第10話 これ……どうやって使うの?
ピンピーンとガラスをはじくような音が森の中に響いた。樹木のウロから興味あり気にシマリスが覗いている。パキラは慌てたようにスマホを取り出すと、画面をじっと見つめた。メッセージが届いた事を知らせるアイコンが表示されている。
「スタンピートさん? 新しい作戦かな? 早く合流したいなっ」
地面にペタンと座り込んでいたパキラは、さっきまで手が震えていたのが嘘のようにシャキッと立ち上がった。自分は独りじゃない、大丈夫まだ頑張れる! 満面の笑みを浮かべながら、明るい気持ちでスマホのメッセージアプリをタップした。
しかし……そこには予想だにしていなかったことが書かれていたーー。
ーーごめん死んだ、これ使って。
その文章を読んだ途端にパキラの紫色の瞳から大粒の涙がこぼれた。天国から地獄に突き落とされるとはこのこと言うんだと、がっくりと肩を落として、すぐ傍にあったどんぐりの木におでこを押し付けた。手の甲で頬を伝う涙をゴシゴシと擦っている。
パキラはしばらくグッとこらえていたが、どうしても感情を抑えられず、向かい合う樹木にもたれて、大声で泣きじゃくった。頭上にある枝葉が彼女を慰めるようにさわさわと優しく揺れている……。
ひとしきり叫んだことで少しスッキリしたのか、パキラは急にスッと真顔になり、茶色のバッグから羊マークがついたミニタオルを取り出した。
「ゲームなのに、こんなに涙が出るなんて変なのっ。VRだからといってここまでリアルっぽくしなくてもいいんじゃないかな。同じVRゲーのエタドラなんて涙どころか汗すらでないのにーー」
瞼が腫れているかもしれないと思ったのか、樹木に話しかけながらぺたぺたと右手で触って確認している。どうやらそこまでは再現されていないらしい。パキラは安心したような笑みを浮かべた。
「戦闘以外の仕草や表情がぎこちなかったから、こっちに来たんだけどね。逆にリアルすぎて焦るわ、まじでーー」
軽くため息を吐くと、メッセージに添付されているアイテムのアイコンにそっと触れた。具現化された緊急支援の笛がスマホの画面上にふわりと浮かんでいる。
これでデスリターンせずにここから脱出できる……パキラは黄金色に輝く笛を両手で包むと、カンナと話をつけてくれた上にアイテムを送ってくれたスタンピートの笑顔を思い浮かべながら目を閉じた。
「スタンピートさん、本当にありがとう……」
目を開けたパキラはしばらくの間、手の中にある笛を嬉しそうに、しげしげと見つめていたが、急に困惑したような表情になった。
「これ……どうやって使うの? 」
パキラはいざという時のためにと思って、商会が経営するアイテム屋で緊急支援の笛を見に行ったことがあった。だが、笛の登録者がログインしてないと使えないというのに、気軽に買えない値段に驚愕して、すんなりと諦めてしまった。
知らない人に助けてもらうことに抵抗感があるし、まぁ、いいか……と思って説明等を聞かずに店を出てしまった自分を、今さらながら叱咤したくなった。
「もうちょっと、ちゃんと調べてみればよかったな。買えなくてもアイテムの使い方ぐらいは分かってないと駄目だよねーー」
ギューンガガガガガガ。ギューンガガガガガガーー。
ため息を吐いて反省している最中に……チェーンソーで木を削っているような激しい音が辺りに響き渡った。黒い竜巻が稲妻をビリビリと吐き出しながら森を蹂躙している。パキラはビクビクしながら笛をぎゅっと握りしめた。
「い、いつのまにこんな音をさせるほどが近くまで? せっかく笛を手に入れたのに、どどどうしよう!? 」
渦に巻き込まれてデスリターンする自分がポンと浮かんで身体が震えた。耳元でミニミニパキラが安全な場所でスタンピートに笛の使い方を聞けば大丈夫だと囁いている。パキラはなりふり構わずに樹木の隙間を走り抜けた。
スタンピートが向かった隣の森の方まで走ろう! そう思って草むらに飛び出したが、パキラの瞳に映ったのはそそり立つ絶壁と、ごろごろと転がる大きな岩だった。慌てすぎて、反対側に出てしまっていたらしい。
「ああぁ! こっちじゃないじゃんっ! 」
ハッとして引き返そうとしたが、すでに遅すぎた……。振り返るよりも速く、ドーンという音と共に1筋の光がパキラの身体を貫いたーー。麻痺効果がある稲妻が直撃したパキラは白いケモミミを小刻みに揺らした。
ーーううっ。次の雷をくらったら終わっちゃうっ……。
パキラは麻痺が解除されるとすぐに、バッグのベルトにあるスクロール用の収納ベルトからプロテクトスクロールを外して足元に落とした。これはスタンピートからのクリスタルを破壊するという作戦メッセージに添付されていたアイテムだった。
地面に落とせば使えるーーと書かれていた通り、すぐさま緑色の線で魔法陣が描かれた透明のドームがパキラを包み込んだ。これで大丈夫だと安心しているパキラの頭上で、雷が落ちたと分かる大きな音が響いているーー。
「うはっ、危なっ……。初めて防御スクロール使ったけど、こんなに凄いのね。街に戻ったらチェックしなきゃ」
