4.これからも共に

 時雨童女が消えてしまうと、辺りには再び静けさが戻ってきた。

 卯月は我に返り、周囲を見渡した。けれど、そこにはもう誰もいない。お萩らしき黒猫の姿もなくなっていた。

 しばらくの間、卯月は時雨童女の消えた場所を見つめた。無邪気な笑みを浮かべながら消えた彼女と、その小さな腕に抱かれるお萩らしき黒猫の姿を思い出す。猫が何を考えているかなんて分からないけれど、その姿は何故か卯月にとって安心感があるものだった。

「消えちゃいましたね」

 卯月が呟くと、足元からタマの返答があった。

「ああ、もう此処にはいないようだ」

 その言葉を聞いて、卯月はようやく納得した。

 踵を返し、すでに置かれていた思い草の横に、八子から持たされたものを並べて置くと、そのまま静かに手を合わせ、目を瞑った。

 話したことは勿論、会った事すらない人物ではあるものの、一連の騒動で妙に知ってしまったからか、卯月には身近な人のように感じられた。そんな彼女に対して手を合わせ、安らかな眠りを祈り続ける間もまた、墓地はひたすら静かだった。

 花を手向ければ長居をする必要はない。

 来た道を戻る道すがら、下ってきた坂道を今度は登りながら、卯月はぽつりと足元にいるはずのタマに話しかけた。

「あれはやっぱりお萩だったんでしょうか」

「ああ、間違いなくそうだろう。消えゆくまでのちょっとの間、トキサメ様と一緒にいることにしたようだ」

 断言するタマの言葉に、卯月はだいぶ心が落ち着いた。

 それならきっと寂しくはない。化け猫のままで居続けるよりもずっと、穏やかな過ごし方が出来るだろう。それは、八子やタマに比べると泡沫のような存在なのかもしれないが、そうであったとしても、お萩自身がそれを選び、納得し、今が幸せでいられるのならば、卯月はそれでよかった。

「トキサメ様も、なんだか嬉しそうでしたね」

 卯月がそう言うと、タマは小さく笑った。

「そうだねぇ。遊び相手が出来たと喜ばれているようだったね」

 優しい声でタマはそう言った。

「どうして、姿を見せてくれたのかな」

 卯月が呟くと、タマはしばし考えてから言った。

「伝えたかったのかも知れない」

「トキサメ様が?」

「いや、お萩だよ」

 怪しい声でタマは言った。

「お前さんが尻尾を斬り落としてからだいぶ経つ。今のお萩はすっかり化け猫ではなくなって、ただの幽霊猫となっている。そうなれば、ただいるだけ。人を恨みもしないし、呪いもしない。そんな存在にちゃんとなっていると、お前さんに伝えたかったのだろうさ」

「お萩が……私に?」

 卯月は訊ね返し、今一度、お萩の姿を思い出してみた。

「……それにしては、なんだかツンとしていましたね」

「ああ、そうだろうさ」

 タマはくすりと笑いながら言った。

「猫というのはね、人間たちが思っているよりも恥じらいというものがある。お前さんの誘いをきっぱり断った時は、お前さんの事を恨みもしただろう。嫌いだと言う態度をあたしらにも見せてきたのを覚えているだろう? そんな態度を取った手前、素直になんてなれなかったのさ。あたしにはその気持ちも分かる。やっぱり猫だからね。でも、お前さんに感謝をしているはずだ。だから、姿を見せたのだよ」

 ──感謝。

 それを聞いて卯月は少しだけ明るい気持ちになった。

 けれどその一方で、時雨原に戻るために墓場を歩いているうちに、ふと後ろ髪を引かれるような切ない気持ちもまた同時に浮かんでくる。

 運命が少しでも違っていたら、お萩はまだ生きていたかもしれない。お萩の飼い主も墓に入っておらず、愛猫と共に穏やかに暮らしていたかもしれない。そうであれば、化け猫騒動で死んでしまった人は誰一人として死ななかっただろう。不慮の事故として彼らを見送らなければならなかった人々の涙も流れることはなかったかもしれない。

 ──理不尽だな。

 卯月はふとそう思った。

 自分のしたことは、死後の解決に過ぎないことにも卯月は気づいていた。時雨原に暮らす多くの人たちにとってみれば、化け猫騒動がいつの間にか収まっただけのこと。死んだ人々は生き返らないし、時間は巻き戻らない。過去と決別出来たとしても、ただ前に進むしかないことに卯月は無力感を覚えてしまっていた。

