第七話『二人と一冊で』

「……あなたが、突破口を……?」



 俺の堂々とした宣言に、少女は困惑したようにこちらを見つめている。……そりゃそうか、少女からしたら俺がいきなり息を吹き返したように見えてるんだろうからな。



「そうだ。こいつの力を借りて、な」



 だからこそ、その証拠は共有しておかなければいけないだろう。少女の目の前に図鑑を差し出し、俺は胸を張って見せた。




「これにはこの世界の知識が全部詰まってる。もちろん、あの魔物……キヘイドリのこともな」


「あの鳥……キヘイドリっていうの?」



 知らなかった、と少女は目を丸くする。……もしかしたら、キヘイドリはそこそこ珍しい魔物なのかもしれないな。いや、ただ知識不足なだけかもしれないが。



「そう、キヘイドリだ。……それも、この本が教えてくれた。俺の大好きな……図鑑がな」


「ズカン……すごいのね。世界の知識が、そこに」



 感心したように少女は息をつく。……この感じ、この世界に図鑑って概念はないのか?イントネーションも少しおかしかったし……いや、そんなことは後回しだ。



「ああ、この図鑑は特別製でな、世界に一つの優れものだ。……それを信じて、一緒に戦ってくれないか?」



 俺はそう言い、頭を下げる。それはあまりに危険な提案で、失敗したときのリスクも決して低くはない。もしかしたら死、そうでなくとも大けがの可能性は高い。少女からしたらハイリスクローリターンでしかないし、断られても仕方ないと思っていた。もちろん、その時は一人でどうにか時間を稼ごうと覚悟はしていたが――



「……時間を稼げば、あなたがキヘイドリの弱点を見つけてくれるのね?」



 少女がそう言ったのを聞いて、俺はハッと顔を上げた。



「……ああ、それは約束する。……この図鑑にかけてな」



 図鑑を抱きしめながら、俺は少女の目をまっすぐ見つめる。……それから少しして、少女の表情がふっと緩んだ。



「変な人。そこは自分の名前にかけるところでしょうに……まあいいわ、その言葉に乗せられてあげる。……あなた、名前はなんていうの?」



 いきなり名前を聞かれ、俺は一瞬口ごもる。どう答えようかと俺は悩んでから、



「……ヒロト。花谷大翔だ」


「ヒロトね。あたしはネリン。……無事に帰れたら、酒場で乾杯しましょ」



 そう言うと、少女……ネリンはふっと笑った。その可愛さに、場違いだってのに胸が軽く弾む。死亡フラグ満載のセリフだったが、そんなもの覆してやろう。……俺の力だけでは届かなくても、俺には図鑑と仲間がいるのだから。一人と一冊で足りないなら、二人と一冊でこの状況を突破してやるのだ。



「ああ、飛び切り高くて美味いやつでな。……いくぞ!」


「ええ!ヒロト、下がって!」



 言葉を交わして、俺は大きく飛びのく。気が付けばすぐ後ろまで迫っていたキヘイドリからギリギリのところで距離を取り、俺は図鑑を開いた。



「――雷よっ!」



 それを確認すると同時、ネリンはそう唱える。すると、バチバチと音を立てながら電流がキヘイドリに向けて放たれた。図鑑に目を落としているためその様子は視界の端にしか映っていなかったが、俺の魔法よりもその規模はかなり大きかった。




『ピヤアアアッ!』




 キヘイドリの群れが悲鳴を上げながら散らばり、その中心を通過するかのように電流が外れる。……しかし、それでも時間は稼ぐには十分だ。



「えーと、キヘイドリキヘイドリ……!」



 マルデロ平原について書かれた記事を探し、そこからキヘイドリの欄を探し当てる。さらにそこから関連記事として魔物の欄への誘導があるのを確認し、俺は迷いなくそのページを開いた。パラパラとページをめくり、あと少しでキヘイドリのページ……



 と、言うところだったのだが。



「ヒロト、危ないっ‼」



 ネリンがそう叫びながら、俺を突き飛ばすようにして転がる。その数瞬後、キヘイドリの群れが一段となって俺のいたところに突進してきた。弾丸のような猛スピードで群れはそのまま地面をえぐり、そのまま数メートル進んで再上昇する。……その光景に、言葉を失った。



「……ここが初心者向けの平原とか冗談だろ……?」



 今のもう突進をまともに食らっていたら、大げさでなく俺の体くらい貫通していただろう。……神が言っていた言葉の意味が、ようやく分かった気がした。



 ……いくら小さくても、危険度が低くても、魔物は魔物。油断すれば、俺たち人間などいともたやすく狩られる側に回りうるのだ。……カレスという世界は、地球みたく人間にやさしくない。弱肉強食の輪に、人間もしっかり組み込まれている。



