第33話 萬屋商会ディグダムの不運
「こんちゃぁぁ! 萬屋商会の者でーす! 誰かいませんかあ? 」
バレンタインイベントが始まって3日目。萬屋商会の副団長イリーナは青い扉を何度も叩いていた。耳に手を当てて静かに返事を待っているが、家屋のすぐ横にある樹木からピヨピヨとさえずりしか聞こえない。それでも諦められないのか、扉の横にある窓におでこをくっつけて覗いている。
「う~ん、見えないなぁ。自分の顔しか映ってないしぃ。裏に窓ないかな」
円形型の家屋の裏手で窓辺を走るリスに驚いたが、まったくといっていいほど人の気配が感じられなかったーー。ひと廻りして戻ってきたイリーナはまた何度も青い扉を叩いた。
「イリーナ、もういい」
「はぁい」
イリーナは残念そうな表情を浮かべると、萬屋商会の団長であるディグダムに駆け寄った。
「ディグ、やっぱ、留守っぽいね」
「約束の時間より1時間も早いから仕方ないさ。ーーマキナさんは……まだログインしていないな」
「商品を見せてもらうだけ? 買い付けはできないの? 」
「見せてはもらえるとは思うがーー取り引き契約ができるように説得をするのが先だろうな」
「メイドインルードべキアは堅物だ! って話、ホントなんだ? 」
「マキナさんから職人気質が強いと聞いている。こだわりがあるんだと思う」
「職人気質かぁーーゲームなのにね。もっとラフにやればいいのに」
「それを言ったらお終いだぞ。俺は彼の作品を『萬屋商会の看板』にしたいんだよ。銀の獅子商会で初めて、あの木目が美しいヴァイオリンを見た時……心が躍ったんだ」
ディグダムは目を閉じて独り回想劇をはじめた。せつなそうなため息を漏らしている。
「ええ~。ヴァイオリンって、バードとテイマーしか使わない需要少ないやつだよね? ディグ、ルードベキアといったら魔盾だよ! 」
「いやいやイリーナ、全職が使える種子島が凄いぞ! あの改造銃を俺もいつか手にしたいね」
「それもいいけど、スクロールやトラップの方が扱いやすくない? 自分でも使ってみたいし。ぐふふっ」
「面白い騎乗アイテムも作っているらしいぞ」
「ロケットとか、機関銃みたいのとか、付いてるやつでしょ? あれってモンスターにダメージ与えられるのかな」
「どうだろうな。花火が上がるのもあるらしい」
「それ、フレさんが昨日、買ったって言ってた! めっちゃ見たいよね! 」
ディグダムとイリーナが商会で扱いたい商品の話題で盛り上がっている一方で、退屈そうに大あくびをしているプレイヤーが傍にいた。護衛として雇われたはずのシーフ職ザイガンは周囲を警戒することもなく、ぼんやりと風に飛ばされているタンポポの綿毛を見ている。
護衛の存在を思い出したディグダムは左腕につけた腕時計に目を移した。時刻を確認するはずなのに、そっと右手で撫でて、うっとりと眺めている。それはディグダムにとって憧れの有名ブランドの時計メーカーの高級時計だった。
ほとんどのプレイヤーはスマホの時計機能を使っているが、ディグダムはどうしても腕時計が欲しかった。運営が経営する課金店でこの逸品を見つけた時、心臓が飛び出てバウンドするんじゃないかと思うぐらいドキドキした。スポンサーがついている衣装アイテムはリアルマネーでしか購入できないが、現実世界での値段と比べたら、格安すぎて迷うことはなかった。
ーーいつも思うけど、リアルでいつか……これを手に入れたいよな。
にやけそうな口元を右手で隠して、ディグダムは必死にすまし顔に戻した。
「しばらくこの辺で時間をつぶして待とう」
「ふぁい、ルードベキアさんがくるのをのんびり待ちますかっ」
イリーナは枝に黄色い小鳥たちが丸くなっている木の根元に座ってスマホを取り出した。バレンタインイベントの情報アプリを立ち上げて眺めている。ディグダムは眠そうに何度もあくびをしているザイガンに目を向けた。彼はしゃがんでタンポポの綿毛を指で弾いていた。
ディグダムの職業は職人クラスの商人だった。すべての武器を扱うことが出来る職人クラスは戦うことも出来なくはないが、攻撃に特化されたハンタークラスに比べると心もとない。不測の事態やデスリターンを避けるために、フィールド移動時は護衛を雇うのが常とされていた。
護衛を雇うには冒険者ギルドでクエストを貼る必要がある。このクエスト作成は職人クラスの特殊なスキルの1つで、それなりにいろいろな制約があるが……料理人職もまた然り、ハンタークラスに素材収集を依頼する鍛冶師や魔具師はかなり多かった。
商人職であるディグダムもこのスキルをかなり重宝していた。沢山のプレイヤーと知り合ったおかげで、商売につながり、順風満帆なゲーム生活を送っている。ゲームなのに現実世界と同じように必死にお金稼ぎをしている自分をおかしく感じる時もあった。
しかし、ファンタジー的でクレイジーな商品を目にするとそんな考えはすぐに吹っ飛んだ。こんな面白いものを現実世界で見ることはできない! モンスターを倒す以外でも心躍る要素がいくらでもある。ディグダムはお宝ハンター気分でVRゲーム神ノ箱庭の世界を楽しんでいた。
今回の護衛依頼も新しい出会いを求めて冒険者ギルドにクエスト依頼を出した。ザイガンと初めて合流した時は彼の言動をあまり気にしていなかったが、段々と道中での不遜な態度が目につくようになった。
ーー今まで護衛で来てくれたプレイヤーは、みんな良い人達ばかりだったのに……。
ディグダムが不満を募らせていることなど知る由もないザイガンは退屈すぎてあくびしか出なかった。何かが襲ってくる気配もなく、長閑すぎて牧歌的な雰囲気に飽き飽きしている。
ーー今まで毎日、ダンジョンで荒稼ぎをしていたのに……。こんなところで俺は何をやってるんだ?
