第十二話『まさかの遭遇』

「……すまないな、一人で堪能しているところに」



「い、いえ。どっちかっていえば俺の方がお邪魔してる側ですし」



 心なしか少し伏し目がちに言ったネリンのお父さんに、俺は必死に手をぶんぶんと振った。



「ただで泊まってるのが申し訳ないくらいにいろいろしてもらってますし、ほんとありがたいですよ。……このお礼は、いつか必ずするんで」



 ほぼ息を継ぐことなく、ここまで言い切る。多分緊張してるんだろうなあと自覚しつつも、それを和らげる方法は見つかりそうになかった。



 いや、だって申し訳ないけど威圧感すげえんだもん! 太ももに白い傷跡とか残ってるし、そもそも俺よりも一回りも二回りもガタイいいし! いかにも『どこの馬の骨ともわからん奴に……』とか言い出しそうな見た目してるんだもん! いや、俺とネリンはそういう関係ではないんだけども!



 ……なんて、俺が内心誰に向けてか分からない言い訳を連発していると、



「……お礼なら、すでにもらっているさ」



 優しい声でそう言いながら、俺の隣に腰かけてきた。



「……ネリンがああやって友達を連れてくるのは久しぶりだ。昔から、同年代の友達は少なくてな」



 過去を思い出しているのか、その眼はずいぶんと細められている。……そういえば、カルケさんもそんなことを言ってたな……



「冒険は危険も多い。俺は何とか仲間に恵まれたが、死ぬような思いも何度もしてきた。……ネリンはそういう仲間を見つけられないんじゃないかと、ずっと心配してきたからな」



「……それでも、冒険者を目指すことは止めなかったんですね」



 ふと疑問に思って、俺は独白に割り込んだ。二人ともネリンを心配こそすれ、止めようとした様子は微塵も見られない。そういう教育方針なのかな、とも思ったが……



「……ネリンは、俺たちに憧れていた。俺たちが与えた夢を、俺たちが奪うことなんてできやしないさ。夢を見せた責任は、俺たちにあるんだからな」



「夢を見せた、責任」



「そうだ。……俺たちにできるのは、ネリンが選んだ道をできるだけ歩きやすくするための手助けぐらいしかない」



 微々たるものだがな、とネリンのお父さんは締めくくった。……その真剣さに、声が出ない。ネリンの両親ほど真剣に子供に向き合う両親の姿を、俺は見たことがなかった。

 


 ネリンを思っているのだろうその眼は、あまりに優しくて。この温泉よりもずっとずっと暖かい思いが、ネリンをここまで育ててきたのだろう。それは、だれもが思う理想の家族像で――



「……ネリンが、羨ましいな」



――気が付けば、俺は思わずつぶやいていた。それに反応したのかふっとこちらを見る気配がして、俺は慌てて言葉を付け足す。



「俺ってちょっと変わった趣味してて、親に半ば呆れられてたんですよ。それでひょんなことからここに来ることになったんですけど、結局最後まで理解してもらうことはできなくて。……だから、あなたみたいな親を持てたネリンが羨ましいです」



 ……別に、俺の親に文句を付けたいわけじゃない。呆れながらではあったけどちゃんと俺のことを育ててくれたし、無理やり取り上げたりもしなかった。そもそも、図鑑ばかり読み漁るような子がいたら不安になるのも納得の話だしな。



 ……だけど、それでも想像してしまった。ネリンの両親のような人に育てられたら、今の俺はどうしているのだろう、なんて。



 ふとネリンのお父さんを見やれば、驚いたように目を丸くして、しきりに瞬きをしていた。そりゃそうか、ほぼ初対面の人にいきなりこんなこと言われちゃ戸惑うのも仕方ない。カルケさんの時にも踏み込み過ぎた自覚はあるのに、性懲りもなく俺はまた踏み込んだ話をしているわけで――



「……ありがとう」



「……へ?」



 そんな風に思っていたから、返ってきた言葉に今度は俺が目を丸くする番だった。



「……ここまで、迷うことだらけだった。本当に止めなくてよかったのか、もっと身に着けさせるべきことがあったんじゃないかとな。……だから、ありがとう」



「……いえ、お礼を言うのはこっちですよ。何から何までもらってしまって」



 頭を下げられたので、俺もとっさに頭を下げ返す。水面すれすれになってしまったが、そんなことは気にならない。この人への恐怖感はすっかり消え失せ、敬意だけが残っていた。やっぱり人は見た目だけで判断するものじゃないな……



