第41話 眠れる森のルードベキア

 VRシンクロゲーム神の箱庭が大型アップデートした当日、マキナこと中条悟は骨折した母親のお見舞いに行くために朝から外出していた。病院から出だ後は、真っ直ぐ自宅に帰らず、久々に従弟の総司の様子を見ようと彼のアパートへ向かった。


 スマートフォンで今から行くというメッセージを送って、時間をちらりと確認した。


「箱庭はまだメンテナンスメンテ中だな。確か12時までだったような。メンテ明けは混雑するから、2、3日様子を見るか」


 通り沿いにあるスーパーに迷わず立ち寄り、ネギや白菜をカゴに入れた。さらにシイタケを追加すると、精肉コーナーに移動した。焼くだけならコンビニ弁当ばかり食べている総司でも簡単に調理できるだろう。冷蔵庫の中身を思い浮かべていろいろ手に取っているうちに、2~3日は困らないと思われるほど食材でカゴが一杯になった。


「ちょうど昼時になるし、鍋にするか。総司は確か……軟骨入りの鶏肉団子が好きだったな」


 レジに並ぶ前で良かったとつぶやいて、カートを急いで押してる。その最中に悟はハッと気が付いてしまった。困惑したような表情を浮かべて、軟骨入りの鶏肉団子のパックを見つめた。


 ーーこれじゃぁまるで……あいつの母親か彼女のようじゃないか! もういい大人なんだし、甘やかすの良くないな。


 それなのに……アパートに着いたら何よりも先に、埃が積もったガスコンロを掃除しようと考えていた。雑巾や洗剤の類も買えばよかったかもしれない。白い袋から零れ落ちそうになっているネギを詰め直しながら、う~んと唸った。


 さっき購入したキッチンペーパーでどうにかするしかない。総司と2人で掃除すれば……あぁ、なんだかダシャレっぽくなってしまったーー。フッと笑いを漏らした悟はノックをすること無く、強引に奪い取った合鍵を使ってドアを開けた。


「総司、鍋の材料を買ってきたぞ。お前が好きな鶏肉団子もあるからな」


 慣れた手つきで食材を冷蔵庫に入れた後、土鍋が入っている箱を流し台の下から取り出した。


「先月、俺が置いていった新品のカセットコンロはどこだ? 」


 しゃがんだまま、隣の扉を開けて見たが入っていなかった。収納スペースが少ないキッチンのあちこちに目を移し、冷蔵庫の隣にある食器棚の上にひっそりと鎮座していた箱を手に取った。


 それにして、食べ物の話をすればすぐに嬉しそうに出てくる総司が今日に限ってなぜか大人しい。


 ガラス戸を隔てた総司のリビング兼寝室から、パソコンが唸るような音がしている。ヘッドフォンしたまま何かのゲームに夢中になっているのかとも思ったが、不安という鬼がひたひたと小さな足を立てていることが見逃せなくなった。


「おーい、総司? 今日は休みだったよな」


 返事がないことを不思議に思いつつ、悟はゆっくりとガラス戸を開けた。


「うっ……。総司!? 」


 悟は部屋にこもった匂いで顔をしかめた。部屋の主である総司はVRシンクロへッドセットをつけたままベッドで寝ていた。ぐったりとした身体から尿と便を垂れ流しーー異臭を放っている。


 ほんの少しの間、茫然としてしまったが、これは流石に尋常では無いと悟った。


 総司が息をしているか手を近づけて確かめると、脈をとった……。生きていることを確認してほっと胸を撫でおろし、電源が入ったままのパソコンのモニターに目を向けた。神の箱庭に接続中だと分かるスクリーンが表示されていた。


「ログインしている? そんな馬鹿な……まだメンテナンス中だろ? 強制ログアウトされるはずなのに、どういうことなんだ……」


 救急車を呼ぼうとスマートフォンを出したが、すぐに手が止まった。代わりにブラウザアプリをタップしてVRシンクロゲームマニュアルを検索した。困ったときは……というヘルプ項目を食い入るように読んでいる。


「ーープレイヤーがゲームに接続中の場合、第三者が無理にVRシンクロヘッドセットを外すのはおすすめ出来ません。副作用や障害が起こる可能性があるので、緊急時の場合は適切な手順でーー」


「……ヘッドセットは取らないようにしよう。親父に連絡した方がいいな」


 悟の父親はこの辺りの地域でかかりつけ医として名の知れた医者だった。きっとすぐに駆け付けてくれるはずだ。父親を待っている間に他に出来ることは……。悟は解放した窓の傍に移動して、神の箱庭の緊急ダイヤルアプリをタップした。


 このアプリを使えば登録した電話番号からゲームの世界に簡易メッセージを送ることが出来た。VRシンクロゲーム中に災害が起きている事に気付かず、亡くなったと言う事例があっため、どのゲームにも必ずあるシステムだった。

