4.五円玉の繋がり
タマの報告が全て終わると、八子はしばし口を閉じて何かを考え込んだ。話しかけることを拒むようなその空気に、タマ共々卯月は沈黙したまま見守っていた。
静かな時が流れる間、卯月の脳裏に反響するのは先ほど聞かされたタマの心からの訴えであった。
──あたしはお前さんに助けて欲しいのだ。
同じ猫として、化け猫として、思うことがあるのだろう。切実な思いのこもったその声は、卯月に対して心をバリバリと引っ掻かれるような痛みを与える。何とかしてやりたい。そんな気持ちが定まってくる頃になって、やっと八子は口を開いた。
「九つ」
ぽつりと呟いてから、八子はその目を卯月に向けた。
「九つね。九つ目の命をかの黒猫は求めているわ。誰でもいいってわけじゃないみたい。かの黒猫は執念深いみたいでね、頑固って言えばいいのかしら。九番目の標的として、卯月ちゃん、あなたに狙いを定めているみたい」
「私を……?」
恐る恐る呟く卯月に八子は頷き、微笑みかけた。
「でも、あまり怖がらないで。あなたにはアタシたちがついている。あなたが他の八人のように異様な事故に遭わないのもそのためよ。けれど、目を付けられてしまったのも、アタシたちのせいになるのかしら。トキサメ様のニオイがあなたの心身にも染み付いてしまっているから、化け猫にとってみれば挑みたくなる獲物のようね」
八子の言葉を受け、卯月は静かに口を閉じた。
これまで化け猫に襲われた人々には繋がりがあった。その途中からは運が悪かったとしか言いようのない連鎖となっているが、少なくともその繋がりの中に卯月はいなかった。目を付けられたのは時雨童女と手を繋いだからなのだろう。しかし、だからと言って、時雨童女が悪いなどと卯月は思えなかった。何故ならあの時彼女がいなければ、卯月はとっくに高台から飛んでしまっていただろうから。
「これもきっと運命なんでしょうね」
卯月は苦笑しながらそう言った。
あの時、誰にも止められずに飛んでいれば、卯月はきっとここにはいなかった。化け猫の標的になるまでもなく、この世にいなかったかもしれない。いわば時雨童女に命を拾われたようなものだ。そう思うと、巻き込まれることにも不満はあまりなかった。
「私は大丈夫です」
卯月は八子に言った。
「むしろ好都合です。私自身が猫を惹き付けられるのなら、その間だけでも関係のない人の犠牲を止められる。九人目の標的として猫の前に立ちはだかって、思い切り断ち斬ってやりましょう。それが猫のためにもなるのなら、私は怖くありません」
力強く卯月はそう言った。
けれど、そこにあるのは覇気だけではない。恐怖というものはどんなに理性や勢いで抑え込もうとしても漏れ出してくるものだ。卯月の拳が震えているのも、武者震いなどではなかった。
それでも、八子は全てを見通したような眼差しのまま、微笑みを崩さなかった。
「ありがとう、卯月ちゃん。心強い言葉に感謝します。ここを動くことが出来ない、役立たずのアタシの代わりに、どうかタマちゃんと一緒にあの子を救ってあげて」
優しさの込められた声でそう呟くと、八子は握りこぶしを卯月に差し出した。
「これを受け取って」
そう言われ、卯月が手のひらを差し出すと、八子は拳をゆっくりと開いた。卯月の手のひらにことりと落ちたのは、赤い紐の括られた五円玉だった。
八子は言った。
「これはね、あなたが初めてここに来た時にお賽銭箱に入れた五円玉よ」
そう言われて、卯月はまじまじと五円玉を見つめた。
正しいかどうか、もはや覚えていない。たまたま財布から取りだしたというだけの五円玉であった。その色合い、そして製造年が合っているかどうかも分からない。けれど、八子が迷いなく言うためだろう。卯月は素直に信じることが出来た。
卯月がぐっとそれを握り締めると、八子は続けて言った。
「その五円玉とそれに括られた赤い紐は文字通り縁を結ぶ。ここから動けないアタシと卯月ちゃんたちを繋ぐ御守でもあるし、うんと願いを込めれば卯月ちゃんが心から会いたい人とも引き合わせてくれるはず。会いたい人であったり、会いたい獣であったり……。トキサメ様でさえも、それに願えば来てくれるかもしれない。それに化け猫だって同じ。向こうもあなたに会いたがっているならば、それを結んでくれるのがその五円玉なの」
「これにそんな力が……」
驚く卯月に八子は笑いかけた。
「最初のお賽銭が五円玉だったのも何かの導きなのかしらね。それが違う硬貨だったら、お札だったら、こうはいかなかった」
「きっと天もトキサメ様を心配なさったのでしょう」
タマは八子に向かってそう言った。
「この地が滅びゆくのをただ見ているだけでは憐れだと、導いてくださったのでしょう。あたし達には天が味方をしているのかもしれませんよ」
タマの言葉に八子は微笑みを浮かべた。
「そうだといいわね。お天道様がどのようにお考えなのかなんて、アタシ達には全く分からないけれど、そう信じたいところだわ」
そう言って八子は、おほほ、と控えめに笑った。
優美なその姿からそっと視線を外し、卯月は握り締めた五円玉を見つめた。
「これを使えば……会える」
その呟きに、八子は真面目な表情で頷いた。
「使うならば、初めて会った場所が相応しいでしょうね。覚えているかしら。化け猫に初めて遭遇した場所を。一度会えたなら移動しても構わない。引き寄せに引き寄せて、思う存分戦いなさい。けれど、くれぐれも無茶はしないのよ。あなたがもしも負けてしまったら、化け猫を止められる者はいなくなるでしょうから」
負けるということは、すなわち死を意味する。
卯月はその予感に鳥肌が立つのを感じた。人には見えないものが見えることに苦しんでは来たものの、死の危険に震える機会なんてこれまではなかった。あの化け猫と二度戦った時にようやく知ったくらいなのだ。そんな彼女にとって、死を覚悟して戦地に向かうという行為はあまりに現実味がないことでもあり、恐ろしいことでもあった。
それでも、行かねばならない。
時雨原のために、化け猫のために、時雨童女のために、八子やタマのために、そして何よりも自分自身のために。
負ければ破滅しかないこの戦いであっても、勝った時に掴める未来は間違いなく自分自身のためのものだ。もしも戦いを放棄して、時雨童女が滅ぶようなことがあれば、その時はきっと自分自身の未来も萎んでいくだろう。それが分かっているからこそ、卯月には逃げる理由なんてなかった。
だから、卯月はまっすぐ八子に視線を返すことが出来た。自分とタマの働きを信じて送り出すその眼差しに、強い眼差しを返すことが出来たのだ。
「行ってきます」
卯月は八子に向かって言った。
「必ず、あの黒猫を止めてきます」
苦しみながら時雨原を荒らす化け物。そうなってしまった過去を憐れみつつ、断ち斬る力のある刀。かつてそれを手にし、圧倒的な力で時雨原を守っていたのは目の前の神使であったという。
そんな過去の世界は、この時雨原にはもう戻ってこないだろう。それが卯月にも分かっている以上、甘えることなんて出来なかった。
人の手で不幸になり、化け物になってしまった獣に向き合うのもまた人の務め。その感情、怒り、憎しみ、悲しみ、恨みに向き合う覚悟が、卯月にはもう出来ていた。
兎のお面の下に宿る卯月のその強い意思を感じ取ったのか、八子は穏やかな声で言った。
「信じているわ」
やけに人間味のある、縋りついてくるようなその声に、卯月はしっかりと頷いた。
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