3.八人の犠牲者たち

 交通事故が四件。工事現場での事故が一件。マンションの転落事故が一件。プールの事故が一件。卯月はこれら七件の事故現場を訪れるべく、影に潜むタマを引き連れて時雨原を歩いていた。

 事故現場に共通点はあまりない。強いてあげれば時雨原であるということだけ。犠牲者にも共通点はあまりない。性別も年齢もばらばらだった。その内容も、不注意に巻き込まれる形であったり、不慮の事故としか言いようがない形であったりする。とにかく、本人たちには防ぎようのない形で命が奪われているようだった。そして、その死の瞬間にもやはり、かの化け猫はひっそりと立っていた。

 窓ガラスの事故と同じように、化け猫がそっと指をさした時に何かは起こる。四件の交通事故もそうだった。場所も、時刻も、車種も、運転手も、バラバラだったけれど轢かれる状況は非常に似ていた。

 では、四人はどうして化け猫の呪いを受けてしまったのだろう。彼らが命を落とす瞬間に立っていた場所で、卯月はその記憶を辿った。

 一人目は高齢男性である。年齢は七十代。いつものように散歩をしている途中で、車に突っ込まれてしまった。その車は転倒したバイクを避けようとして制御を失ってしまったらしい。轢かれた男性には避けようのない事故だった。

 その少し前、彼は近くの公園にいたようだ。友人とたまたま会った際に、すでに噂となっていた化け猫の怪談を雑談として語っていた。では、実際にはどのような光景を目撃したのか。それは、卯月が以前より聞いていた噂話と同じだった。黒猫が走り去り、それを抱き上げた女が振り返る。訴えるような目で何か声をかけられて、彼は思わず頷いてしまった。

 二人目は中年女性である。年齢は四十代。夕飯準備の買い物に行っていた主婦で、スーパーに向かう途中で事故に巻き込まれた。状況は高齢男性の時とよく似ている。違うとすれば、車が制御を失った状況だろう。突然タイヤにトラブルが起きて、女性を背後から撥ねてしまったのだ。そしてその場にはあの化け猫がいた。

 その前日の彼女の記憶を卯月は辿った。自宅周辺の掃除をしている彼女の前を黒猫が横切っていく。その動きを何となく追っていくと、その先にあの女がいて、猫を抱くとこちらをゆっくりと振り返った。それからの流れは高齢男性の時と同じだった。彼女もまた、頷いてしまったのだ。

 三人目は男子小学生である。年齢は十歳。下校中に起きたその事故は、多くの同級生が目撃し、今でも心の傷となっているという話は卯月もすでに耳にしている。彼は横断歩道を渡ろうとしていた。渡るその直前、カーブを高速で曲がろうとした車が突っ込んできて、幼い命は奪われた。卯月は見逃さなかった。カーブを曲がる車の向こう側から、あの女は指をさしていた。

 その少し前、彼は同級生に不思議な黒猫と女性の話をしていた。彼もまた、交連男性や主婦と同じような体験をしていたらしい。ひょっとしたらこの話を覚えていた一部の小学生たちが、化け猫の噂を広めることとなったのだろう。

 四人目は若い女性である。年齢は二十代。深夜、遅くまで勤め先の飲み会に参加をし、足早に帰る途中だった。繁華街からバスに乗り、無事に時雨原まで戻れたのは良かったものの、自宅に帰る途中に悲劇は起きた。大通りの押しボタン式信号を渡ろうとした際に、飲酒運転の車に轢かれて命を落としたのだ。化け猫はその信号に向けて指をさしていた。まるで、彼女が渡るタイミングと暴走車が来るタイミングを合わせたかのように。

