第31話 パキラのラッキーな日

 バレンタインイベントの2日目。今日も街の上空に、公式萌えキャラアイドルらいなたんの姿がモニターに映し出されている。イベント期間中はリアルタイムの20時と23時に放送をしているようだ


 カナデはスタンピートといつもの噴水公園でチュロスをかじりながら、らいなたんの宣伝放送を眺めていた。


「ヤッホー! みんな元気? こぉんなにいっぱいのプレイヤーさんたちがイベント会場に詰めかけているよ! 」


 モニターの映像が、らいなたんのアップからイベント会場に切り替わった。上空から見渡すように会場全体が映り、しばらくするとダンジョン入り口付近にいる人だかりをクローズアップした。


「みんな知ってるかな? イベント会場にある商店では、ななななんと! ここでしか手に入らないアイテムがい~っぱいあるんだよ! ぜひ、チェックしてね! 」


 テント前にずらりと並ぶ商店と、楽しそうな買い物客の様子が映し出された。TVカメラマンNPCが現地で撮っているようで、それに気が付いたプレイヤーがピースサインをしている。


「ピート、リアルのTVニュースみたいだね」

「確かに。ーー俺も映りたい……」


「あははっ。楽しそうだよね。23時の放送にもTVカメラマンがいるかもしれないから行ってみようよ! 」


「カナデ、それはナイスアイデアだ! 」


 スタンピートは小さくなったチュロス口に放り込むと、スマホをタップしてパソコンのアイコンで見るようなゴミ箱を具現化した。


「カナデ、俺のゴミ箱にその紙、投げて良いよ」

「わっ!? 」


「あ、出そうとしてた? 」

「えっと、イベント情報見てたんだ」


 カナデは画面を隠すように膝に置いたスマホを左手でぎゅっと握った。えへへと誤魔化すように笑って、右手のひらにあるチュロスの包み紙を、スタンピートが出したゴミ箱にそっと落とした。


「ピート、ありがとう」

「ユアウェルカム〜」


 スタンピートがイベント受付に目を向けた隙に、カナデはスマホ画面をサッと触って、プレゼントボックスのアイコンが表示されていたインベントリを閉じた。


 ーーパキラに渡したいんだけど、なかなか機会がないなぁ。


 それは3人で試着カーニバルを楽しんだ後に、衣装店で購入したパキラへのプレゼントだった。2人きりになれた時にと思っているうちに、あれからかなり日が経ってしまった。


 今さら見せても、遅いかも知れない……受け取って貰えなかったらどうしよう。そんな事ばかり考えて、モヤモヤが募った。


 煉瓦で舗装された地面をパタパタと駆ける音がくるっぽーと鳴く鳩の声に混ざっている。にっこりと笑ったカナデの視線の先には、黒髪の上に白いケモミミを乗せたパキラが走っていた。


「ピート、カナデーー昨日はごめん」


 パキラはパンっと音を立てて両手を合わせた。ぺこりと頭を下げて、ごめんねポーズをしている。そんな彼女にカナデは気にしないでと言って微笑んだ。


「先に色々見てきちゃったけど、ネタバレはしないように、お口チャックするねっ。ね、ピート」


「ウンウン、ファスナーでーーいや、糸で口を縫いつけとく! 」


 スタンピートはアヒル口にした唇を右手の人差し指と親指で摘んだ。カナデも仕草を真似している。互いの視線を合わせた2人はプッと吹き出した。


「あははっ。2人とも、ありがと。私は公式サイトで、ラブチョコと交換できるアイテムを見てきたよ。気になるのがあるんだ」


 白いベンチからすくっと立ったカナデは、ゴソゴソと取り出したスマホを操作しているパキラの手をじっと見つめた。屋台はあちこち見たが、らいなたん商店はラブチョコがある程度集まってから行こうと思っていたので、どんなものと交換できるかまでは知らなかった。


「チェックしてなかった。パキラは何が欲しいの? 」


「えっとね……。あった! ーーこの錆び猫耳、良いと思わない? ちっちゃいハートのピアスが付いてるんだよっ」


「マジかっ。ビビちゃんとお揃いになれるやんっ」


 スタンピートはカナデの頭上に乗っていたビビを抱き上げて、ふわふわな毛皮に顔を埋めようとしている。ビビは嫌そうな顔しながら、彼の右頬にピンクの肉球を押し付けた。人間はなぜ猫吸いをしたがるのか……理解に苦しむ。


「あっと、ピート、ビビが嫌がってるから……」


「ビビはネコペなのに動きが活発だよな。昨日、一緒にダンジョンに潜ったシイラさんの三毛はーーあっ」


 いい加減にしろ! と唸る寸前だったビビは身をよじってスタンピートの腕からの脱出に成功するとーー白いベンチの下に隠れた。カナデは残念そうな顔をしているスタンピートの腕を引っ張って、パキラのスマホを指差した。


