第十一話『自慢の一人娘』
「……こちら、今日の夕食になります。……特別なものは作ってあげられないけど、おかわりならたくさんあるから遠慮なく言ってちょうだいね」
「はい。……ありがとうございます、カルケさん」
ネリンのお母さん――カルケさんが丁寧にトレイを差し出し、それからふっと微笑む。仕事とプライベートを一瞬で切り替えるそれは、プロフェッショナルのすごさをひしひしと感じさせた。
玄関でのやり取りから十分も立たないうちに、二人は俺のために空いている部屋の中で一番いい部屋を用意してくれた。そこでくつろいでいたところに、カルケさんが夕食を持ってきてくれたという寸法だ。ギルドでは軽食しか食べなかったから、がっつりと夕食が食べられるのはとてもありがたかった。……うわ、すげえ美味そうな香りする……
「ありがとうございます。……なんかすみません、こんないいお部屋までもらった上にご飯まで用意してもらっちゃって。このお礼は、いつか必ず」
「そんなの気にしなくていいのよ。ネリンに新しいお友達ができたってだけで、私たちにとってはとても嬉しい事なんだから。どうしてもお礼をっていうなら、この先もネリンのことを気遣ってくれればそれで十分よ」
俺がお辞儀しながらそう言うと、にこやかにそう返された。
「ええ、これからもネリンには頼ることになると思います。……助けられたのは、俺もお互い様ですし」
「ありがとうね。ネリンってば少し意地っ張りなところがあるから、あなたみたいな人がいるだけで私たちとしては安心なのよ。町の人も面倒を見てくれはするけど、同世代の子ってあまりいなかったからねえ」
カルケさんはしみじみとそう言い、フフッと嬉しそうに笑った。……そう言われてみれば、ネリンくらいの年代の人をギルドで見ることは少なかったような……
しっかしネリンの性格もしっかり見抜かれてるのか。母は強し、はカレスの世界でも共通らしいな。
「あの子ったら小さいころから『パパとママみたいになる!』って言ってきかなくてね。だからか冒険者になるための勉強も周りより早く始めてたの。だからこうやって同年代の冒険者仲間を見つけられて、ネリンも内心ほっとしてると思うわ」
そう言う姿からは、純粋な安堵の心が見える。きっとずっとネリンのことを心配していたのだろう。そりゃそうだよな、冒険者ってのは危険な職業だし。意地っ張りな面もあるから、きっと頑張りすぎることもあったんだろうなあ……
『まだあたしは頑張れるもん!』ってな感じで、へとへとになっても特訓を続けるネリンを想像してみる。……なんでだろう、めっちゃ鮮明にその光景が頭に浮かんだ。
「……ネリンのこと、大好きなんですね」
「ええ、自慢の一人娘よ。少し無茶をしすぎることもあるけど、とても強くて優しい子。……これからも、もっと強くなっていくんでしょうね。いつか私たちよりも、もっとずっとすごいことをしてくれるって信じてるわ」
俺がふと呟くと、カルケさんは即答する。……その様子が両親のことを語るネリンにそっくりで、俺は思わず笑ってしまった。
「ふふっ……やっぱり、仲良し親子なんですね。自慢げに家族を語るところ、そっくりです」
「……あらやだ、そうなの? ……ごめんなさいね、ネリンってばうるさかったでしょ?私も、初対面の人にここまで話してしまったし……」
俺の言葉に、カルケさんは少し顔を赤くしながら両手を前に合わせた。それに俺はゆっくりと首を振って、
「いえ、いい親子だなーって思いましたよ。お互いがお互いのことを思いあえる家族とか、最高じゃないですか」
恥ずかしい話、俺はあまり親と会話する方ではなかったからな……図鑑に時間を費やしてしまっていたのが主な原因なのだけど、こういう環境に身を置くとそのことをどうしても後悔せずにはいられない。……だから、こういう家族の形は素直にうらやましかった。
「……ありがとう。これからも、ネリンのことをよろしくね」
俺の称賛が意外だったのか、ネリンのお母さんは目を丸くする。初対面の分際で踏み込み過ぎたかと俺は少し焦ったが、その感情はネリンのお母さんが浮かべた今日一番の笑顔に吹き飛ばされた。
「ええ、俺の方こそよろしくお願いします。まだまだ知らないことだらけですから」
「ネリンのお友達ならいつでも大歓迎よ。私たちのことも、どんどん頼って頂戴ね」
そう言い残し、カルケさんは去っていった。ドアを締め切る最後の最後まで所作がしっかりとしていて、改めて一人でこの宿を繁盛させた名女将のすごさをひしひしと実感させられる。
「……さて」
俺はトレイをテーブルまで運び、木製の椅子に腰かける。調度品も高級感あふれるものばかりで、いるだけで自然と気が引き締まるようだ。
「いただきます」
手を合わせてあいさつし、ナイフとフォークを手に取る。サラダ、パン、スープ……どれから食べようか非常に迷いどころだが、その中でも俺の目に留まったのは肉厚のステーキだった。切り分けようとナイフを当てると、そのまますっと肉がほどけるようにして切れる。……すげえ、ステーキの肉ってこんなに柔らかくなるもんなんだな……
そんな感慨を感じながら、切り分けたひとかけらをフォークで刺して口まで運ぶ。果たして異世界のグルメレベルはどれほどかと、ステーキを口に入れて――
「……うっっっま」
次の瞬間、思わず俺の口からそう言葉がこぼれていた。なんだこれ、俺が今まで食べてきた中で一番うまいぞ⁉
一噛みするだけで滝のように肉汁があふれ出し、俺の口の中を満足感でいっぱいにする。肉の方にも筋っぽさは全くなく、噛まずとも口に入れるだけで溶けてしまうのではないかと錯覚するほどに柔らかかった。……やべえ、これ無限に行けるな……?
