第9話 スタンピートの作戦

 薄暗いモニター部屋で奏がハラハラしながら映像を見ている頃、パキラはワイバーンたちが入り込めない森の奥でひと休みしていた。息つく暇もない攻防戦にだいぶ疲れを感じている。


 額から流れる汗を、茶色のバッグから取り出したハンドタオルで拭いながら、湖面に浮かんでいるクリスタルに注目した。


「さっきメッセ来たばかりだから、まだだよね。……ゲイルさんがいる時にこの方法に気付けばーーいや、もうそんなこと言っても仕方ない。そういえば、このタオル……リンジェさんと一緒にクエクリアして取ったんだっけーー」


 パキラは『迷子シープのサンディーズ』というクエストを思い出して、弱弱しく笑った。それは森を含めた広大なエリアのあちこちに散らばる50頭の羊を農場の檻の中に入れるという面倒くさすぎる内容だった。


 周辺に出現するモンスターはソロでも問題なく倒せるが……専用アイテムを使って追い立てながら集めるというのは、数が多すぎて厳しいと感じていた。


 何時間かかるんだろうと思って諦めようした矢先に、パキラは冒険者ギルドの掲示板で見つけたパーティ募集に飛びついた。


「あの時は同じように考えてる人がいると思って嬉しかったけど……」


 喜び勇んで待ち合わせ場所の酒場に行った自分を消し去りたい……という気持ちが、大きなため息に混ざった。ハンドタオルに刺繍されている羊マークをしばらく眺めた後に、両手でパンッと顔を叩いた。


「スタンピートさんの作戦を頑張らないとダメっ! ワイバーンの注目を集めるのが、いまの私がやるべき事なのだぁ! 」


 パキラは自分を言い聞かせるように叫ぶと、樹木に体当たりをしているワイバーンに向かってスキル斬撃を放った。日本刀の刀身を模した白く光る斬刃が目の前の木々もろともワイバーンの赤い鱗を斬り裂いた。


「しまった! このスキル、伐採木こりしちゃうんだったっ」


 樹木が消えたスペースに我先にと赤い波が流れ込んでいる。パキラは無我夢中で、スキル突剣を発動したが……スキルレベルが低すぎるのかポコンという音を立てるだけで、進撃をとめることは出来なかった。慌てて後ろに飛び退き、彼らの攻撃が届かない場所に移動した。


「くぅっ、明日からこのスキルのレベ上げする! 絶対! ーーあ、これチャンスかも? むふふ」


 ワイバーンたちが串に刺さった団子のように狭い隙間にぎゅうぎゅうに詰まっていた。詰め寄る後方陣のせいで、彼らは身動きできず唸り声を上げている。これは倒しやすいかもとパキラはほくそ笑んだーー。



 ボスである翡翠湖の守護龍ジェイドはけしかけた竜巻が森の手前の野原で草花を巻き上げながら散歩を楽しんでいる様子に業を煮やしたのか……黒雲を使って森に稲妻を落とし始めた。落雷が枝葉に弾ける音に驚いた鳥たちがスタンピートの頭上を飛んでいる。


 スタンピートはその音を聞きながら弓を構えると、紫色のクリスタルに狙いをつけた。


 ーータゲれるけど、距離が……。通常攻撃や他のスキルじゃ届かないな。遠射えんしゃ使わないと駄目か。ううっ……スキルクエをもっと頑張ればよかった。


 弓スキル遠射えんしゃはスキルレベルを上げなくても通常攻撃の100%が増加される上に、ディレイが3秒だった。だが、300メートル以上離れないとフルボーナスダメージが追加されない。


 パーティプレイでは使いにくいと感じたスタンピートはクエストを受けてスキルレベル上げることなく、普通の攻撃手段として使っていた。


 ーーレベル2だとフルボダメは何パーセント分が追加されたっけかな……。


 1羽の白い鳥のような矢が命中しますようにとスタンピートの祈りを乗せて飛んでいる。パンという軽い音を聞いたスタンピートは黄色い文字で表示されたグッドという判定を目にしてニヤリと笑った。


「3、2、1……」


 カウントをしながらクリスタルの小さな亀裂目がけて、3秒毎に3回、追い打ちをかけた。次々にグッド判定を出した白い閃光は大きな亀裂を作ったかと思うと、紫色の欠片を次々に生み出した。


 ばらばらに砕けたクリスタルが黒い水の中に素込まれるように消えている。スタンピートはその光景にホッとして、安堵の表情を浮かべた。


「まずひとつ……。思ったより硬くなかった? よぉし、次もこの調子で行くぞぉ! 」


 元気よく大声を上げたせいか、湖面上空を旋回していたワイバーンに見つかってしまった。ギャーギャーと鳴きながらスタンピートに向かって突撃している。


 本能的に隠密スキルを使ったスタンピートはーーええ? 俺の獲物どこ行ったん? という風にワイバーンがキョロキョロしている隙に、森を飛び出し2つ目のクリスタルを目指したーー。



