2.お面の力を借りて

 タマは卯月の前に立ちはだかり、化け猫を睨みつけている。卯月もまた立ち上がると化け猫へと視線を向けた。八本の手をこちらに向けながら、化け猫はこちらの様子を見ている。その姿から目を逸らすことなく、タマは卯月に言った。

「疲れたな。だが、奴も疲れているようだぞ」

 気遣ってくれているのだろう。タマの声は非常に優しいものだった。しかし、その声にむしろ卯月は罪悪感を覚えてしまった。

 タマが苦戦しているのは自分のせいではないのだろうか。協力者となる際に、八子に言われたことを卯月は覚えていた。自分に求められていることの一つが空気を生み出す事。タマが思う存分戦える空気は自分にしか作れない。

 タマは、本当はもっと強いのではないだろうか。それなのに苦戦しているということは、自分がしっかりしていないからではないのか。卯月はそう思ってしまい、無力感に苛まれていたのだ。

「ごめんなさい、タマさん」

「どうした? どうして謝る」

 ちらりと向けられる視線を受け止めきれず、卯月はただ真っすぐ化け猫を見つめていた。化け猫は様子を窺っている。今のうちに息を整えているのだろうか。五分五分であるのは間違いないが、追い詰めているのも間違いない。タマの言う通り、化け猫もずいぶんと消耗しているようだ。

 だが、卯月は思ってしまうのだ。協力者が自分でなければ、もっとスムーズに事が運ぶのではないかと考えてしまい、心が勝手に追い込まれていってしまうのだ。

「私がもっとしっかりしていたら、タマさんも苦戦することはないんじゃないかって思ってしまうんです。私の心がもっと強かったら……」

「なるほど」

 やや呆れたようにタマは相槌を打つと、一息ついた後でこう言った。

「自戒が出来るというのは良い事だ。過去を振り返ること、内省をすること、これらは前へ進み続ける上で、同じ過ちを繰り返さないという効果が期待できる。だがねぇ、お前さん。反省する機会というものは決まっておる。物事が無事に終わった後でいいのだ。分かるか、卯月よ。今はその時でない」

「で、でも……」

 思わず言い返そうとして、卯月は口籠った。

 確かに、タマの言う通りかもしれない。反省をする機会は今ではないというのは、正しいだろう。まずはここを切り抜けてから。つまり、この戦いに勝ってからでなければ意味がない。物事には順序があるというのは、こういう時のための言葉なのだろう。

 卯月は納得し、静かに頷いた。

 タマは一安心したのか少しの間だけ微笑みを浮かべ、そして再びお面の下で険しい表情を浮かべ直した。見つめている先は、同じく様子を窺いながら息を整えている化け猫である。こちらを見つめながら、いつでも動けるように身構えたままだ。その表情、様子からは戦う意思が変わらないことが伝わってくる。説得は結局意味がなかったのだろうか。卯月は暗い気持ちになった。

「相当辛かったのかな。私の言葉なんて、あの子にとってみれば、火に油を注いだだけかもしれない」

 絶望感と共に漏れ出したその呟きに、タマは小さな声で返答した。

「いや、そうとは限らんぞ」

「え?」

「いいか、卯月。昔、八子様が言っていた。『言葉というものは毒にも薬にもなる』のだと。確かに言葉は恐ろしい。扱いに気を付けねば、他者の首を絞めかねん。年若いお前さんにも心当たりはあるのではないか。それが毒になる言葉だ。しかし、毒と薬は紙一重だ。厳しい言葉も、都合の悪い言葉も、適量ならば良い薬になる。あたしから見て、お前さんの言葉は分量を間違ったようには思えなかったぞ」

「……でも、あの子は怒ったままですよ」

 卯月が力なくそう言うと、タマは軽く笑った。

「なに、これも毒や薬と同じだよ。劇薬ならば話は別だが、大抵の毒や薬は効くまでに時間がかかるもの。何が言いたいか分かるか、卯月。つまりね、お前さんの言ったことは無駄なんかではないってことだ。ただ何かしらの結果が出るまでに時間がかかる。そういうものだよ、感情っていうのは」

 タマの言葉を受け、卯月は静かに考えた。

 言葉は毒や薬と一緒。ならば、自分の言葉はちゃんと良薬となれただろうか。それすらも怖い部分ではある。結果が出るまでは分からないと言われても、やはり卯月はそわそわしてしまう。そして、焦ってしまう理由も卯月にはなんとなく分かっていた。何だかんだと言い訳をしていても、やっぱり自分は期待を捨てられなかったのだ。自分の言葉であの化け猫が速やかに改心してくれることに。

「この薬は……効くのでしょうか」

 卯月の呟きに、タマはすぐさま答えた。

「効くと信じようじゃないか。何も言わずに戦い始めるよりはマシなはずさ。ただね、恨みっていうのは根深いものなんだ。泥まみれになった衣服を綺麗にするには時間がかかるだろう。染みがついちまうことだってある。それと心は同じだよ。お前さんだって、こうだと信じたことと違うことを言われても、すぐに考えは変えられないだろう? まずは戸惑うし、自分は間違っていないと思っていれば思っているほど、気持ちを変えるのは難しいはずさ。呪いっていうのも同じだ。変えられない時もあるかもしれない。だが、可能性を少しでもあげようとする行為は無駄なんかじゃないよ」

 タマの言葉に激励されながら、卯月は泣きそうになった。自分のした行為は無駄じゃない。そう言って貰えるだけでも卯月にとっては救いとなっていた。涙を堪え、それでも零れ落ちた一粒が頬を伝っていく。それが汗のようにぽとりと地面に落ちたその時、タマは続けて言った。

「さてと、薬の効果をただ待つだけでも良いのだが、薬の効きを良くする工夫も必要だね。あと一押しだ。体力の消耗は精神も消耗する。あと一押し出来れば、こちらに勝機がやってくるかもしれない」

「その工夫というのは?」

 卯月が問いかけると、タマはさらに声を潜めた。

「面だよ」

「お面……」

 その単語を繰り返し、卯月は無意識に片手で兎のお面に触れた。

「ああ、その兎の面だ。これまでも力を借りてきただろう。ここでも力を借りるのだ」

「どうしたらいいんですか?」

「その面に願うのだ。奴の記憶をもっと探りたいと。これまでお前さんが触れてきた殆どの記憶は、奴に呪いをためたものだ。しかしね、そうでない記憶だってもっとたくさんある。先ほどその面の力で覗き見ただろう。幸せだった頃の光景を」

「はい、確かに見ました。見ましたけれど……」

 果たして工夫になるような光景はあっただろうか。

 卯月には分からなかった。だが、タマはそんな卯月に言った。

「あの光景では分からなかったかもしれないな。猫自身も意図的に記憶しているわけではないかもしれない。だが、魂の奥には刻まれているはずだ。奴の心を揺さぶるようなもっと大事な記憶がね。それが何なのかは、さすがにあたしには分からない。だが、お面なら分かる。あたしが奴の気を惹く。その間にお面に願い、奴の記憶を覗くのだ。良いか?」

「は、はい!」

 タマの強い言葉に引っ張られるように、卯月は頷いた。

 すると、タマは頷き、卯月の前へと一歩出た。化け猫の方もそれを見て、じりじりと動き出す。再び戦いが始まろうとしている。その前に、卯月はタマに言われた通り、必死になってお面に祈った。

 ──お願いします。どうか、あの子の事をもっと教えてください。

 猫にとって大切な記憶は何なのか。タマにも分からない鍵となる記憶はどんなものなのか。卯月が願いを込めるとお面越しに見える景色が歪み始めた。

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