「……娘の恩人にならこれくらいは当然だ。……これからも、困ったことがあれば頼ってくれ」



「……ありがとう、ございます」



 ここまで十分いろいろな面で甘えているのに、この人たちはいやな顔一つ見せない。むしろもっと頼ってくれなんて、普通の人じゃ決して言えやしないだろう。こちとらいきなり訪問してきた知らない人物なわけで、もっと警戒したっていいはずなのに。



 そりゃ反抗期ど真ん中の年代だろうネリンも素直に甘えるわけだ。この両親を持って反抗期なんて起こるはずもない。……やっぱり、羨ましいな……



 しばらく、無言の時間が流れる。しかし気まずいという訳ではなく、むしろどこか心地よかった。星がきらきらと瞬いていて、じっと見ていると夜空に吸い込まれてしまいそうだ。



「……君は、ネリンのことをどう思った?」



 唐突に、そんな問いが横から飛んできた。ふと目を合わせれば、ネリンに似た鋭い目つきがこちらを見つめている。……ふと、背筋が伸びる気がした。



「どう思った……ですか」



「どうしても、俺たちはひいき目を捨てきれなくてな……知り合ったばかりの君から、忌憚のない意見を聞きたい」



 そういわれて、俺はますます考え込んでしまう。こういう時は短所には触れないのが礼儀というか無難なのだろうが、こうも真剣な目で見つめられてはそうもいかない。きっと、聞きたいのは素直な意見なのだから。



「んーと……そう、ですね」



 言いながら、俺は昼間の出来事を思い出す。そう、本当は俺は何事もなく帰れるはずだったのだ。だけど、ネリンがキヘイドリに襲われているのを見過ごせなくて――



「……そう、ですね。……めっちゃ、意地っ張りなやつだと思います。強がりで、自分の言ったことはなんとしてでもやり遂げようとして。……それが、空回ることもありますけど」



 酒場でベレさんたちを前にカッコつけようとしたりとか。そう付け加えようとしたが、これはネリンの名誉のためにも黙っておくことにする。きっと後でネリンに怒られるだろうしな……そういう意味でもウィンウィンってわけだ。



「……でも、すごくかっこいいやつだと思います。思い切りもよくて、決して曲がらない自分を持ってて。…………眩しいやつだなって、そう思いますよ」



 自分だけで逃げることもできたのに、逃げずに俺を助けてくれたネリンの後ろ姿を思い出す。まだ一日どころか半日も経っていない出来事のはずだが、なぜか遠くの思い出のように感じられた。……それだけ、濃い一日を過ごしてきたということなんだろうが。



「……そうか……俺たちの娘は、かっこいいか」



「もちろん。こっちに来て初めて一緒に冒険できたのがネリンでよかったです」



 少し上ずった声での問い返しに、俺は大きく頷きを返した。最初の仲間がネリンでよかったし、きっとこれからも縁は続いていくのだろう。続けていきたいと、そうも思う。なんだかんだ、アイツと過ごしている時間は心地いいからな。



「…………そうか。……こちらこそ、娘をよろしく頼む」



 俺の言葉を聞き届けると、ネリンのお父さんは感極まったように頭を下げた。その下でごしごしと腕で目をぬぐっているのは……きっと、お辞儀の拍子でお湯が目に入ってしまったのだろう。そういうことに、しておく。



「ええ。これからもよろしくお願いします……ええと……」



 名前を呼ぼうとして、ここまで名前を聞いていなかったことを思い出す。知り合いの両親の名前とか、知ろうと思わなきゃ知れないしな。聞くタイミングも見つからなかったし。



「……バルレと、そう気軽に呼んでくれ。……俺も、ヒロトと呼んでいいか?」



 そんな俺の戸惑いを察してか、ネリンのお父さん――バルレさんがそう名乗ってくれる。名前で呼んでもいいかって?……そんなの、答えは決まっている。



「もちろんですよ。……バルレさん」



 そう言うと、バルレさんは目を丸くした。しばらく目を瞬かせて、それから――



「……ああ、これからもよろしく、ヒロト」




――そう、初めて笑って見せてくれたのだった。

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