「この錆び猫耳、皆んなで付けようよ。ーーパキラ、交換するに必要なラブチョコは幾つ? 」


「んっとね……30個って書いてある。集めるの大変かな」

「大丈夫だと思う。ダンジョンで楽しく遊んでいればすぐだよっ」


「確かに! カナデの言う通りだね。この耳を付けたら……チーム名は、白ケモから……チームサビケモになるのかな」


 パキラは左手を右腕の二の腕に乗せて腕組みをした後に、頬を右手の人差し指でぐにっと押した。目線を青い空に向けている彼女の前で、スタンピートはスマホから猫じゃらしを取り出した。隠れてしまったビビの機嫌をとろうとしているようだ。


「パキラ、それはひねりがない。チームサビビビが良いと思う! 」


「それは言いにくいよ~。ほら、ビビちゃんもそっぽを向いてるっ。サビケモが良いよ。カナデもそう思うでしょ?」


「うーん、チームサビネコとかどうかな? 」


 やはりシンプルイズベストが1番なようだ。彼らはまだ手に入れていないアイテムを思い浮かべて、カナデの案にしようとはしゃいでいる。チームというシステムはこのゲームにないというのに、名称が果たして必要なのだろうか? ビビは若干、疑問に感じたが、カナデが楽しそうなので気にしないことにした。


 ーーそれにしても、サビビビにならくてよかったにゃ……。


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 バレンタインイベント会場は今日も賑わっていた。ピエロ姿のNPCが風船を配っている。紐先には食べると体力を回復する、ひと口チョコが付いていた。1人1個しかもらえないようだが受け取ったプレイヤーは嬉しそうにポケットやバッグにしまっていた。


 ガロンディアの街を拠点にしているプレイヤーが多いせいだろうか、初日と変わらないぐらいの人の波が会場を埋めていた。手を繋がないとはぐれてしまうほどではないけれども、スタンピートは背が低いカナデを庇護するように歩いている。


「すっげぇ人だなぁ。カナデ、昨日より人が多くないか? 」


「ピート、本当だね。パキラ、ダンジョンにすぐ入る? それともお店を見てからにする? 」


 中央の植栽を挟んで2本伸びている大通りの左側にいたパキラはぐるりと周囲を見渡した。らいなたんのバレンタインバージョンのポスターと等身大パネルが並んでいる屋台が目についた。店の奥には縫いぐるみや限定グッズがあるようだが……よく見えない。


「う~ん。らいなたんのバレンタイン限定縫いぐるみが欲しいんだけど……」

「パキラ、らいなたんファンだったの? 」


「コアファンじゃないけど、マイルームに縫いぐるみを飾ってるの。イベント毎に限定版が出るから、気になるのよね。今回のポスター、良いなぁ……」


 パキラが目を凝らして見ているポスターはデフォルメされた2頭身のらいなたんとピンクのクマが砂浜ではしゃいでいる姿が描かれていた。他にもカナデが腰を抜かしたハイビスカスを背景に可愛らしい蜂とピクニックをしているものもあった。


「あのポスター可愛いよね。昨日、砂浜でかけっこしてるやつを買ったよ。あと、Tシャツも! 」


 カナデが服の胸元の左側を両手で摘まんで見せている。それは単なる青いTシャツではなく、ちびっ子らいなたんがハート抱えてる線画がプリントされているものだった。


「それ、子どもっぽくなくて、ちょっとオシャレじゃない? そういうのなら、私も欲しいかも! ……今回のイベントも散財しちゃいそう」


「あはは。僕もいっぱい欲しいものがあって困ってるよ。あの屋台に入ったら、またなんか買っちゃいそうだけどーーちょっと人混みが多いかな」


「そうだね。もう少し後にしようかな……。他のお店を見てもいい? 」

「うん、もちろんだよ」


 屋台は大通りを挟むように立ち並んでいた。イベント限定アイテムや、企業スポンサーの名称がでかでかと記載された飲食店や衣装店の他に、ミニゲームが楽しめる屋台もあるようだ。興味をそそられるものが多すぎて、パキラはあちこち目移りしている。


「いっぱいありすぎて困っちゃうね。端から見ていく方がいいかな……。皆んな何を買ってるんだろう? 」


 買い物客の様子を観察していた彼女の瞳に……ぼさぼさの銀髪をフードから出した男性プレイヤーが映った。磁石に吸い寄せられるように走り出している。


「パキラ? どうしたの? 」


 何も言わずに駆け出したパキラに驚いたカナデとスタンピートが慌てて追いかけた。パキラはプレイヤーにぶつかりそうになっていたが、サッカー選手が相手をかわしてドリブルするような動きで切り抜けていた。戦闘時とは違う彼女の動きに、カナデは目を見張った。



