関係なく、用意されていたようなセリフを言わされているような、そんな違和感を覚えた。しかも、せっかく前方の10メートルほど離れた場所にいるプレイヤーがいるというのに、話しかけようとしても口が開かない。


 困惑しながらも必死に言葉を叩き出そうとしている最中に……何かが連続で身体にぶつかった。怪我や動きが制限されるなどの、不都合なことは何も起きなかったが、100度に達した湯のようにぼこぼこと不愉快極まりないという感情が沸いてきた。


 相手に文句の1つでも言ってやりたい。ザイガンは焦って逃げ出した相手を捕まえるためにヅカヅカと歩き出した。面識がないと思いつつ……記憶の片隅を探っていた。どこかで怨みを買ったのだろうか。


 それとも指名手配書を見たプレイヤーか? 警察署に引き渡されたと当時に手配犯と分かる頬のタトゥーは消えたはずだった。それなのになぜだーー? ポコンと浮かび上がったハテナマークが赤い髪の毛を引っ張っている。


 まるでそっちに行ってはいけないと言ってるかのようだったが、ザイガンは意に介さずに目の前にあるツツジのような花を咲かせている低樹木を右手で薙ぎ払った。


 追いかけられているプレイヤーの方はというと、スキルのディレイ終了を気にしながら樹木を縫うように移動していた。シダや熊笹、そしてツツジやサザンカなどの低樹木のせいで思うように進まず、苛立っている。


「投網やトリモチが効かないってのが分かったのは良いけど、このままだと追いつかれる。他のやつらは何してんだよ」


 ぶつぶつと文句を言っていた彼は強張った表情から急にほっとしたような笑みを浮かべた。スキルを発動してすぐにしゃがみ込み、どんぐりの木の後ろに素早く隠れた。


 ーーくそっ。あのヤロー、隠密を使いやがった。


 あともう少しで肩に手が届きそうな位置まで詰めていたザイガンは悔しそうに唇を噛んだ。追いかけていた葉擦れの音さえ消えてしまっている。ここにいるだろうと予測して踏み込んだ熊笹の茂みには誰もいなかった。


 怒りが収まらないザイガンは眼前にあった太さ10センチほどの樹木の枝を掴んで握りつぶすと、前方にあるどんぐりの木にその枝を叩きつけた。興奮したように肩を揺らして拳を握っている。森のそこら中から、ねっとりとした絡みつくような視線がザイガンに飛んでいたのだが、それに気付かないほど……彼は憤慨していた。


 ーーどこに行きやがった!


 ザイガンがそう思った瞬間ーー背中に激痛が走った。ぶわっと全身から脂汗が噴き出し……何かが身体内部に侵入しているような感覚を覚えた。これは確かあの青い扉の前で経験した不快感に似ているーー。


 何かが弾けるような爆発音が数回、轟いた。


 勿忘草色の鉱石が熊笹の茂みに隠れていた岩場にコツンと当たって転がっている。膝をついて火縄銃式種子島を構えていたシーフ職のルークが誇らしげに、銃を見せるように振り上げた。彼は大型アップデートで追加された弾丸が功を成したと満足げに笑うと、木の根っこに引っかかっている鉱石を拾った。


 それは10秒ほど形を成していたが、手からふわりと浮かんでキラキラと輝くエフェクトを撒き散らしながら消滅した。合唱するような着信音を聞いたプレイヤーたちが、それぞれスマホに手を伸ばしている。


 銃器を肩に担いだルークはパーティメンバー2人とハイタッチをしようと手を上げた。小気味良い音を耳にした彼らは嬉しそうに破顔した。


「ども、お疲れ」

「ワンパンかよっ」

キャンペンーンボスキャンボスなのにーー弱っ」


 隠れていたプレイヤーたちが続々と姿を現して、3人の傍に集まっている。背中に弓を担いでいるプレイヤーが気の抜けた顔でスマホを眺めた。


「パーティ組んでいないと駄目なんすかね」

「今まで通り、1撃入れればオッケーだと思いますよ」


「こんなに倒せちゃうとよく分からないっすね」

「獣王っていうからさ。すげぇ強いのかと思ってたのに拍子抜けだよな」


 こんなにいたのかと思うほどの人数に、3人は驚きを隠せなかった。らいなたんのあのヒントだけで自分たちと同じようにこの森を見つけるとは、なかなかの強者ぞろいだ。プレイヤーたちは遠慮なく報酬アイテム取得者に元に詰めかけた。


