第3話 エンカウント

 にぎやかに談笑しながらたどり着いた湖は、翡翠のような色の水を湛えていた。白鳥に似た小型モンスターが湖面を優雅に泳いでいる姿を眺めていると、時折、魚がパシャっと跳ねる音が聞こえた。


 ここで釣りやキャンプが楽しめそうな雰囲気に飲まれたスタンピートがボスモンスター討伐に来たことを忘れて桟橋へ駆け出した。咲きほこる赤い小さな花を摘んでいたリンジェはゲイルに見せようと立ち上がったがーームッとした顔で花を捨てて、スタンピートを追いかけた。


 パキラは何しに来たんだっけと思ってしまうほど穏やかな風景の中で、青い空にぽっかり浮かぶ白い雲を見上げていた。視線を感じて目を向けると、ゲイルが耳を赤く染めながら顔をそむけた。


 狩りではなく観光にきたと勘違いするほど、パーティメンバー全員の気が緩んでいた。吹く風が爽やかだと思えるほど、緊張感という文字が己の辞書から消し飛んでいるーー。


 スタンピートはリンジェにカッコイイ自分を見せようとして、桟橋から湖に向かって石を投げていた。回転がかかった石は、水面を生き物のように何度も跳ねてポチャンと沈んでいった……。


「すごーい」


  手を叩くリンジェにーーこんなのは大したことはない、とスタンピートは言いつつも……優越感に浸っていた。ゲイルと彼女を取り合う気がなかったが、いつもクソ真面目にデスマス調で会話をするパキラよりも愛嬌があって可愛いと思っていた。


 ーーあ、でも……最近のゲイルはずっとパキラを見てるよな。これは俺にもワンチャンアリかも? いやいや、リンジェはゲイルにぞっこんみただし……。う~ん。


  美しい波紋が広がる湖面を眺めながら、スタンピートは下世話な恋愛論をもう1人の自分と語り合っていた。そんなことを知らないリンジェは大きく膨らんだモヤモヤ袋を小さくする方法を探している。私の方が先なのに……と小さくつぶやいた。


 その頃、湖の底に沈んだ石の近くから……コポコポと無数の泡が水面めがけて上がっていた。しばらくすると、鍋の湯が沸騰するような大きな音が湖全体に響き渡り、牧歌的雰囲気を打ち破った。違和感を覚えたパキラとゲイルは、桟橋にいる仲間の元へ慌ててて走った。


 リンジェとスタンピートは湖面にポコポコと浮かび上がってくる泡に釘付けになっていた。小さかった泡が次第に大きなものへと変化していく様子を眺めている。気が付けば……半径1メートルほどあるだろうサイズの泡が水しぶきを宙に舞い上げていた。


 普通じゃない状態になった湖を前にしたパキラは目を大きく見開いて日本刀を抜いた。最近剣道に興味を持ち始めた彼女は本やマンガを読む程度の知識だが、スッと下段の構えをとった。辺りを警戒しながら、桟橋で唖然としているリンジェとスタンピートに話しかけた。


「リンジェさん、スタンピートさん大丈夫ですか? 」

「おい、ふたりとも何が起きたんだ!? 」

 

 ゲイルの声にすぐさま反応したリンジェは黒鉄色の鎧の腕にしがみついた。小刻みに震えるか弱い自分をパキラを意識しながら演出している。


「ーーわかんない。ピートが石を投げて、そしたら泡がーー。ゲイル、怖いよ……」

「えっ!? 水切りして遊んだ俺のせい? ってか、なんだよこれ」


リンジェの物言いにちょっとムッとしているスタンピートの背後でパキラは小さくーーはぁ? と言ってしまった。


 ーー何言ってんの、この人たち!? 何しにここに来たか思いっきり、忘れてない? タンクと回復役が揃ってたから、ずっと我慢してたけどさ。この討伐終わったら、このパーティから離脱した方がいいかも……。

 

 息をふうと吐き出したパキラは彼らを嗜めるようにいつもよりさらに低い声を出した。


「あの……私たちは翡翠湖のドラゴン討伐にきたんですよね? それなら、この泡はーー」

「あぁぁぁぁ! そっか、そうだよなっ。失念してたぜっ、べいべ!」


 スタンピートのあまりにも軽すぎるノリにパキラは思わず顔をしかめた。そんなパキラを尻目にスタンピートは弓を取り出し、うんうんと頷きながら褐色の大楯を構えているゲイルの斜め後ろに移動した。


 ゲイルの腕からスッと離れたリンジェは、いつでも回復ポーションが出せるように斜めがけしている猫型バッグの口を開けた。小型モンスターフェネギーのレア素材のみで製作されたこのバッグはリンジェが唯一、鼻高々に自慢ができるアイテムだった。


 無課金プレイヤーのリンジェはクエストをクリアすれば貰える可愛い衣装やアイテムを、ゲイルと共に頑張って手に入れていた。このバッグはノーマル素材を提出すればすぐに貰えるものだったが、どうしてもレア色が欲しかった彼女は毎日フェネギー狩りに没頭した。


 その時のことを思い出しながら、リンジェは柔らかい毛の感触を確かめるように薄桃色の毛で包まれたバッグの表面を撫でた。


 ーーペア狩りが1番楽しいかも。それにまたスカるような気がするんだよねぇ。


 実はリンジェは湖からドラゴンが出現するというスタンピートの話について半信半疑だった。以前も不確かなよく分からない情報から宝の地図を探しに出かけたが、結局のところ見つけることができなかった。あの時とまた同じように、がっかりしそうな気がしている。


 ーーいっつもピートは噂ばっかりで大げさすぎるのよ。どうせ、ここも大したことないでしょ。ゲイルがいるしぃ、すぐ終わっちゃうだろうから、街に戻ったら回復ポーション代をパキラに請求して……それから……。


