第32話 それぞれの想いそれぞれの事情

 会社から定時に帰宅できた坂上莉子は何かに追われるように夕食をすませると、いても立ってもいられず、VRシンクロゲーム神ノ箱庭にログインしてパキラになった。人形と縫いぐるみだらけのマイルームで口元を緩ませてニマニマしている。


 現実世界のベッドで寝てい本体の顔も、にやけているんじゃないかと思うぐらい顔を緩ませていた。パキラはバレンタインイベント会場で手に入れた限定らいなたん縫いぐるみを手に取り、ふわふわな羊毛ラグの上に座った。


「嬉しすぎるぅぅ! 夢のようです。らいなたんもそう思うよね? 」

「うんうん、そうね。わたしもそうおもうよっ」


「うふふ。いまね、彼はぁ、工房塔のぉ、3601号室にいるんだよぉ」


「あいにいく? さしいれもってあいにいっちゃう? えろかわいしょうで、かれのはーとをつかんじゃえっ」


「やだぁ、らいなたんったらっ……」


 頬を赤らめて恥じらう仕草をした後に、背丈30センチほどの縫いぐるみをぎゅっと抱きしめた。ラグにコロンと横になったかと思うと、スタンピートをどんびきさせた、ぐひっぐひっという笑いを漏らしている。


 寝転がったまま、楕円のローテーブルに置いていたスマホを手に取って、フレンドリストにあるルードベキアという文字をじっと見つめたーー。


「よし、決めた! 女は度胸、当たって砕けろ、ど~んだっ。よし、送ーー待った、待つんだパキラ! 」


 スマホ画面の上を滑らそうとした左手の親指をピタッと止めた。ガバッと起き上がり、両手でしっかりとスマホ持って文章を読み直している。


「誤字脱字は……ないよね。オールオッケー」


 パキラはぽんと送信ボタンを押してすぐに右手を振り上げた。楽しそうに指揮者が指揮棒を振るように手を動かしている。


 ーー返事、早く来ないかな~。


 ピンピーンというガラスがはじくような着信音を聞いてすぐに確認した返信には、14日は先約があるので無理だと書かれていた。頭をがっくりと倒しているが、想定内だったようで思いのほかショックは受けていないようだ。1度玉砕してもめげない女パキラは不敵な微笑みを浮かべながら、新たなメッセージを書き始めた。


「えっと……。『カナデ君やスタンピートさんも、イベボスの攻略方法について悩んでいるので、ダンジョンに一緒に行ってもらえませんか。19時から15分でもいいのでお願いします』これならどうだ! ぽちっーー。ふぅ……」


 すぐに返事が来るかと思われたが、なかなか着信音は鳴らなかった。パキラはスクッと立ち上がり泣きそうな顔でウロウロ歩きーー座るを繰り返している。大きなため息を吐いて諦めかけた頃に、ガラスを弾く音がマイルームに響いた。


「いえす! スゥパァァ、エメラルドォ、フラ~ッシュッ!」


 お気に入りのアニメの主人公エランドが使う必殺技を叫んでガッツポーズをした。いきなり異世界に呼ばれて魔王を倒せと言われたけど、魔王が超可愛いいので一緒に世界征服をしようと思いますーーという長いタイトルなのだが、そのアニメのオープニング曲が頭に流れている。


「魔王ミーシャ様、ありがとう! 」


 パキラが天井に届くほど投げたスマホ画面にはーー分かりました19時に。と書かれていた。



 チームサビネコの待ち合わせ時間よりも40分ほど前にログインしたスタンピートは独りの時間を楽しんでいた。バレンタインを盛り上げる装飾がついた街灯を見上げて、去年とはまた違う楽しい雰囲気に心躍らせている。


 いつもの150ゴールドのアイスコーヒーではなく、30ゴールドほど上乗せしてコーヒーチェーン店がスポンサーの屋台で購入した。バレタインイベント限定チルドカップを手にして嬉しそうな表情を浮かべた。


「おっ。ショコラダンジョンのアイラブベアじゃんっ。これはなかなか勇ましい顔してんな。飲み終わったら俺のチルドカップコレクションに加えておこう。ふふふ……。他のデザインはーー」


 好きなデザインを選べないチルドカップが気になって、買い物客が見やすいベンチに座った。ストローを咥えながら眺めていると、ハートを追いかける蜂や、ギャオ~スと叫んでいる女神ヴィーナスが描かれているものが目に入った。


 ざっと見ただけで5種類のデザインを確認できたが、まだありそうだった。期間中に全種類、揃えられるだろうか。大人買いした方がいいかもしれない……コレクター魂に火が付きそうだ。ひと先ず、飲み終わったチルドカップをインベントリのコレクションタブに入れた。今まで集めたものを眺めて、満足そうに笑っている。


「14日でイベ終了か……。それまでに限定品を何としてでも手に入れないと! あっ、紅石も多めに買わないと駄目だった。転売用を多めにゲットしたいけど、投資金額……悩むぅ! ……とりあえず、もう1杯アイスコーヒーをーー」