 ーースキル俊足を使ったら隠密が終わるまで何メートル進めるんかな。街に帰ったら検証しないとなぁ……。


 そんなことを考えながら、スタンピートは湖と守護龍ジェイドのテリトリー壁の間をがむしゃらに走っていると……ゾワっという感覚を覚えた。パッシブスキル第六感が何か察知しと分かって、ちらりと湖面に目を向けるとーー。


「げっ!? マジかよっ。これはヤバすぎる! 」


 黒い竜巻が相変わらずのストーカーぶりを発揮していた。だが、こそこそすることなく堂々と、最短距離を選んでーーフィギュアスケーターのように華麗に湖面を滑っている。明らかに大地よりも移動スピードが速かった。


 このままだと目的地にたどり着くまでに追いつかれてしまうだろう。目の前の森に飛び込んだスタンピートは、守護龍ジェイドのが展開している戦闘テリトリー壁まで木々の間を縫うように駆け抜けた。ふぅと息を吐き出して呼吸を整えている。


「じゃじゃーん! 題して、森を削ってスピードを落としちゃえヨっ! いえぇ~い作戦スタート! なんつって……。でっかい独り言さーせんっ! 」


 スタンピートはケラケラと笑いながら、頭上に右手拳を勢いよく振り上げている。


「スッキリした……。ストレスぱないわ。あ、そうだスマホーー」


 ジャケットの内ポケットから取り出したスマホをかぶりつくように確認したが……カンナからのメッセージはまだ届いていなかった。時刻はゲームのゴールデンタイムに突入しているーー。スタンピートは現実時間を表示する時計をじっと見つめ……肩を落とした。



「くそっ、あとちょっとだったのにぃぃ! ドジった」


 ほんの1分前、なんとか竜巻を森に置き去りにすることに成功したスタンピートは2つめのクリスタルに1番近いポイントから、連続で3発ーー遠射えんしゃで矢を命中させた。


 森から離れた岩場近くでスキルディレイをカウントしながら、これは楽勝だなと高を括っていた。そして発射した次の1発は……亀裂が入ったクリスタルからにゅるりと生まれたワイバーンの額に当たったーー。


「なんちゅぅバッドタイミングぅ! 」


 スタンピートがそう叫ぶと同時に、視線だけ動かしていた守護龍ジェイドが身体を向き直した。矢が飛んできた方向にゆっくりと移動し始めている。木々と戯れていた竜巻は主人の魔法で呼び戻されると、雨のように稲妻を降らしていた黒雲を吸い込んだ。


 黒々とした見た目に変貌した竜巻は稲妻をバチバチまき散らしながら回転しているーー。さらに、凶暴さが増した己の分身を作り上げ、競争するように獲物に向かって行った。


 移動速度も格段とアップしていた彼らは……主人である守護龍ジェイドよりも先に獲物を体内に取り込めそうな位置までたどり着くと、ゴウゴウという歓喜の声を上げた。稲妻を触手のように伸ばして振り回している。


 スタンピートはその触手から逃げるために森を目指していた。スキル俊足と隠密を使って転がるように走っていたが、ふとゾワっとした危険な気配を察知して、思わずぴょんと右横に飛んだ。


 ドンっという音と共に地面が焼け焦げた様子に冷や汗を感じる暇もなく、すぐに後ろに1歩下がった。


 目の前で落ちる稲妻を見たスタンピートはーーどんなもんだい! というような自慢げな顔……いわゆるドヤ顔を妄想エア観客に披露した。


「俺って天才じゃね? 」


 ーーと言った矢先に、彼の少し伸びた鼻はすぐに引っ込んだ。樹木と同じように獲物を巻き上げようと進軍してきた2つの黒い竜巻がスキルディレイ中のスタンピートを挟み込むように迫っていたーー。


「ぐぬぬっ……これは虎の子をーー。いつ使うの!? 今でしょ! 」


 スタンピートが右手で強く握りしめたリフレクトスクロールを足元に投げつけると、透明の壁に青い線で魔法陣が描かれた壁が出現した。彼の全身を包み込むようにドームを形成している。


 そのリフレクト壁に勢いよく体当たりした2つの竜巻は自分に何が起こったのか気付く間もなくシュッと消滅した。


「すっげぇ……。めっちゃ高かっただけはあるな」


 スタンピートが使ったリフレクトスクロールのレベルは、5段階のうち『2』だった。レベル1はキャラクターレベル10、レベル2は20ぐらいの強さだよーーと、冒険者ギルドで出会った先輩プレイヤーがふんわりとした感じで教えてくれた。


 レベル30台のスタンピートは本当はレベル3が欲しかった。だが、アイテム商店で見た値段に目玉が飛び出し……コレはちょっと無理だぁ…… と、諦めてしまった。いざという時のために、いつかは欲しいと常々考えている。