「……それが早いうちに知れて、良かったかもな」


「……ん、何か言った?」



 考えごとをしていると、隣にいたネリンがそう聞いてきた。内心だけにとどめていたつもりだったが、いつの間にか声に出ていたのか。



「……いや、何でもない。助けてくれてありがとな……。もう少しで、突破口が分かるぞ」



 首を振り、ネリンに力強くそう言う。キヘイドリのページにはたどり着いた。……あとは、弱点になりうる生態を見つけるだけだ。



「了解。……もうひと踏ん張り、やってやるわよ」


「……頼もしいな」



 ふっと笑い、俺はキヘイドリから距離を取る。飛び込んだはずみに閉じてしまったページをまた開きなおさなければならないが、大体の場所はもう把握済みだ。一秒でも早く、突破口を見つける……!



「……風よ、お願いっ‼」



 前を見れば、ネリンが小さなつむじ風を巻き起こして群れを足止めしていた。突如生み出された風の流れにキヘイドリは戸惑い、こちらに近づき切れずにいる。……俺とは違って、本当に頼もしい魔法使いだ。



 キヘイドリのページは、思っていた通りすぐに見つけることができた。……しかし、ここからが本番だ。できるだけ早く、正確に情報を読まなければならない。



『主食』……違う。『血統と近縁種』……違う。『主な素材の使い道』……これも違う!



「ヒロト、もう次の攻撃が……‼」



 今までにないくらいのスピードで目を動かす俺の耳に、焦りをにじませたネリンの声が届く。くそっ、これも違う、あれも違う。それも違う……‼



『ピヤアアアッッ‼』



 キヘイドリの鳴き声が聞こえる。集中のあまりゆっくり聞こえているが、それは確かに攻撃の合図だ。ネリンが腕を構えるも、それよりも突進に入るのが先だろう。できるだけ俺たちも下がって距離を取るが、それで稼げる時間はせいぜい三秒がいいところ。それで、見つけ出さないと。



「……ヒロトッ‼」



 ネリンが俺の名を叫びながらこちらに駆け寄ってくる。きっと、もう一度俺を突き飛ばして一緒に回避するつもりなのだろう。それを見て、俺は視線をもう一度完全に図鑑に落とした。時間がゆっくり流れるこれは、果たして走馬灯なのか火事場の馬鹿力なのか。……分からないけれど、確かに分かったことがある。



「……ネリン!」



 駆け寄ってくるネリンを手を伸ばして制止する。そして、俺は大きく息を吸って叫んだ。……やっと見つけたとある記述を、目に焼き付けながら。



「…………目くらましだあああああああッ‼」


「ッ、光よ‼」



 俺の叫びにネリンも驚異的な反応を見せ、反転してキヘイドリに手を突き出す。そして叫ばれると同時、その手先で光が弾けた。



『ピイイイヤアアアアアアアーーーーッ‼』



 眼前で弾けた閃光に、キヘイドリの群れがひときわ大きな悲鳴を上げる。俺たちの視界も真っ白になっていたが、俺はもう確信していた。



「…………勝った」



 思い出されるのは、図鑑の下に書き込まれていた一行知識。特筆するべきではないが知っておくと面白い知識が書かれている、子供向けの図鑑によくあるアレだ。もちろん、俺も好きで見落とすことなくよく読んでいた。……だから、助けてくれたのだろうか。



『自分よりも大きな存在にも恐れず立ち向かうが、それは仲間の存在が目で見て理解できているから』――そのたった一行が、俺たちの突破口だった。



 しばらく、何も見えない状況が続く。その間に襲われない時点でほぼ結果は見えていたが、それでも気は抜けない。……俺とネリンの間に、静寂が落ちていた。



 それは一分だったかもしれないし、十分そのままだったかもしれない。……もしかしたら、十秒の間の短い出来事だった可能性すらある。集中しすぎて時間の感覚があやふやだった。ともあれ、視界が開けた先には――



「…………やった」




 青い空と白い雲、そして緑の草原。……そこに、キヘイドリの影はなかった。その事実を認識して、ネリンが小さく声を上げる。……俺も、叫びだしたい気分だった。



「「やっっったあああああああああーーーっ‼」」



 俺たちは手を取り合い、ぶんぶんと上下に振り回す。この難局を乗り越えた俺たちは、今確実に同じ喜びを共有していた。



――俺たち二人……いや、俺たち二人と図鑑の、勝ちだ!

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