 今度はハイビスカスの花びらで昼寝をするアイラブベアのイラストだった。観察していた時には見なかったデザインに喜びを隠せず、にんまりとしている。まんまる豚亭の前を通り過ぎて、スポーツ広場を眺めながらアイスコーヒーをすすっていたが、ふと思い出したようにスマホを取り出した。


「パキラ、マイルームにいるのか。模様替えしてんのかな……」


 スタンピートはメッセージアプリを立ち上げて、何かを決心したように文章を打ち込んだ。迷うことなくパキラに送信すると、チルドカップのフタを外して氷を口に放り込み、火照った頬を冷ますようにガリガリとかじった。ぼんやりと青い空を飛んでいる白い鳥を数えている。


「3……5、6。あ、ダブったかも。もう1回ーー」


 やり直している最中に、変更したばかりのモシモーシというらいなたんの着信音が鳴り響いた。白いケモミミがスタンピートの喜びを表現するかのようにぴこぴこと動いている。だが、スマホ画面を見た彼は、表情を曇らせた。


「リンジェかよ……。ゲイルが来ないからって、次は俺ってか? どうせ、人に戦わせて後ろで見てるだけだろ。なめんな! 」


 ショコラダンジョンに行きたいリンジェの媚びた文章に反吐が出た。さらに甘ったるい文字に酔って頭が痛くなりそうだった。ーー無理と返信してすぐに、連続でメッセージが飛んできている。スタンピートはスマホを見ることなく不愉快そうに眉間にしわを寄せた。


「うざっ。無視だ、無視」


 モシモーシ、モシモーシ、モシモーシ、モシモーシ、モシモーシーー。


 鳴り続ける着信音に気が付いたプレイヤーがチラチラとスタンピートを見ている。居づらくなった彼はスマホ画面をぱぱっとタップして、その場からそそくさと逃げ出した。マイルームエリアへ続く道まで、真っすぐと並んでいる白樺の間にある木製のベンチに駆け込んで、パキラからの返信だけを読んだ。


「あ~……やっぱり。だよね~、パキラなら、3人で行こうって言うよね~」


 スタンピートはパキラと2人だけで、14日のバレンタインの日にイベントダンジョンに行ってみたかった。たまにはペア狩りをしたかったのだが、なかなか思惑通りにはいかないもんだ。ふんわりと浮かんだ淡い想いを弾き飛ばそうとするように、彼は両手で頬をパチンと叩いた。


「おし、目が覚めた。そろそろカナデが来る頃だろうし、待ち合わせ場所に行こうかなーー。今日も3人で楽しく頑張っちゃうぞ! 」


 爽やかな笑顔でチルドカップをインベントリに収納すると、スタンピートはいつもの待ち合わせの噴水公園に向かった。



 かつてパキラやスタンピートとチームを組んでいたリンジェはインデンの街にいた。翡翠湖で死んで始まりの地に戻った後は、そこから1番近いこの街から動いていなかった。彼女はバレンタインイベントのショコラダンジョンに行きたくて、フレンドリストに載っている友人に片っ端から連絡していたのだが……。良い返事がもらえず……ひどくしょげていた。


「ちぇっ。こんな時にゲイルがいたらなぁ……」


 今までどんな時でも一緒で頼みの綱だったゲイルは……翡翠湖でデスリターンして以来、まったくログインしてこない。あの事件の元凶であるスタンピートに仕方なくメッセージを送ったというのに、返事は酷いものだった。


「はぁ? 無理のひと言だけ!? ふざけんなし! ありえないっしょ」


 怒りがやかんのように沸騰したリンジェはメッセージを連投した。


 ーーなんでそんなに冷たいの? 

 ーーあんなに楽しく遊んでたじゃない、ひどいよ。

 ーーパキラとは遊んでるくせに! 

 ーーあたしをのけ者にするの? 


 返事が来ないことに憤慨して、息をするように嘘を書き並べ始めた。次々とスタンピートに送信している。


 ーーパキラに腐った野菜を投げつけられたわ!

 ーーSNSでパキラに悪口を言いふらされているみたいなの……。 

 ーーこの間、パキラに階段から突き飛ばされたのよ! 

 ーーパキラが貸したお金を返してくれないの、ピート助けて!


 これだけ書けば、なんて可哀そうなんだ! 俺がリンジェを守ってやるぜ、と言ってスタンピートがすぐに駆け付けてくるだろう。その場にしゃがんだリンジェは、そんな妄想を浮かべてニタニタと笑いながら……地面を忙しそうに歩いている蟻を1匹ずつ、指で押しつぶした。


 しかし、期待もむなしく、いくら待ってもスタンピートからの返事は来なかった。怒り狂い、髪を乱して、地団駄を踏むという言葉通りに、茶色い土をローヒールの赤い靴で何度も踏みつけた。


「あたしのメッセを無視しやがって、ピートのくせに、ピートのくせに! マジむかつく」


 もっとメッセージを送ってやろうとしたが、スタンピートとやり取りをしていたメッセージ画面そのものが無くなっていた。フレンドリストを確認したリンジェは怒りで顔が真っ赤になった。