最近はフレンドを誘っても良い返事もらえず、せっかくログインしたのに1人でぼんやり景色を眺めてだけの毎日が続いていた。あんなに楽しかった冒険が色褪せていくのを感じる……。それを払拭できる何かがないだろうかと、なんとなく冒険者ギルドに行って、なんとなく護衛の依頼を受けた。それなのにーー。
ーーつまんねぇな……。
ザイガンは立ち上がって、そこら中に生えているタンポポを蹴り上げて綿毛をまき散らした。退屈しのぎするための何かを求めて辺りを見渡している。戯れるのに良さげモンスターはシルエットが米粒に見えるほど、はるか遠くにいた。あとは、草むらばかりで家屋と樹木が1本立っているだけで何もない。
ーーそういえば、なんでこんなとこに家が建ってるんだ?
ぽつんと不自然に立っている家屋をじっと眺めているうちに、良いアイデアを思い付いた。家主がいない今ならちょうど良い……。組んだ手を頭の後ろに回して軽く体を捻るストレッチをすると、にやにやと楽しそうに笑った。
「なぁ、これレンタル別荘だろ? ドア開けて入ればいいんじゃね? 」
「それはモラル違反だ。何もしないでくれ」
耳を疑う言葉に眉を寄せたディグダムに向かって、ザイガンは軽く上げた右手の人差し指をバカにするようにゆっくりと左右に振った。
「俺ってば退屈なのが苦手なんだよね~。ーーあんたら、取引する商品を見たいんだろ? どうせ中にあるだろうからさーー開けてやるよ」
ザイガンは腰にぶら下げていたレイピアを抜いて頭上に掲げた。細身の刀身とユニコーンのナックルガードが疑似太陽の日差しを受けて、キラキラと輝いている。ディグダムはなかなかの逸品だと武器に目を奪われたが、すぐにハッとしたように我に返った。
「おいおい、待てっーー」
慌てて止めようと走ったディグダムの目の前でザイガンのレイピアが振り下ろされようとしている。シーフの解錠スキルは武器と併用すると対象物を破壊することがあるというのに……冗談じゃない! ピンチの時に感じるスローモーション撮影しているような時間の中で、ディグダムは手を伸ばした。
だが掴もうとしたザイガンの肩に手は届かなかった。口をポカーンと開けているイリーナの瞳に青い扉にぶつかるレイピアの刃先が映った。
コン。
ノックのような軽い音がピヨピヨと鳴く小鳥の声に合いの手を入れるように響いた。
「はぁ? どういうことだよ。俺の解錠スキルはレベル10だぞ! 」
ザイガンは意味が分からないという表情を浮かべて、ドアノブをガチャガチャと乱暴に回した。青い扉は応じることなく無言を貫いている。家屋のどこも傷がない様子に、ディグダムはホッとしたような息を吐き出した。
「よかった。肝が冷えた……」
「ディグ聞いた? コン、だってぇ。ーーぶははははっ」
イリーナは扉が開かなかったことに安堵しすぎたのか、『コン』という言葉を連呼しながら大笑いをしている。カチンときたザイガンは歯をぎりぎりと鳴らして、青い扉を右足で蹴り飛ばした。
「なんでスキルが効かないんだよ。おかしいだろっ」
「ザイガン! 俺は、あんたを護衛として雇ったんだ。勝手なことをしないでくれ! 」
「ふ~ん。いい子ちゃんなことで……。あんたらにとっても絶好のチャンスだと、俺は思うんだけどな。ーーってことでもう1回だ! 」
「止めろ、ザイガン! 」
ディグダムは両手でザイガンの身体を掴もうとしたが、簡単に避けられてしまった。挙げ句、突き飛ばされて草むらに転がった。そんな彼にザイガンは侮蔑したような目を向けて、鼻で笑った。
シーフ職のスキル解錠は非常に重宝されているスキルの1つだった。10段階あるスキルレベルが例え1や2だとしてもダンジョンでは便利だった。レベル10ともなれば、ダンジョンの隠し部屋やトラップはもちろん……工房塔の製作部屋、レンタル別荘、街にある店舗などのドアや窓すらも開けることができたーー。
そのためモラルやマナーがプレイヤーの間で重要視されている。
