8章 手がかりを頼りに

1.久しぶりのお使い狐

 翌日の放課後、卯月が真っすぐ向かったのは時雨神社だった。タマに言われるままに訪れたその場所は、久しぶりだった為か異様に静かに思えて、少し不気味なくらいだった。それでも、しばらくそこにいると、むしろ時雨原の他の場所よりも空気が澄んでいるような気がしてきて、居心地が良くなってくる。タマに言わせるならば、それだけ他の場所の空気が淀んできているということなのだろうか。

 賽銭箱の前に立ち、じっと神棚を見つめていると、卯月の足元からふとタマが這い出してきた。三毛猫の姿からすぐに人間の姿へと変わると、カランと下駄の音を立てて卯月の真横に立った。

「さて、五円玉はあるな?」

「はい」

「まずはそれを捧げよ」

 タマに言われ、卯月は前のように五円玉を弾いて賽銭箱へと入れた。カランと小気味よい音が響くと、その音がすっかり止むのを待ってからタマは再び口を開いた。

「では、前のように質問をするぞ」

 卯月が頷くと、タマもまた頷いた。

「お前さんの名前は?」

「卯月です」

「干支はなんだ?」

「うさぎです」

「生まれた月は?」

「四月です」

「兄弟は何人いる?」

「一人っ子です」

「父母は優しいか?」

「えっと……」

 そこで、卯月は答えに詰まってしまった。果たして前に何と答えただろう。迷っていると、タマはそっと囁いた。

「以前、お前さんは普通と答えたようだな」

「あ、すみません、普通、です」

「友達は多いか?」

「あまりいません」

「よし、最後だ。いま、何に悩んでいる?」

「えっと……確か、幻覚が見える……こと?」

「合っているぞ。この部分だけはしばらくしたらまた聞き直すことになろう。それまではなるべく覚えておくようにな。さて、そろそろお呼びしようか」

 そう言って、タマは神棚の方へと目を向けた。

「八子様、八子様! お聞きになりましたでしょう? とっとと出てきてくださいな」

 なかなか乱暴なその呼びかけに反応するように神棚の狐の像が光り輝いた。その眩い光に視界を奪われているうちに、以前のように神々しい姿の狐は現れた。のそりのそりと卯月たちに近づくと、賽銭箱の前までやってきて大欠伸をしながら尻尾を揺らす。

「んもう、タマちゃんったらせっかちさんねぇ。お化粧の時間くらい待ってくれたって良いのではなくて?」

「安心してくださいな。八子様はすっぴんでも十分綺麗です」

 腕を組みながらさらりと述べるタマの様子に、八子は目を輝かせ、おほほほほ、としっぽを揺らしながら笑い出した。

 そして、そのままツンと身体を突っ張ったかと思うと、輪郭を歪ませて人間の姿へと変わってしまった。かつて卯月が見た時と同じだ。白い狐の面で顔を隠している小奇麗な姿。お化粧がいらないとタマは言ったが、確かに化粧の大半はお面で隠れてしまうだろう。なんてことを卯月が思っている間に、タマは八子に向かって話し始めた。

「時間も惜しいことですし、とっとと報告しましょうか」

「ええ、お願い」

「まず、これまでに語られてきた不審死の全てが化け猫によるものであるという可能性は非常に高いと確認できました。しかし、どうも最初の三名以外は巻き込まれたという方が正しいようです。その巻き込まれ方も段々雑になっていっているように思えました」

「なるほど。全員分を詳しく聞かせて」

 お面の下で八子の目が光る。タマは無言で肯くと、丁寧に語り出した。

 それは、卯月が共に目にした光景よりも、かなり踏み込んだ話であった。

 八人目として亡くなった人物は大学生。彼は怪談ともなっていたかの化け猫を目撃し、それを遺言のように知人たちに語ってからあの事故に巻き込まれた。事故当時、化け猫はその付近に出没し、ガラスが割れるように仕向けたというのが霊界に暮らす者たちの認識である。タマや八子にとってみれば、これは事故などではなく殺人なのだろうと卯月は黙って聞きながら思った。