「あいつーーあたしをブロックしたな! 」


 畑の白い柵を何度も蹴り飛ばしたが、ちっとも気分が晴れなかった。もっと他に気分転換できるものがないのかと周囲を見渡して、畑にいるカラスに目を付けた。鋭そうな石を拾って大きく振りかぶって投げるとーーカラスが消滅した。


「ありがとうございます」


 つばの広い麦わら帽子を被った農民NPCがリンジェに1ゴールドの金貨を手渡した。お金を手に入れたリンジェはーーたった1ゴールドかよと言って、地面に唾を吐いている。農民NPCは彼女を見ることなく、再び舞い降りてきたカラスを見て困った表情を浮かべた。


 リンジェは虚ろな目でスマホのフレンドリストを眺め……溢れる涙をゴシゴシと袖で拭いて鼻をすすった。


「ゲイル……なんでこないの? こんなに待っているのに……。あんなに仲良しだったのに……薄情すぎるよ」

 

 パーティにパキラが加わってから、ゲイルの目がいつも彼女の姿を追っていることに、リンジェは気付いていた。ずっと一緒に冒険をしてきたのにどうして? とても寂しくて悲しいという気持ちは……やがて悔しさと憎悪に変化した。


「翡翠湖でパキラが死んで、役立たずだって分かれば、パーティから追い出せると思ったのに……。あいつ、あたしを怒鳴りつけてくるし、あたしは死んじゃうし……。ゲイルは来ないし……」


 拾った石に恨み言を聞かせるように、ぶつぶつとつぶやいている。マジックがあったら憎いあいつの顔を描いてやりたい。リンジェは歯をぎりぎりと鳴らして顔をしかめた。


「もう、最悪! 」


 投げつけた石が上手い具合にカラスに当たって、意図せず駆除が成功してしまった。喜んだ農民NPCがリンジェに1ゴールドを手渡している。


「1ゴールなんてはした金、いらねーんだよ! ばぁか! 」


 文句を言いながらも受け取った金貨はスマホにシュッと吸い込まれてーーリンジェの所持金が1ゴールド増えた。


「あたしがデスペナくらったのも、ゲイルが来ないのも、イベントダンジョンイベダンに行けないのも、ピートからフレ切られたのもーー全部、全部っ、パキラのせいだっ! 」


「パキラめ! パキラめ! パキラめ! パキラめ! パキラめ! お前なんか不幸になればいい! 」


 石を拾って何度も畑に投げつけると、今度は3ゴールド貰った。何をしてもむしゃくしゃして気が晴れない。イベント会場でミニゲームでもしようかと歩き出した途端に、母親からの緊急ダイヤルメッセージがスマホに表示された。リンジェはため息を吐き出し、現実世界に帰ったーー。


 桜子に戻ったリンジェはVRシンクロヘッドセットを頭から取って、ギョッっとした表情を浮かべた。


「なんで裸なんだよ……」


 下半身の嫌な感触を覚えながら、よろよろと起き上がった。着ていたはずのクマ柄のパジャマと白い下着はベッドの下に乱雑に落ちていた。


「あいつら……あたしがゲームしている間に、客をあてがったなーー」


 拾ったショーツを捨てようと覗いたゴミ箱には使用済みのコンドームがいくつも捨てられていた。全身に何かが這いまわるような感覚が蘇りーーゾッとして自分自身を両手で抱えた。


「何人とヤらせやがったんだよ。ざけんなマジで! 」 


 怒りで震えながら、勢いよくゴミ箱を蹴り上げた。壁に当たってガコンという大きな音が響いてすぐに、母親が部屋のドアをバンッと勢いよく開けて入ってきた。


「桜子、起きたなら、常連の社長んとこにいきな! グズグズするんじゃないよ」

「嫌だ! あんなハゲじじいとヤリたくない! 」


 桜子は裸のまま部屋から逃げ出そうとしたが、母親に髪を掴まれて小さな顔を何度も平手打ちされてしまった。自分よりも背の高い母親を押しのけることができなくて泣き喚いている。


「痛い、痛い、殴らないで、止めてお母さん、止めて! 」

「給食費欲しいんだろ? そのくらい自分で稼いできな! 」 


 さらに母親は鬼の形相で桜子をベッドに突き飛ばしたーー。身を守るために身体を丸めて震える娘に容赦なく何度も拳を振り下ろしている。


「生んでやったあたしを労わずに逆らうなんて! 子どものくせに! 子どものくせに! 薄情者めっ! 」


「ごめんなさい、ごめんなさい……お母さんーー言うこと聞くからっ」 


 桜子の言葉を聞いてにんまりと笑った母親は振り上げていた手を下した。菩薩のような笑みを浮かべて、一糸まとわぬ姿の娘を愛おしそうに抱きしめている。


「桜子ぉ、いい子ねぇ。お母さんがぁ、今日買ったばかりの花柄のワンピースを着せてあげるからねぇ」

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