 

 神の箱庭の場合は初めてゲームをする時に番号登録を促され、入力しなければログインが出来なかった。その後はゲーム内のスマホから修正することが可能だ。メッセージを送る側は現実世界のスマートフォンなどに専用アプリをダウンロードしなければならない。


 ルードベキアである総司の緊急登録先は悟の携帯番号だった。悟は林総司という名前の下にある入力画面に簡潔に『ログアウトしろ』と書いて送信ボタンを押した。しばらくパソコンのモニターを眺めていたが、神の箱庭のロゴとらいなたんのイラストが表示されたままで特に変化する兆しはなかった。

 

 このシステムの駄目な点はゲーム内にいるプレイヤーが返信できないことだ。悟はやきもきしながら、さらに連続で2回メッセージを送った。しかし……モニター画面は何も変わらなかった。


「くそっ! これじゃだめだな」


 スマートフォンを握る左手の震えを右手で抑えて、神の箱庭を運営しているゲーム会社のお客様相談室の電話番号を調べた。長いコール音をスピーカーモードで聞いているうちに、どんどん焦りが募っていった。やっと繋がったと思ったら、相談内容を仕分けるためのボタン操作をしなければならず、苛立たしさが増加した。


 直接相談をするために、長い長い保留音をうんざりしながらも待ち続け……やっと会話ができるようになったというのにーー事細かに説明求められて思うように話が進まない……。


「ーーということなんです。すぐにでも強制的にログアウトできませんか?」


「では強制ログアウトを希望されるプレイヤー様のIDとパスワードをお願いしますーー」


「しまった……IDは知ってるけど、パスワードか……すみません、ちょっと分からないんですが。どうにかなりませんか? 」


「申し訳ありませんが、ゲーム外からの強制ログアウトにつきましてはパスワードが必須になります。第三者様の介入につきましては、ご本人様の代行者である証明とーー」


「私は彼の緊急登録先になってるんです。それでもダメなんですか? 」

「では、ゲーム内にログインしているご本人様の意思を確認をさせていただた後にーー」


「いま、メンテナンス中ですよね? それなのにログアウトしてないんですよ! 」

「……少々お待ちください」


 悟はパソコンや総司のスマートフォンのメモなど、部屋のあちこちを探したが神の箱庭のパスワードらしきものは見つけられなかった。よくあるクラッシック曲の保留音とマニュアル通りのテンプレート文言を並べるオペレーターにいら立ちを覚えた。


「中条さま、お待たせ致しましたーー」

「人の命がかかっているんです! 」


 思わずキレてしまった悟の言葉に、オぺーレーターは躊躇して少し言葉に詰まったようだったがーー。しばらく間を開けて、不快感を隠さずに早口で喋り出した。


「申し訳ありませんが、折り返させて頂きますのでお待ち頂けますか。ご連絡先はいま繋がっている番号でよろしいですよね。この会話は録音してますのでっ」


 ガチャ。


「はい。ーーって切るの早っ! この及川ってやつ、感じ悪すぎるぞ。なんなんだよ……」


 返事をする前にさっさと電話を切るオペレーターに腹を立てながら、悟はキッチンに移動した。常日頃、クレーマーと戦っているせいなのか……今回のように逆キレするようなオペレーターは意外にも少なくない。そういう話を聞いたことがあったため、できるだけ柔和に進めたかったというのにーー。


「……っていうかさ、人命がかかってるって言ってるのに臨機応変に対応できないってどうなんだ? 脅すように録音してますと言っていたが、後で確認して困るのは、あの及川ってやつじゃないのかよ! 」


 悟は冷蔵庫から買ってきたお茶のペットボトルを取り出して、乱暴にグラスに注いだ。こぼれ落ちた液体を眺めて、大きなため息を吐き出している。この他にやれることなないのか? 総司の着替えをーーいいや、身体を動かしたがために異変が起きたら……そう思うと何も出来なかった。


 連絡待ちだらけの状況に顔をしかめて、流し台の前にしゃがみ込みんだ。


「総司、いつからだ? こんなになるまで、いつからログインしていた? 」



 この数日間、悟は仕事が忙しすぎて、総司の様子を見に来ていなかった。ゲームというと、カナデやカナリアたちとバレンタインイベントの初日にダンジョンへ潜ったのが最後でログインしていない。


 ディグダムにルードベキアの仲介を約束していた日は、母親が事故にあったというリアル事情でドタキャンをしてしまった。あの2人がどうなったのか気にはなっていたが、その後も時間が取れず今日までに至った。


 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。玄関を開けて外に出ると、大きな鞄を抱えた白衣姿の父親が看護士と連れ立って走って来るのが見えた。