運営側はアップデートで警察や警備隊NPCを導入したが効果があるようには見えなかった。上手く目を誤魔化してスキル自慢をしたり、度胸試しをしたりなど、悪用するプレイヤーが逆に増えてしまった。
このスキルを使った強盗が流行り……運営に訴えるプレイヤーも数多くいた。しかしスキルが
ゲーム会社はこれを稼ぐチャンスだと考えたのか、警備員や防犯タレット、防犯カメラなどがレンタルできる防犯アイテムを売り出した。これらのレンタル期間は、3日、1週間、1カ月の3種類から選ぶことができるが、それなりのリアルマネーが必要だった。
あのルードベキアの持ち家ならば、きっと防犯システムが設置されているに違いない。ディグダムは防犯タレットに打ち殺される自分を想像して青ざめている。ザイガンはまったく気にしていないのか、扉をなんとかして開けてやろうと、解錠スキルを連発していた。
しかし青い扉はやはり沈黙したままだった。
悔しくて腹を立てているのか、レイピアの柄を握るザイガンの手が震えている。扉横にある窓に目を向けて、刃先を突き刺そうとした途端、ドンッと背中を押された。前のめりになって転びそうになったが、踏みとどまって振り返るとーー。
顔を思いっきりしかめたイリーナが両手を腰に当てて仁王立ちしていた。
「ちょっと! あんた常識ってもんはないの? 」
「何いってんだ? このゲームは、開けて、盗って、殺して、が楽しい世界じゃないか」
「ふざけんなっ! あんたなんか、クビよ、クビ! とっとと、この場からいなくなれっ! 」
「ぎゃんぎゃん騒ぐなよ、うるせぇな」
ザイガンは怒り心頭な様子のイリーナを見下ろして、嘲るように笑うと……彼らと組んでいたパーティからするりと抜けた。ディグダムは言い争う2人を眺めながら、この家はどんな仕掛けがされているのか知りたい……という邪念が浮かんでいた。
ーー新しい課金ハウスなのか? それとも壁にドアの絵を描いてるとか……もしくは見た目は家だけど、まったく違うものなのかもしれないな。ーーいや、そんなこと考えてる場合じゃなかった!
ディグダムはザイガンの右肩に左手を置いて、彼の黒いジャケットの襟を右手で引っ張った。家屋から引き離そうと、思いっきり力を入れたがザイガンはびくともしなかった。これが職人クラスとハンタークラスのステータスの差なのだろうか。
「この家に手を出すな! 」
負けるまいと必死なディグダムがおかしくてザイガンはプッと失笑した。すぐさまディグダムの顎に左拳を入れて、ふらついたところを右肩で突き飛ばしーーとどめに彼の腹に右肘でエルボーを入れた。
「ったく……どうあがいても、お前ら職人は俺らハンターには勝てねぇってのにーー。 覚悟しろよ」
「冒険者ギルドに通報するわよ! 」
「何言ってんだ。喧嘩売ってきたのはお前らだろ? 」
草むらで腹を抑えて唸るディグダムの前にイリーナが手を広げて立っている。彼女はいざという時のために袖に仕込んでいた対人用プロテクトスクロールを地面に落とすと、レイピアを構えるザイガンを睨みつけた。商人職がシーフ職に立ち向かうという、無謀とも思える行為だったが、ディグダムを助けようと必死だった。
「イリーナ、俺のことはいい。街にテレポートするんだ」
「戦闘中の表示が出てるから無理だよ。対人戦なんてやったことないけど……。ディグ、起き上がれるならーー」
「あのさ、スクロールなんか使ってもさ、持続時間が終わったら意味なくね? ちなみに、俺ってば対人戦はコロシアムで結構やってるんだよねぇ。はははっ、お前ら、どうするよ? 」
どうにかして切り抜ける方法を必死に考えているイリーナとディグダムの視界にフードを被っているプレイヤーの姿が入った。彼は怪訝そうな顔で一触即発しそうな3人を眺めている。
「僕ん家の前で何をやってるんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます