2.元凶となった人物

 タマが語り終えると、どんよりとした空気が生まれた。卯月は黙ったまま彼女の語った話を頭の中で反芻し、何とも言えぬ悲しい気持ちに打ちひしがれた。

 これまでに語られた化け猫によって命を落とした者達に、何か落ち度はあっただろうか。卯月からすれば、ないに等しく思えた。これも運命だったのだと言うしかないのかもしれないが、化け猫さえいなければ、と思わずにはいられなかった。そして、その化け猫が生まれた秘密が、最初の犠牲者にあることも卯月はもう分かっていた。

「さっきも言いましたが、最初の犠牲者は三番目の犠牲者の息子のようです。彼もまた生前の化け猫に会っている。将来の嫁と周囲に紹介するわりに気が多い。その上、気に入らないことがあれば口も手も出す癖もあったようで。ろくでもない男だったようですね」

 タマがそう言うと、八子は両目を閉じて頷いた。

「そのようね。タマちゃんが持ち帰った記憶から、彼の事も良く伝わってくるわ。好き勝手に生きて、他人の心を傷つけることを厭わない。野の獣にも、化け物にも、よくいる性質の男だったようね。彼には彼の信念があり、傷つく弱さこそ悪であると生涯信じていた。それが正しいのかどうか、判断することは人間でないアタシには出来ないわ。けれど、そんな彼の生き様は多くの女性を傷つけていったのは確かね」

 八子は穏やかな口調でそう言うと、タマに促した。

「続けてちょうだい」

 タマは頷き、彼の事を語った。

 卯月が目にすることの出来た情報とは比べ物にならないほど多くの事を彼女はすでに知っていた。共に歩み、共に触れた時に見抜いたのだろう。それが人ではない存在──神使に仕える元化け猫の力なのかもしれない。

 タマによれば、最初の犠牲者となったその男が恋人と交際し始めたのは、一、二年前のことだったらしい。恋人にとっては初めての男だったが、男にとっては数え切れない女のうちの一人だった。正式に交際しなかった数も含めると、三十路になるまでに親しくなった相手の数は計り知れず。恋愛トラブルの絶えない彼をよく知る者は、男も女も陰口ばかりを囁いていた。口より手の出る性格であることも良く知られ、巻き込まれたくない者は男女問わず、彼と一定の距離を保った。

 それでも、どんな人物にだって探せば良い部分はあるものだ。彼にだって良い部分もたくさんあり、それが魅力でもあった。過去に泣いた女がいるのだと知っていても、不思議と人を引き寄せる彼の人柄は、親しくなった女性たちに自分こそは上手く行くのだと思わせる力があったのだろう。生前の恋人もその一人だった。親しい間柄になって以来、何度も分かれるべきかどうか悩む機会はあったのだ。身勝手さに翻弄される度に、罵られる度に、果てには殴られる度に、もう終わりにするべきだという思いが彼女の頭に過ぎったはずだった。しかし、そう簡単なものではない。彼女はすでに恋愛感情に脳を侵されていたのだから。

 とはいえ、卯月にはまだ恋愛の何たるかは分からない。幻覚症状でそれどころでない彼女にとってこういった青春はもう少し先の事なのかもしれない。結局はタマの見解をそのまま受け止めるしかなく、よくある創作物のエピソードのようにその話を理解しようとしていた。それでも卯月にはよく分からなかった。

 何故、彼女は分かれなかったのか。

 不幸になっていくのは明らかだったのに。

「ああ、可哀想に」

 タマの話を聞き終わって、八子はため息交じりにそう言った。

「恋というものはね、人格すら歪めてしまうものなの。分かりやすくちょっぴり西洋風にたとえるならば、恋は人を天使にもするし悪魔にもする。彼女は天使になりたかったのでしょうね。大好きな彼が他人から好かれている以上に嫌われていることもよく分かっていたから、自分だけは裏切らない味方で居続けたかったのでしょう。でもね、人は天使になんてなれないの。何処かで無理が祟って、全てが壊れてしまう。彼女にもそんな事が起こってしまったのね」

 卯月は見抜けなかったが、タマは見抜いていた。

 恋人が命を落とした原因。それこそが、彼である。殺されたというわけではない。しかし、彼女を大切に思っていた者ならば、殺されたのも同じだと思っただろう。彼女は自ら命を絶ってしまったのだ。彼への想いと、現実の辛さに心身を引き裂かれた末に、その身を吊ってしまったのである。

「何もかも分からなくなってしまったのでしょうね。彼女に死んでほしくない人はいっぱいいたはずよ。それこそ、愛していた彼だって幾ら身勝手な性格でも自責の念に駆られたでしょう。その感情とどう向き合ったかはともかくとしてね。それに、黒猫は彼女に一番懐いていたようよ。それらの事がこれまでならば柵となって、彼女の命を繋いでいたはずなの。でも、別れたいけれど別れたくない、そんな相反する思いで心が裂けてしまってからは、もう何も分からなくなってしまったのね」

 そして、彼女はこの世を去った。

 可愛がっていた猫を遺して。

 タマは言った。

「恋人が自ら死を選んでしまったことで、彼もしばらく落ち込んでいたようです。それでも、時の流れといものは人の死を過去のものにしていきます。彼はいつしか彼女のことも忘れていって、これまでと変わらずに過ごすようになっていったようです」

「そう。そういうものなのかしらね」

 八子は切なそうに言った。

「けれど、化け猫はそれを許さなかったのね。だから、彼を呪い殺した、と」

「恐らくそうなのでしょう。一番の復習相手を仕留めて、それで終わりだったらまだ良かったのですが……」

 しかし、そうはならなかった。

 彼女を不幸にした男が死んだ後も、生前の彼女と関わりのあった人物から次第に関係のない人物へ。化け猫はその標的を広げていっている。

「でも、なんで」

 卯月は嘆いた。

「なんでお友達まで?」

 確かにその友人は彼女を救えなかったかもしれない。しかし、だからと言って、命を奪われるほどの罪だっただろうか。

「そうね、理不尽に思うわよね」

 卯月に向かって八子は言った。

「意味が分からないでしょう。復讐相手に相応しいのはその男だけでしょうから。せいぜい母親が巻き込まれるかどうかというところかしら。でも、少なくとも友人や関係のない人達まで巻き込むことはないと思うわよね」

「……ええ、はい」

 卯月が恐る恐る頷くと、タマは腕を組みながら首を傾げた。

「そうやって冷静に考えることが出来るのは人間だからこそだ」

「人間だからこそ?」

 卯月がそっと訊ねると、タマは深く頷いた。

「そうだ。あたしだって今でこそ、人間の考え方というのが理解できる。人間の言葉を以前よりも深く解する今だからこそだ。しかし、以前のあたしはそうではなかった。ただの猫だった時も、化け猫になった時も、人間の考え方など露ほど理解が出来なかった。猫にはね、猫の道理しか分からないのだよ。人間が猫の道理など分からぬように」

「猫……?」

 卯月は茫然とした。

 そして、ようやく気づいた。

「じゃあ、あの化け猫は……」

「ああ、猫だ。猫だけだ。人が猫らしくなったのではない。混ざり合ったのでもない。黒猫が人のようになったものだ。お前さんも見ただろう。最初の犠牲者にまつわる記憶。あれを見つめていたのは、生前の彼女が可愛がっていた猫のものだ」

「猫……遺されたあの猫が……」

 卯月が呟くと、八子は頷いてから言った。

「どうやらそのようね。猫と人の両方の線もあったけれど、タマちゃんが持ち帰った記憶を頼りにアタシの霊感で探ってみても、人間らしき魂は見当たらない。彼女はね、もう解放されているの。苦しみから逃れて、今は静かに眠っている。この時雨原に出現している彼女の姿は、彼女に愛された猫が記憶している幻影なのよ」

 卯月は納得した。

 だから、いつも女と猫は一緒にいるのだ。

 抱かれていたり、足元に寄り添っていたり、いつもそうしていた頃の記憶をもとに、大好きな飼い主の幻影を生み出していたのだ。

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