「悟、総司は奥か? 」


「父さん、電話でも言ったけど、ヘッドセットは取らないで欲しい。ゲーム会社に接続を切ってもらえるように交渉しているから……」


「分かった。お前は外に出ていなさい」


 部屋から出てきた看護士が救急隊員と一緒に救急車から必要な器具と点滴スタンドを運び始めた。不安にかられた悟は玄関まで立ちつくしたままスマートフォンを左手で握りしめた……。運営からの連絡を期待して、ちらっと目を向けたが着信音は一向に鳴らなかった。


「悟、ちょっと来てくれ」

「父さん、総司は大丈夫なんですか? 」


「全身に筋弛緩の症状が出ている。脈がかなり弱い。自発呼吸はまだできるようだが……今後はどうなるかわからないな。それと……これを見てくれないかーー」


 父親はスマートフォンで撮った写真を悟に見せた。へそから右脇にかけて黒い痣が広がっている。アップにされた画像を見るとーー数字の0と1のような小さな青い模様が黒い地に浮かび上がるように綺麗に並んでいた。


「これは……」


「打撲痕のように見えるんだが、少し気になってね……。検査のために、出来れば病院に運びたいんだが……」


「それは……危険な気がします。ゲーム会社が総司を強制ログアウトするまでーーここで看護できませんか? 」


「ーーそうか、ならば機材の手配をしよう。お前は心配しなくていい」

「ありがとう父さん……。部屋の鍵を渡しておくよ」


「総司は亡くなった妹の大事な息子だ。私たち以外の身寄りもない……可愛い甥のために、私が出来る限りの事はするから、任せなさい」



 汚れたベッドは応急処置としてビニールが敷いてあった。そこに寝かされた総司の身体には点滴と尿管カテーテルが繋げられている。悟はしばらくその姿をぼんやりと眺めていた。


 涙が零れないように両手で押し返し、思い立ったように窓を開けて部屋の空気を入れ替えた。散らかっている部屋を片付け、台所も綺麗に掃除を終えると、汚れ物で大きくなったゴミ袋を台所の隅に置いてーー楕円のローテーブルに置いてあった鍵を取った。


「総司、箱庭に囚われているのか? 俺がすぐに迎えに行くからな」



 ちょうどその頃……ガロンディアの街の診療所でカナデが眠り続けるルードベキアの手を握っていた。目覚めない彼を見守るように木製のサイドテーブルにある透明な花瓶に白いガーベラが飾られている。


 レースのカーテンの向こうから、風と一緒に賑やかな音楽が聞こえていたが……そんな楽しい雰囲気とは裏腹に、カナデは薄っすらと涙を浮かべた。


 ーー手が暖かい……。まだきっと生きてる。ルードべキアさん……どうして起きないの?



 ルードベキアが倒れたあの日、バリ風ヴィラのマイルームは暗雲が立ちこめピリピリとした雰囲気になっていた。腕組みをしたカナデがしかめっ面で、錠前のアイコンについて聞いているというのに、ビビは奏の手が届かない天井辺りで肉球をペロペロと舐めて知らんぷりしていた。


「ねぇ、ビビ。さっきから聞いてるけど、ルードベキアさんがまだ目を覚まさない理由……知ってるんじゃないの? あのアイコンも! 」


 ビビはチラッと奏を見た後にトコトコと空中を歩いて書斎に入った。隙間なく詰められた本棚の前でう~んと伸びをしたかと思うと、壁際にあるソファに降りて丸くなった。


「ええっ……。酷いよ、ビビ。ルードべキアさんは、現実世界に身体があるのに……。ずっとログアウトできなかったら、死んじゃうかもしれないんだよ? 」


 奏の瞳にじわっと涙が浮かんでいる……。


「泣いても何も解決しないにゃ」

「ビビ、お願いだから……。ルードべキアさんを助けて……」


 突如、ビビは耳をぴくぴくと動かしながら起き上がると、険しい顔つきでソファの上をぐるぐると回った。落ち着いたと思ったら、天井の1点を見つめているーー。現実世界の猫でもこのような仕草をたまに見ることがあるが、あの目線の先には……何があるのだろうか。


 人間に見えない何かを見ている……そう考えると、少しゾッとしてしまう。奏は気になって顔を上げたが、書斎の白い天井が見えるだけで、変わった様子はなかった。


「何も見えないけど、何かあるの? ビビ、返事してっ」


 目線を落としたビビはあくびをしてすぐに、丸くなって眠りについてしまった。今までずっと寄り添い、あ~だこ~だと母親のように小言を言っていたというのに……こんな風に喋らないのは初めてのことだった。


 なぜビビが黙っているのか理解できず、奏は床にぺたんと座り込み、身体を小さく丸めた。小さな声でぐすぐすと泣いている……。


「ビビ……ずるいよ……」

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