 さて、ここからは卯月の目には見えなかったタマの掴んだ情報である。

 その事件が起こる数日前のことだ。ガラス片の犠牲となったかの大学生は、ある光景を目撃していた。それは、散歩中の高齢男性が命を落とす交通事故であった。救急車が呼ばれ、運ばれていく様子を彼は見ていた。そして、その現場で不審な女の姿も目撃していたのだ。その頃はきっとただの野次馬だと思っただろう。まさかそれが元凶だなんて思いもしなかっただろう。その後、彼は例の現象に見舞われることとなる。

 タマの語るその話に、卯月は寒気を感じてしまった。

 さらにそれより前、高齢男性もまた化け猫に会っていた。怪談のそれではなく、その前の話である。その日も散歩をしていた男性は、中学校の傍を通りかかった時に女の姿を目撃していたのだ。彼女はプールを見つめていた。その後ろを邪魔にならないように通り過ぎたという他愛のない記憶は、卯月には読み取れなかった。

 ──それじゃあ、実は全部繋がっていたの?

 男性が通り過ぎてからしばらく後、そのプールで一人の少年が命を落とすこととなる。その前日もまた、少年は化け猫を目撃している。だが、さらに数日前、彼はある事故現場の傍を通りかかっていた。小学生が命を落とす悲惨な事故のほんの数分前のことである。自転車で近くを通り過ぎる際、交差点をじっと眺めている女の姿を目撃していた。そして、彼が通り過ぎてしばらくしてから、その交差点の横断歩道で小学生が命を落とした。

「ここまでが、本当にただ巻き込まれただけの人たちのようです」

 タマは言った。

「そして、ここからは少し事情が異なるようですね」

「続けて」

 八子の言葉に頷いて、タマは再び語り出した。

 幼くして命を奪われた小学生は、生前、同級生に化け猫の怖い話を語っていた。だが、それより少し前、彼は自宅の近所の公園で、猫を連れてくる若い女性とよく話していたという。その女性はいつも朗らかで、抱いている猫もまた人懐こい黒猫だった。

 ──それってまさか。

 卯月が思った通り、タマは言った。

「それこそ、化け猫になってしまう前の彼女たちだったわけです」

 ただ目撃したわけではない。生前の彼女に関わっていたのだ。しかし、何故、狙われてしまったのだろう。卯月は疑問に思ったが、答えが見つからないまま話は進んだ。

 小学生が亡くなるより少し前、主婦が亡くなった。彼女は生前、マンションの転落事故を目撃していた。それは卯月にも見えた情報だった。しかし、タマに言わせればそれだけではないらしい。タマが見たのは、さらにそれより昔の主婦の記憶だった。

 夜道を帰ろうとしていた彼女はふと泣いている若い女性を見かけた。不審に思って話しかけてみれば、彼女は痣だらけだった。足元では心配そうに黒猫がついている。何か手伝えることはないかと声をかけるも、その女性はただただ首を振り、「そっとしていてください」と言ったきり口を噤んでしまった。結局、主婦は思い悩んだ末、その場を去った。

 ──ああ、その女性というのが。

 繋がってきた。タマが得た情報のお陰ではあるが、卯月にもだいぶ見えてきた。

「その次の高齢女性は、最初の犠牲者の母親だったようですね」

 タマは言った。

「彼女が狙われたのは、母親だったから、なのでしょうね」

「恨みの対象が広がったわけね」

「恐らく」

 タマは八子に頷きつつ語った。

 マンションから転落したその女性の息子はろくでもない男だった。しかし、息子可愛さのせいだろうか。結婚を前提に交際している恋人の相談もあまり真面目に聞いていなかったようだ。父親はおらず、母一人子一人。恋人の方も自身の両親をあまり頼れない事情があり、相談相手に恵まれなかった。そもそも、母親と恋人はそりも合わなかったのだろう。彼女の飼っている黒猫を、その母親はあまり気に入っていなかったようで、子どもが出来たら病気も心配だし余所にあげた方がいいのでは、等とたびたび助言をしていたらしい。

 それより前に犠牲となったのは、若い女性。彼女の親友は恋人からの暴力に悩んでおり、度々彼女に相談をしていた。時には家に向かったり、遅くまで電話に付き合ったり、出来る限りの事をしたつもりだったが、彼女はその親友に強く言う事が出来なかった。

 ──そいつは変わらないよ。別れた方がいいよ。

 何度も出かかったその言葉は喉の奥でくすぶったままだった。そして、しばらく経った頃、その親友は若くして命を落としたのだった。

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