「ルードベキアさん!! 」


 パキラはフードを目深に被った男性プレイヤーの進路を邪魔するように立つと、頬を少し赤らめて、はにかんだ笑顔を見せた。ーー彼と腕を組んでいるカナリアに目を向けることなく、フードの中を覗き込むように見ている。


「あの……ルードベキアさん、こんばんは」

「……こんばんは」


「これからイベダンジョンですか? 」

「……そうだね」


「私も、たちとこれから行くんですけど、ご一緒していいですか? 」

「先約があるので、すまないけど……」


「私、初見なので不安なんです。あ、も一緒ですよ? 」


「いや、フレと待ち合わせしてるからーー」

「何人で行くんですか? 私たちもぜひ参加したいです! 3人一緒が駄目ならーー」


「パキラ、何言ってんだよ! ルードベキアさんを困らせるな! 」


 スタンピートがしつこく食い下がっているパキラの肩をグイっと引っ張った。そんなつもりは無いという彼女の後ろから、何が起きているのか分かっていないカナデがひょっこりと顔を出している。嬉しそうにルードベキアの袖を掴んだ。


「ルードベキアさん、カナリアさんこんばんはっ! 今日もお似合いランデブーカポーッですねっ。マキナさんはいないんですか? 」


「カナデ……ランデブーカポーって……。そんな言葉、今時、使うやつなんていないぞ」


「昨日、ミンミンさんから教えてもらいました。2人に言うと喜ぶよって」


「うぐっ……ミンさんに変な言葉を教えられちゃったみたいだね。マキナは仕事が忙しいみたいだよ。カナデ、悪いんだけど、そろそろ待ち合わせの時間になっちゃうから、また今度ゆっくり話そう」


 ルードベキアがカナデに手を振っている一方で、パキラは立ち塞がるスタンピートを押しのけようと必死になっていた。推しに近づくチャンスを奪われてなるものかと雑踏の中でフェイントしながら抜けようとしていたが……急に動きを止めた。


 パキラはカナデの頭上にいるビビを撫でているルードベキアに見惚れていた。キラキラと輝く妄想エフェクトが優しく微笑む彼をさらに引き立てている。彼女はぐふっぐふっというスタンピートがドン引きするような笑いを漏らした。


「パキラ……ちょっとその顔はやばいって」


「ピート、邪魔しないで! ルードべキアさん、フレンドになって下さい! 待って、行かないで! ルードべキアさん! ルードべキアさん! 」


 周囲にいるプレイヤーが声の主を確かめようとするほどの大きな声だった。ルードベキアって魔具師の? ……というヒソヒソ声が聞こえている。これだけ注目されたら、簡単には跳ね除けられないだろう。


 だが、パキラの目論見通りにはいかなかった。ルードベキアは立ち止まることなくスタスタと歩いている。


 ーー嘘……。もっと断れない雰囲気を作らないと駄目? 涙を浮かべちゃう? 


 大きく手を振っていたパキラはしょんぼりと項垂れて、鼻をすすり始めた。女性プレイヤーからの可哀そうという同情めいた言葉を耳にして、両手で顔を覆ったーー。スタンピートは急に泣き出した彼女に困惑しておろおろしている。


 カナデは泣いているパキラに驚いて縋るようにルードベキアのコートを掴んだ。


「ルードベキアさん、僕からもお願いしてもいいですか? パキラは職人じゃないけど、銃が好きみたいで、それで……」


 必死に頼み込むカナデを無下にすることは出来なくて、ルードベキアは観念したように了承した……。変につきまとわれるよりも、居場所を知っておいた方が逃げやすいかもしれない。諦めに似たような表情を浮かべながら、フレンドリストのパキラという名前を見つめた。


 ため息を吐きながら去っていくルードベキアとは裏腹に、パキラは嬉しすぎて大興奮していた。風景が鮮やかになり、何もかも輝いて見える。あぁ、世界はなんて美しいんだろう! ルードベキアのしかめた顔はポジティブ変換されて少女漫画に登場するような素敵な王子様になっていた。


 ーー推しのツンデレ、スーパーエメラルド級に萌えるぅ。や~っとフレンドになれた! ログアウトしたら、日記に書かなきゃ。ぐふふふ。


 カナリアは不機嫌そうだったが、もうそんなことはどうでもよかった。これでいつでもルードベキアの所在地が分かる……。パキラは喜びを叫びたい気持ちを抑えて、屋台でアイスコーヒーを3つ買った。


「カナデありがとう! それとスタンピートにも幸せのおすそ分けっ」

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