「いやいや問題ないでしょっ! レベル2でこの威力……。さすが、メイド、イン 、ルードベキアだな。ならばプロテクトスクロールの威力も、期待できる! 」


 懐があったまってきた頃、安いと飛びついて買ったのは、リフレクトではなくてプロテクトだった。その時はーーやっちまったぁと嘆いたが……コレのおかげで生き残れそうな気がしている。


 ふとカンナからの連絡がないか気になったスタンピートはスマホを取り出した。


「う~んと、メッセはーーあっ、やばっ。今度はワイバーンかよ! パキラさんとこに行ってくれないかなーー」


 新たにクリスタルから沸いたワイバーンは獲物を発見して喜んだのか、大きな鳴き声を上げていた。スタンピートは左手で握っているスマホにメッセージ着信を知らせる表示が出ていないことが分かると、がっかりしたような顔でスキル隠密を使った。



 その一方で、パキラは牙をむき出して肩を噛みつこうとするワイバーンを上手に刀でいなしていた。樹木の後ろにサッと身を隠して、湖が見やすい位置まで走っている。ワイバーンが少ないポイントにたどり着いた彼女は真剣な表情で湖面上のクリスタルを確認した。


「う~んと、守護龍ジェイドドラドラは背中向けてるなぁ……。あっ、クリスタルが1個だけになってる! さすがスタンピートさんっ! ーーじゃあ、もう1つが壊れるまで、ワイバーンを集めなきゃね」


 作戦が成功しそうだと喜んでいるパキラの両腕は傷だらけだった。攻撃を受けたときの瞬間的な痛覚はリアルの1/3だが、その痛みが持続することはないため気付いていなかった。この傷は体力が減っていることを表現するためのゲームの演出らしい。


 回復ポーションを使えば綺麗に消えるが、そのまま放置してダメージを受ける続けると、だるさやめまいなどを感じるようになり……体力数値が1桁になった場合は気絶して行動不可になってしまうこともあった。


 袖から出ている腕の痛々しい傷が少し気になったパキラはゴソゴソとバッグを探った。


「あぁ……そんなぁ。もう1個も回復がないのかぁ。スマホのインベントリには……無い……ね。自然回復したくても戦闘中表示が出たままだから駄目だし……。体力はどのくらい削れちゃっるのかな? えっとーーステ表示は……」


 パキラが自分のステータスをスマホのアプリで確認しようとしていると、ゴォォォォォォガァァァァァァという耳障りな重低音が翡翠湖エリア一体に響き渡ったーー。何事かと驚いたパキラは顔を上げて、目を凝らした。


「あ、クリスタルがない! 」



 守護龍ジェイドの怒号によって発生した衝撃波が空気を震わせている。パキラはビリビリとした感覚を覚えながら、様子を窺っていた。ワイバーンたちはピタッと動きを止めて、しばらく湖を眺めた後に、大きな羽を広げて次々に飛び去っていった。


「え、どこに行っちゃうの!? ちょっと待って! どうしよう……スタンピートさんは大丈夫かな」


 ワイバーンたちを追いかけて桟橋にたどり着いたパキラは、そこからスタンピートの姿を探した。メッセージに書かれていた作戦では、桟橋の対岸から2つめのクリスタルを破壊すると書いてあった。


 必死に目を凝らしたがスタンピートの姿は身体の大きい守護龍ジェイドに遮られて確認することができなかった。湖面上の赤いワイバーンの群れと、新たに発生した2つの黒い竜巻がパキラを不安にさせた。上空に集まっている黒雲が対岸に稲妻を何度も落としている。


「スタンピートさんを助けにいかなきゃ! 」


 パキラが走り出そうとした瞬間に、一筋の白い線が空に上がったーー。それは上空でパァと明るい星のように輝くと、数えきれないほどの光の矢となって守護龍ジェイドの頭上に降り注いだ。


「あれは、弓スキル!? ーーよかった、生きてる! 」


 湖面にいるワイバーンの注意を自分に向けようと思ったパキラは渾身の力を込めて、スキル斬撃を発動した。日本刀から放たれた斬刃はパキラから離れるごとに大きくなり、威力を増していった。


 湖面から上空にいるワイバーンに届くほど巨大に育った白い刀身は赤い軍団を蹴散らし、守護龍ジェイドの背中にぶつかったーー。身体を傷つけられた守護龍ジェイドが甲高い声で雄たけびを上げている。パキラは頭が痛くなるほどの音に顔をしかめ、両手で耳を塞いだ


 守護龍ジェイドが長い尾を湖面に何度も叩きつけている。その衝撃で生み出された直径2mほどの5つの水珠が翡翠色の身体の前で五角形を表すように並ぶと、守護龍ジェイドはゆっくりと桟橋に向かって移動し始めた。


 その様子に驚いたパキラはぶるぶると震えながら後退った。


 そしてリンジェが摘んでいた小さな赤い花を蹴散らし、ワイバーンを翻弄した樹木の間を通り抜けて、森の奥にある戦闘テリトリー壁に体当たりするまで走った。……地面に膝をついて自分の身体を抱えている。


「どうしよう……。ボスのタゲをとっちゃった」


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