 その少し前、彼女は共に飲み会に参加した同僚に語っていた。しかし、ここで卯月が目撃した記憶は、これまでの三人のものとは少々違った。

「○○ちゃんは悪くないよ。だから落ち込まないで」

 そう言っているのは、彼女の友人らしき同じ年頃の女性だった。

「そう言われたって、本人が別れなかったわけじゃん。○○ちゃんはずっとあまり良い人じゃないって言ってたんでしょう?」

「だけど……ずっと相談されていたわけだし。もっとはっきりと言えばこんな事には……」

 そう言って彼女は俯いた。そこで、記憶は途切れてしまった。

 ──おかしい。

 卯月は脳裏に浮かんだその光景を思い出しながら心の中で呟いた。化け猫がいなかった。話している相手も、あの女ではない。

 彼女が命を落とした横断歩道の前で、卯月はしばし考え込んだ。

 これはどういう事だろう。事故は確かに化け猫の仕業らしい。しかし、この女性の記憶には、化け猫の姿は見当たらない。

「お前さんも気づいたか」

 影の中からタマが言った。

「この者だけ事情が違うらしい。お前さん、これまでの事故現場の発生時間は覚えておるかな?」

「えっと……」

 タマに言われて卯月は鞄から手帖を取り出した。メモされているのは、八人の犠牲者の情報と、事故現場と事故内容である。日付も勿論そこに書いてあった。

 いま回ってきた事故現場の話は、必ずしも事故発生順ではない。時系列に沿って話せば、四人目の事故がまず起こり、それから二人目の事故、三人目の事故、四人目の事故が起こり、ガラス片落下の事故へと続く。

「どうやらこの人が最初だったようです」

「まだ回っていない場所はどうだ?」

 タマに問われ、卯月は手帖のページを捲った。

 これから回る予定の現場は、工事現場とマンション、そして中学校のプールである。さすがに中学校は入れてもらえないだろうけれど、一応行くだけ行くことにしてあった。一番近いのはマンション、次に中学校。もっとも遠い工事現場は最後になる予定である。

「どの事故がどの順番で起こっているのだ?」

 タマに言われ、卯月はメモを確認しながら答えた。

「えっと……工事現場の事故が最初だったようです。その次がここの交通事故だったみたいですね」

「その後は?」

「……その後は、マンションの転落事故があって、その後が二人目の主婦の交通事故、三人目の小学生の交通事故、その後にプールの事故が挟んで、高齢者の交通事故、ガラス片落下の事故と続いていったようです」

「よし、なるほどよく分かった。だが、もう少し確かめないと。これから行くのはどこだったかな?」

「マンションです。その次が中学校で、最後に工事現場です」

「そうか。ならば行ってみよう。あとは死の記憶を確かめてからだ」

「……はい」

 覚悟を決め手から、卯月は信号のボタンを押した。

 一つ一つの事故を見つめ、卯月は忘れずにその死に思いを馳せた。しかし、学校のすぐ傍で少女の死と向き合った時のように、この度の犠牲者たちの記憶は解放されそうにない。亡くなってまだ日が浅いせいもあるだろうとタマは言ったが、卯月はそれだけではないと感じていた。かの少女の場合は、命を落とした時と今の状況が変わっている。それが街路樹一本であったとしても、もう同じような形で命を落とすものがいないという事実がある。

 しかし、化け猫の犠牲となった者たちは違う。原因となった化け猫は野放しのまま。事故原因がそこにあり、解決されていないとなれば、記憶の中の彼らは恐怖したままだろう。これでは浄化しきれない。

 ──やっぱりあの化け猫は何とかしないと。

 決意を胸に卯月はマンションへと向かった。

 転落したのは高齢女性だった。年齢は六十代。落ちた場所は住んでいた部屋のベランダで、さすがにその場所まで卯月は行く事が出来ない。影法師は案の定、彼女が住んでいた部屋のベランダにいるようだった。

「こっちを確かめてみよ」

 タマが不意に声をかけてきた。

 卯月はなんとなく彼女が示したいのだろう場所に目を向けた。そこにも影法師がある。違う人物の死に際だろうかと思ったが、タマは言った。

「これは目撃者の記憶だ。あまりに恐ろしいその光景に、記憶から抜け落ちてしまったのだろう」

 タマに言われ、卯月は躊躇ってしまった。そんな光景がここにあるのかと。しかし、行くしかない。卯月は恐る恐るその影法師に近寄った。

「これには触れてみよ。持ち主が命を落とした場所じゃないようだからね」

 卯月はその言葉に頷くと、そっと手を伸ばした。

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