「あのすいません、討伐報酬って取引できます? 」

「報酬がどんなものか見せて貰ってもいい? 」

「アイテム名称と逸話があったら教えて下さい」

「弾丸は何を使いました~? 」


 追加コンテンツが来る度によく見みられる光景の中で、シーフ職3人衆は誇らしげにアイテムを取り出した。野球ボールサイズのスカイブルーとも言える勿忘草色の鉱石をプレイヤーたちがじっくりと眺めている。彼らは羨ましさよりも、情報への情熱の方が激しかった。


 忙しそうにスマホ画面に指を滑らせてメモアプリに書き込んでいる。手を揚げて新聞記者のように質問しているプレイヤーもいた。ルークはそれらに応えるために自慢げに喋り出した。


「これの名称は『憧憬』で、森に住まう獣王ガンドルの海への憧れが結晶化された、と記載されてますね」


「そういえば、近くの港に連れて行ってくれって言ってましたね」

「海に憧れてるのかーー面白いな」


 取引についてはパーティメンバー間のみで、ドロップ後1時間以内という制限付きだった。ある程度欲しい情報を手に入れたプレイヤーはそそくさと立ち去り、いつの間にか半分以上のプレイヤーはリポップしたであろう獲物を探しに移動し始めていた。


「あっと、すみません。この辺でいいですか? そろそろ俺らも移動したいんでーー」


 『憧憬』を急いでインベントリに収納したルークたちは、担いでいた武器を手に取った。焦りからくる緊張感をほぐそうとしているのか、冗談を言い合いながら笑いを漏らしている。


「恐れず突っ込んだ者勝ちだったな」

「今回のキャンボスは運営さんのサービスなんかね」

「ソロでも楽勝っぽくね? 」


「ルークさま、狩人Aさま、我らにお恵みを! 」

「なんだよ狩人Aって。じゃあ、エディは狩人Bだ! 」

「ーーってことは、俺は狩人C? 」


 じゃれ合う賑やかな笑い声を、シジュウカラに似た鳥が首を傾げながら眺めていた。やがて枝から飛び立ち、狩人たちの頭上を通り過ぎて行った。興奮が冷めない彼らは獲物を求めて森の奥へ、意気揚々と進んだ。



 その頃サイガンは……苔むしる樹木の間にポツンと立っていた。何かが身体を浸食していく感覚が自分を襲っている。胃がひっくり返っているのではないかと思うぐらい吐き気を催し、視界と膝がぐらぐらと揺れたーー。


「俺は殺されたのか? ぐっ……」


 思わずその場で両膝をついて……ザイガンは嗚咽した。自分自身を抱きかかえて、ぶるぶると小刻みに震えている。脳内でピンボールのように彼方此方に弾けている理解不可能という球をどう治めたらいいのか分からない。前のめりになってぺたんと座り込んだ。


「何でまだ森にいるんだよ……。どうして教会じゃないんだ? 」


 ザイカンは生まれて初めて大粒の涙を零した……。頬から滴り落ちた雫が地面から葉を放射状に出しているオオバコの葉を濡らしている。声を殺してひとしきり泣いた後に、両手を見つめながら指を動かした。ログインした時に見るいつもの手と何ら変わりがない。


「ダメだ」

「キャパ超えた」

「意味わからん」

「ログアウト、すぐにログアウトしないとーー」

「スマホはどこだ? なぜ無いんだ! 」

「家に帰る、俺は……家に帰る」

「こんな所は嫌だ。1秒だっていたくない」

「夢だ、これは悪い夢だ」


 神の箱庭というVRシンクロゲームを気楽に遊んでいたはずなのに、なぜまた死ぬような目に合わなければならないのだろうか。ザイガンは両手の拳を勢いよく地面に叩きつけて、背中を丸めた。


「……爺ちゃんーー助けて……」

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