 化け猫の犠牲者の中には関係ない人だっていた。

 その人達にも家族や親しい人がいて、遺された彼らの悲しみからまた新しい負の連鎖が生まれることだってあり得るのだと、八子は卯月に教えてくれた。

 沈黙したまま坂を上り、お萩と共に通った道を歩んでいると、卯月の足元からタマがそっと話しかけてきた。

「またややこしい事を考えているようだね」

「分かるんですか?」

「何となくね。何を悩んでおる? この騒動もお前さんのお陰で解決したというのに」

 タマに言われ、卯月は躊躇いつつも答えた。

「そうですね……お萩が今、幸せなのは良い事なのですが……やっぱり、私、生きていた時に幸せのままでいて欲しかったってどうしても思ってしまって」

 同情すれば泣きそうになってしまう。

 けれど、何となくその涙を堪えながら、卯月はただ前を見つめた。

 そんな卯月の影の中で、タマはしばしの沈黙の後で声を発した。

「なるほど。つまり、お萩がそもそも幸せでいたならば、化け猫騒動は生まれず、犠牲者も現れなかったと。そこにお前さんは無力感を感じているのかな」

「そう──です」

 意味のないことだと分かってはいるが、知ってしまったからこそ、卯月は何度も過去を振り返ってしまうのだ。自分に出来る精一杯の事がこれだったのは間違いない。しかし、それが分かり切っていても、お萩にもう少し幸運があったら良かったのにと思い、暗い気持ちになってしまうのだ。

「その気持ちを持てるだけでもお前さんは優しいのだろう」

 タマは言った。

「だがね、卯月。過去ばかりを振り返り続けて固執しても仕方がない。お萩の事は、トキサメ様にだってどうにも出来なかったのだよ。癒しの力を持つ土地神様でさえどうにも出来なかったのだ。だから、ただの少女であるお前さんが責任を感じることではないのだよ」

 慰めるようなタマの言葉を卯月は静かに受け入れた。

「人には出来る役目というものがある。無理をして何でもしようとしなくて良いのだ。あたし達がお前さんにしてやれることは本当に一握りの事。そのお面を渡す事くらいだった。それでも、お前さんは頑張ってくれた。そのお陰で時雨原には平穏が戻り、お萩も、お萩の犠牲になった人々の魂も、安らぎを得ることが出来たのだ。それでいいじゃないか」

 タマの精一杯の慰めを聞いて、卯月は黙って頷いた。

 気づけば最初にお萩を見つけた場所まで来ていた。

 時雨原に戻る出入口はもうすぐそこにある。ちらりと見える西日を目指してひたすら歩きながら、卯月はタマに話しかけた。

「ねえ、タマさん。私、役に立てましたよね?」

「勿論だとも。八子様はお前さんがいてくれて良かったと何度も仰っているだろう。あたしもそう思うぞ」

「これからも、役に立てるでしょうか」

「お前さんさえその気であれば、きっと」

「また同じようなことが起きても、お萩のように助けてあげられるでしょうか」

「それは場合によるね。だが、お前さんが向き合ってくれるだけで救われる化け物は多いだろうとあたしは思うぞ」

 タマの言葉を受けて、卯月の心には前向きな気持ちが戻ってきた。

 起こってしまったことを起こらないようにしてやるという力は自分にはない。それでも、起こってしまったことに対してやれることが自分にはある。それこそが自分の役目なのだと思うと、妙に安心し、スッキリとした気持ちになったのだ。

 残りの坂を駆けあがり、卯月は一気に墓地の出入り口を目指した。そして、坂を上り切ると、目に飛び込んでくる西日を浴びて、足元へと声をかけた。

「私……これからも協力し続けます。また同じようなことが起こった時は、今回みたいにタマさんと一緒に時雨原を駆け巡りたいです」

 力強い卯月の言葉が響いたのか、タマは影から這い出してきた。三毛猫の姿を卯月の視界にさらすと、足元にすっと寄り添って、囁くように返答した。

「よろしく頼むぞ、相棒」

 どこかツンとしたようなその声に、卯月は微笑みを向けた。

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時雨原の化け猫使い ねこじゃ・じぇねこ @zenyatta031

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