パキラはガリガリと言う音を聞きながら、追いかけてきた黒い竜巻がプロテク壁で止まっている様子を眺めた。壊れる気配はまったく感じられないプロテク壁に安心感を覚えたパキラは左手で握りしめていた笛を吹こうと口元に近づけた。
「あっ!? やばっ」
パキラは反射的に黒い竜巻から逃げようとして大きく身を翻した。プロテクト壁の持続時間を考えずに悠長に観察しすぎていたと悔やみながら走り出している。そんな彼女の横っ腹をワイバーンが丸くて愛らしい頭で締めたとばかりに突き刺した。
あまりに咄嗟すぎて、回避することができず……パキラは猫が掻き出したトイレ砂のように吹っ飛んだ。守護龍ジェイドの戦闘テリトリー壁に激突し、ピンボールのように弾き返されている。
苦痛に顔を歪めて激痛に身をよじりながらも、なんとか立ち上がったが、足元がフラフラとおぼつかなかった。
ーー回復薬ないのに……早く逃げなきゃ……。
パキラは竜巻とワイバーンの赤い鱗がぼやけた視界に入るとパニックになった。1撃で体力を半分ごっそり持っていかれたことに恐怖し、腰にある日本刀を抜かずに方向感覚を失ったまま逃げようとしている。
そんなパキラをあざ笑うかのように、竜巻よりも素早く行動を起したワイバーンがーー回し蹴りをするようにシュッという風切り音を鳴らしながら回転させた尾を、彼女の腹部に叩きつけた。
為す術もなく……ペットボトルロケットのようにキレイに飛んだパキラは巨大な岩の隙間に押し込まれた。岩壁に背中を激しく打ち付けた衝撃で、強く握っていたはずの緊急支援の笛が……パキラの眼前に投げ出されているーー。
曇りガラスの向こうで、ふわりと浮いた笛がスローモーションで動いているように感じた……。
ーーあぁ、どうしよう……。早く吹けばよかった。
ワイバーンが鋭い爪でパキラの足をひっかけようとしていた。さらに黒い竜巻が獲物にトドメを刺そうと移動している。体力が1桁になってしまったパキラは意識が朦朧として足を動かすことができなかった……。
ーースタンピートさんごめんなさい。笛を……送ってくれたのに……。
ギャンという鳴き声が聞こえたような気がしたが、鉛が張り付いているように瞼が重すぎて、目を開けることができない。何も考えることができず、パキラの意識はスーッと白い靄の中に沈んでいった。
「えええ!? ちょっと、ビビ!! さっき逆転ホームランになるって言ったじゃん。ねぇ、どうにかしてよ! 」
奏は実況をしていたビビの肩をがしっと掴んでグラグラと揺さぶった。ビビはマナーモード音のように、うなななななななと言葉を震わせて吐き出している。
「ねぇ、ビビったらっ! 」
「うなななな……ええいっ! いい加減に揺さぶり、止めるにゃあ! 」
奏の手を外すようにバク宙返りをしたビビは後ろ足の肉球で主人のおでこに、ぶにっと激しくスタンプした。大きく身を乗り出していた奏の身体は後ろに仰け反り、ぼふっと柔らかいソファーに埋もれた。
身を起した奏は映画のように観ていたせいで熱くなりすぎたかもしれないと思いつつも、ビビに食い下がった。どうしても現状の展開に納得ができないらしい。
「……だって! 絶対に2人とも助かると思ってたからっ。こんなの嫌だよ……。せっかく緊急支援の笛っていうのを手にしたのにーー」
「あるじさま、彼らにとっては『ゲーム』にゃ。気にすることはーー」
「森の中にいる時に、使い方を教えてあげるとか出来たのに! ……ビビが止めるから、こんなことになったんじゃないか」
「そんなこというにゃら、友達になればいいにゃ。そうすれば一緒に冒険やら狩りやらを楽しめるにゃっ。しかもいつでも助け合いできるにゃん」
「まだプレイヤーじゃないのに? そうじゃなくて、今、あの子を助けたいんだってばぁ! 」
ビビは空中でごろんと転がって寝返りを楽しんでいたが、興奮気味の奏にまたもや、がしっと掴まれて、上下に激しく揺さぶられしまった。うななななと言いながら、前足でパパンとリズムよく何度も奏の腕を叩いている。
「あるじさま、本物の猫もこんな風に扱ってたにゃ? 」
「いつも優しく撫でてたよ? ごめん、なんかビビだと大丈夫そうな気がして、つい……」
「ついにゃ!? ひどいにゃ……。いまから説教、あ~んど、この世界のルールについて話すにゃ。ちゃんと聞くにゃーー」
ストンと奏の膝に降りたビビは後ろ足でスクっと立ち上がって胸を張ると、人間のように両前足を腰に当てて、コホンと軽く咳払いをした。スクリーンに目を向けている奏の視界を遮り、講義を始めるために、ではまず……と喋り始めたがーー。
「ビビ、あれ見て!! 」
「なななな、何するにゃあぁ」
ビビは奏の顎に肉球を押し付けて腕から逃れようと懸命に身体を捻っていたが、奏はそんなことを気にすることなく上機嫌で映像を観ていた。ビビに見てもらいたくて大きな声で騒いでいる。
「ほら、凄いよ、凄いっ。凄っーい、凄すぎっ! 」
「……あるじさま、語彙力なさすぎにゃ」
正面のスクリーンには赤いワイバーンをいとも簡単に粉砕しているプレイヤーの姿が映っていた。
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