 見たことがない未知のモンスターと戦う前から、リンジェは討伐し終わった先のこと考えていた。バチンと泡が大きく弾ける音を聞いていた他の3人はこれから現れる敵に怖気づくことなく、ドキドキに入り混じったワクワク感が心からあふれ出している。


  そして彼らは噂のドラゴンーー翡翠湖の守護龍とエンカントした。


 10階建てビルほどある翡翠湖の守護龍大きさに、パキラはかなり驚いたが、ボス討伐に心が燃え滾った。たじろぐリンジェとスタンピートに気が付いたゲイルが大きな声で叫んでいる。


「もっと大きなドラゴンを見たことがある! これは小さい方だ! 絶対に勝てる! 」


 実は……そんな大きなドラゴンと戦ったことはなかった。遠目で討伐光景を眺めていただけだったが、ゲイルは2人を奮い立たせるために言葉を放った。言霊というものを信じていた彼は口に出せば言葉通りになると疑うことなく、意気揚々と挑発スキルを使った。しかしーー。


「ぐあっ!! 」


 その途端に、翡翠湖の守護龍の尾にはじかれてしまったーー。ゲイルはリンジェが花を摘んでいた草むらの向こうまで飛ばされーー岩に激突した。何が起こったのか分からないまま、デスリターン寸前まで体力が減ったということを知らせる警告音を聞いている。


 ーーくそっ……なんてパワーだ。大楯を構えてたのに耐え切れないなんて……。要塞で防御を上げて、それから天神の鎧で……。


 ゲイルはいつものように自然に挑発スキルを先に使ったことを悔やんだ。最近は盾を構えていればすぐに戦いが終わる雑魚ばかりを相手にしていたため、甘く見すぎていた。うっすらと消えそうな意識にしがみつきながら、リンジェの回復ポーションを待ったーー。


「え? な、なに? どういうコトなの? うそよ、ゲイルが……」


 いつもと違う展開にリンジェは……どうしていいか分からず、ただただオロオロしていた。ゲイルの傍に駆け寄ることなく、大きな龍から自分が見えないように湖の水際に接する岩陰に身を潜めた。震える手を抑えながら息を殺している。


「リンジェさん! ゲイルさんに回復投げて! 」


 パキラの叫び声にハッとしたリンジェは遠くに見えるゲイルに向かってに回復ポーションを投げたが、まったくといっていいほど届かなかった。



 翡翠湖の守護龍は悠々と湖面中央へ移動すると……上空に黒雲を集め始めた。細く光る稲妻が雲の海を駆け抜け、竜巻の子どもたちが湖面を踊っている。ニヤリと笑うように目を細めた龍はさらに黒く濁った湖の中から、紫色のクリスタルを浮かび上がらせた。


「何あれ……こんなの見た事ない……」


 パキラはスタンピートとしばらくその風景に圧倒されていたが、慌てたように飛ばされたゲイルの元に走った。タンク役が倒れたらパーティは壊滅する……レベルが低い時に身をもって知った彼女は、ぐったりしているゲイルに回復ポーションを落とした。


「ふぅ……。パキラさん助かったよ、サンキュー」


 カッと目を見開いたゲイルは大楯の喜びというスキルを発動して一瞬で立ち上がり、何事もなかったように歩き出した。駆け寄って来たスタンピートにの肩にポンと手を置いて、翡翠湖にいる龍を睨みつけている。


「じゃあ、立て直そう。まだ負けてない、戦いはこれからだ! 」


 使用した瞬間から立ち上がるまでを想定した3秒間だけ、無敵状態になれるという裏技を知ってから、ゲイルはかなりこのスキルを重宝していた。本来なら地面にお尻が付いている状態でないと駄目なはずなのだが……どんな状態でも発動することができた。


 バグらしいと噂されているため、ゲイルはメンテナンスが来るたびに修正されないことを祈っていた。さっきは咄嗟に使うことができなかったが、ディレイが短いこのスキルがあればなんとかなるかもしれないと考えている。


 ゲイルが元気そうな様子に安堵したパキラは日本刀を構えながら湖面全体を見渡していた。竜巻がこちらにくるかもしれないと警戒しながら、相手の動きをじっくりと観察している。ボスである龍や黒い雲に大きな動きは無かったが、湖面に浮かぶクリスタルから何かが出てくるのが見えた。


「あの、あれってボスが召喚してる雑魚ですか? 」

「俺が冒険者ギルドで聞きかじった話によるとーー」


「ピート、らしい話はもういい。持てるもの全てを使って全力でやろう」


 痛い所を突かれたスタンピートがしょんぼりしていると、体長3mほどのワイバーンが次々に湧き始めていることに気が付いたリンジェが大きな悲鳴を上げた。水際に接する岩陰から飛び出し、真っすぐに3人のところへ向かっている。


 ゲイルは防御力を大幅に上げるスキル天神要塞を使うと、リンジェにも聞こえるように大きな声を上げた。


「俺が前に出て雑魚をタゲるから、みんなよろしく! 」

「オッケー、ゲイル! スタンピートさまは、後方から得意な弓で迎撃しますよっと」


 パチンとウインクして弓を構えたスタンピートの隣でパキラはリンジェに向かって手を振った。


「リンジェさん、早く! こっち! 」


 リンジェはその言葉に応えることなく、スキル大神の鎧を発動したゲイルをの横を通り過ぎて、小さな岩の後ろに身を隠した。使用している盾と同じ防御力を持つ白い鎧が彼を中心にくるくると回っている様子を、少しだけ顔をだして眺めている。


「こ、ここから回復するからっ! 」


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