そこからの俺は、しばらく「うまい」と「やべえ」以外の語彙を失っていた。グルメレポーターってすごかったんだな……俺の語彙力じゃあんな風にうまいものを表現しきれたもんじゃない。ただ感動しながら、フォークを止めることなく食べ続けることしかできなかった。
「はー、食べた食べた……」
よく膨れたおなかをさすりながら、俺はパンのかけら一つ残らず食べつくされた皿を見やる。……はあ、幸せな時間だった……
俺は椅子を立ち、ベッドに腰かける。体重をかけた瞬間にベッドがグイッと沈み込み、俺の体重を受け止めてから押し返してきた。
食べたばかりじゃなきゃトランポリンのように跳ねてみたいものだが、今は食事の直後だし流石にやめておく。そもそもタダで貸してもらってる立場だしな……それで何かあった日には申し訳が立たない。……それに、飛び跳ねるよりもやりたい事があるからな。
「……さて、ようやく落ち着いて読み漁れそうだ」
俺は図鑑を取り出し、パラパラとページをめくってどんな記事があるかを確認する。『植物』に『気候』、『王都の文化』……変わり種なところで行くと『衣類の歴史』なんてものもあった。人付き合いに関する記述も、もしかしたらどこかにあったかもしれないな……
そんな風に図鑑を楽しんでいると時間がたつのはあっという間だ。さっきまであった満腹感が少し和らいでいるのを感じて、俺は図鑑をアイテムボックスに入れて立ち上がった。ドアノブをひねり、高級感のある廊下に出る。
図鑑によれば、この宿屋には露天風呂があるらしい。効能も確認されており、『泊まる機会があればぜひ訪れるべき』だそうだ。図鑑にそうと言われれば、入る以外の選択肢はないだろう。
階段で一回まで下り、すぐに見えてくる青い暖簾をくぐる。男湯と女湯の区別の仕方は、カレスでも共通のようだった。
脱衣所には誰もおらず、先に誰かが入っている様子もない。まあそもそも遅い時間にチェックインしてからご飯を食べて、図鑑を小一時間読み漁った後だからな。流石にこんな真夜中じゃ人も少ないのだろう。
「……おお」
服を脱いでドアを開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは満天の星空だった。所せましと輝くそれはとても綺麗で、ついつい図鑑を取り出して星座を確認したくなってしまう。防水性はまだわからないから、さすがにそんなことはしないが。
かけ湯を丁寧に済ませ、体を丁寧に拭く。冒険の後だからな、主に汚れたのは装備の方だったが、だからと言って体が汚れていないわけじゃない。……そういえば、装備を洗濯する設備ってどこかにあるんだろうか……?
そんなことを考えているうちに、一通り体をふき終わる。……そして、俺は足先からゆっくりと湯船に体を付けた。
「ふあああああ……」
体の芯からじんわりとあったまる感覚に、思わず声が漏れる。熱すぎずぬるすぎずのちょうどいい温度で、確かにこれは入っておかなければ損だと思わせるくらいにはいいお湯だった。風呂について素人な俺でもそうと分かるのだから、専門家からすればここは最高級のお湯加減なのだろう。いつも浸かってきた湯船よりも熱いはずなのに、なぜだかずっと浸かっていたくなる――
……と、俺が貸し切り気分でお湯を堪能していると、後ろでドアが開く音がした。大方俺みたいな人が人の少ない時間を狙って入りに来たんだろうと、何気なく振り向くと……
「……お邪魔させてもらう」
がっちりとした肩幅、きれいな銀髪、そして言葉少なな口調。……ネリンのお父さんが、俺の背後に立っていた。
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