2.静かすぎる場所
市営墓地は時雨原の台地の斜面を削るように存在している。周囲は木々が生い茂り、少し歩けば賑やかな町であることが嘘のように静かだった。
墓地を下っていくと、隣町につく。川の流れるその場所には電車があり、さらにその向こうは都市部らしいビルが立ち並んでいる。ここが出来た頃はどのような光景だったのだろうかと、卯月はふと考えた。どんな光景だったにせよ、一望できる東の空から昇る朝日は綺麗なまま変わらないだろう。
それにしても、静かだ。
卯月はその静けさに違和感を覚えた。墓地だというのに心落ち着く場所に思えたからだ。
「どうした、卯月。ぼーっとして」
足元からタマに訊ねられ、卯月は答えた。
「いえ……ただ、静かだなって思っていたんです」
するとタマはふふんと笑いながら答えた。
「そうだな。とても静かでいい場所だ。おまけに眺めも良い。永久の眠りの場所に相応しい場所だろう」
「それにしても静かすぎませんか」
「というと?」
「もっとこう、何かがいると思ったんです。たとえば──」
「お化けとか」
タマはそう言って、くすりと笑みを漏らした。
「化け物ならあたしがいるぞ。あたしを誰だと思っている」
「いえ、そう言う事ではなくて」
「分かっておる。揶揄っただけだ。墓地という場所ならば、生き物でない何かがいるに違いない。お前さんはそう思っていたのだろう?」
「……はい」
卯月は素直に頷いた。
タマの言う通り、墓地ならば墓地らしい何かが待っていると無意識に思っていたのだ。実際に墓場で何かを目撃したのかと問われれば、そうだったような気もするし、そうでなかったような気もしたりして、記憶は曖昧だった。何せ、どこであろうと幻覚が見える日々を送っていたのだから仕方がない。しかし、だからこそ、卯月は墓地という場所に苦手意識があった。また、何かが見えたらどうしよう。聞こえたらどうしよう。そういった不安が卯月を墓場から遠ざけていたのだろう。
だからこそ、この静かな景色は意外だった。
お面を付けているからだろうか。しかし、お面を付けていても、ここには何かがあるというのは分かるものだった。そういった不気味さというべきものが、ここには一切感じられなかったのだ。
不思議がる卯月に、タマは言った。
「少しその面を取ってみてはどうだ?」
「え、でも……」
卯月は戸惑った。
化け猫騒動がすっかり収まってからも、ずっと付け続けたのがこの兎のお面である。入浴、洗顔、就寝の時以外は素顔をお面で隠してきた。そうでなければ不安だった。今や、卯月にとってこのお面は、衣服のようなものだった。
それでも、卯月はそっと手を伸ばした。恐る恐るお面の両端を掴み、外してみる。素顔に風があたり、ひんやりとした。その刺激に肌がぴりぴりとして、若干の緊張が生まれる。しかし、お面越しでない視界にも、幻覚の類は一切確認できなかった。
卯月は不思議に思った。
見える力の暴走が治まっているわけではないだろう。その証拠に、今朝だって洗顔の際に卯月は不思議なものを目にした。何かを伝えたいのだろうが、よく感じ取る事が出来ないその訴えに、歯痒いものを感じながらもタマの助言に従ってお面を被ったのだ。あれから数時間しか経っていない。急に力が弱まるなんてことはないだろう。
では、何故、ここはお面がなくとも静かなのか。
「どうだ? 何か見えるか?」
タマに問われ、卯月は惚けつつも答えた。
「いえ……やっぱり静かです」
遠くで電車が走っていくごとんごとんという音が聞こえてくるくらいだ。
「そうだろうとも。ここは眠りの場所だからね」
タマは言った。
卯月はきょろきょろと周囲を見渡した。本当に何もいないのだろうかと思いながら見渡していると、ある一か所にぽつんと老年の男性がある墓を見つめながらブロック塀に座っているのが見えた。お面を被っている時には確かにいなかったはずだ。恐らく、生きている人ではないだろう。
「一人だけいますね」
でも、それだけだ。町中に比べてあまりに少ない。
「あれはきっと、この場所にゆかりのある人間だろう」
タマは言った。
「生前の墓参りを今もしているのかも知れぬ」
「墓参り……」
「そうだ。そう見えるだろう?」
「確かに」
「死んでからも墓参りをしているのだ。それが日常だったのだろう」
卯月は納得しつつ、しかしタマに訊ねた。
「でもなんで、こんなにも少ないのでしょうか。お墓なのに」
「言っただろう。ここは眠りの場所だ。多くの者にとってみれば、骨になってから納められる場所でしかない。卯月が死者だとしたら、どこに現れると思う? 恐らくは命を落としたその場所か、そうでなければ生前のお前さんにゆかりのあった場所のはずだ」
卯月はようやく納得した。
確かにそうだろう。縁起でもない話ではあるが、今すぐに死者となったならば、卯月が現れるのは学校や自宅、もしくは通学路などかもしれない。だから、ここは町中よりも静かなのだろう。
「生前にゆかりのあった場所、か」
卯月は呟きながら、ふと頭の中にお萩の姿を思い浮かべた。
あれから、お萩の姿を見ていない。タマによれば、お萩の痕跡がすぐに消えてしまうという事はないはずだった。無害な幽霊猫として、時雨原をしばらくさまようはずだろうと。だが、それにしても見かけなかった。
時折、卯月は黒猫を見かける度に話しかけてしまった。「お萩」という名前を呼び、相手が生きている猫であると気づくという事を繰り返していた。そのくらい、お萩がどうしているのかが気になって仕方なかったのだ。
せめて拾おうと思った骨は砂のように崩れて消え去ってしまった。あの時の公園を訪れてみても、お萩らしい幻影と出会うことはなかった。
自分は嫌われてしまったのだろうか。
お節介で馴れ馴れしい人間だと思われてしまったのだろうか。
それとも、本当に消えてしまったのだろうか。
その答えが分からないまま季節は巡り、秋になってしまった。卯月はずっと考えていた。自分のしたことが、どれだけお萩の為になったのだろうかと。あのまま化け猫として放置され、多くの人々の命を奪い続けるよりも、今はずっと良い未来であるのは間違いないはずだ。それでも、その行為をお萩自身はどのように思ったのだろうか。死んでしまった者はあれ以上、何も感じることが出来ないのかもしれない。そう思う一方で、それでも何かしらの手がかりが欲しかったのだ。
端的に言えば、お萩の今の姿を見て見たかったのだ。
しかし、卯月のそんな願いは叶う事もなく月日だけが経ってしまった。恐らくこの先も、同じような歯痒さを感じるのだろう。そう思いながら、卯月は再び兎のお面で素顔を隠した。そして、お面越しに再び墓地を眺め、座っていた老人の幻影がすっかり消えてしまったのを確かめると、小さな溜息を吐いてから足元のタマに話しかけようとした。
その時だった。
老人がいた場所は正反対の視界の右側に、黒い小さな影が映り込んだのだ。
「え?」
卯月はとっさに顔をあげた。そして、真正面からその姿を視界にとらえた。間違いなく、その姿はしっかりと見える。
猫だ。黒猫だ。
生きている猫だろうか。野良猫か。外猫か。しかし、卯月の心には別の期待が早くも浮かんでいた。先ほどとは逆の現象だ。お面を外していた時には気づかなかったその猫が、お面越しの世界にはいる。その意味を考えようとしたその時、猫は卯月をじっと見つめて鳴いた。
「にゃあん」
卯月は猫の声を聞き分け出来るわけではない。
それでも、その声には確かな覚えがあった。
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