4.化け猫には化け猫を
寄せ集めの怨霊でさえ、祓うとなると難しい。
八子はそう語った。
こびりついた油汚れを落とすことが困難であるように、土地を穢す悪霊や化け物の討伐はそんなに簡単な事ではない。
それこそ、タマの力を借りてでさえ、あっさりと解決できることではないという。
ならば、卯月は尚更困惑した。相性がいいなんて言葉に安心できるだろうか。心霊などのようなオカルトに精通しているわけでもないというのに。
それでも、八子は確信をもって語るのだ。
「大丈夫。それでもいいの。アタシがあなたに求めるのは、タマちゃんが思う存分戦える空気を生み出す事。その上でほんのちょっとだけ、この刀で相手の化け猫を切りつけてくれたらそれだけでいいの」
やはり、安易に引き受けるのはまずそうだ。
卯月はますます警戒した。
ほんのちょっとだけ。切りつけるだけでいい。そんな言葉で誤魔化されるはずもない。受け取ったとしてもいつでも引き返せるというのも果たして本当かどうか。一度受け取ってしまったら、二度と引き返せないのではないかという疑いも卯月の頭に浮かんでいた。
そんな卯月の心が読めるのか、八子は静かな声で言った。
「まあまあ、警戒もするでしょうね。人が死んでいるのですもの。だから、納得いくまで慎重に考えてちょうだい。それと、これは強調しておきますけれどね、いつでも投げ出していいのは本当よ。アタシ達だって何も命を捨てて協力して欲しいなんて言わない。無理だと思ったら、刀は返してくれていい。お面の方は記念にあげるわ。そのくらい、アタシ達は困っているの」
「つまりは、猫の手も借りたいということだな」
八子の言葉に続いてタマは腕を組みながらそう言った。
卯月は再び考え込んだ。
駄目だったとしても、お面は貰ってもいい。命を捨ててまでやる必要はない。猫の手も借りたいほど困っている。
その三点がぐるぐると卯月の頭の中を回り出した。
断ってもいいはずだ。その権利はあると八子もタマも認めてくれている。しかし、卯月が迷うのは、踏み出す覚悟が足りないことだった。断る勇気でも、断る理由でもない。差し出されたそれらを受け取るための覚悟を高めたかった。
時雨原がおかしい。
それは、世間を賑わす不幸の連続でよく分かっていた。
七名の死者はいずれも偶然であるし、現実主義者にとってみれば、それらの不幸を面白おかしく関連付けようというのは、故人や遺族の感情を無視した悪質な都市伝説としか思えないだろう。
しかし、そうだとしたら、卯月が体験したものは何だったのだろう。今こうして聞かされている話はなんだろう。あの化け猫は、女性の姿をした怪しい存在は、何者なのだろうか。亡くなった人々と同じものを見てしまった卯月には、たとえそれが自分自身の生み出した幻覚なのだとしても、確かめたいという気持ちが大いにあった。
このままでは時雨原が危ない。
無意識に破滅へと向かおうとしていた自分を助けてくれた時雨童女が危ない。
この神社まで手を繋いできたことが、彼女なりの訴えだったとしたら、それらをすべて無視してしまう方が恐ろしい。
卯月はそう思った。
真っすぐ八子を見つめると、八子はお面の下で目を細めた。
「どうやら、気持ちが固まったようね」
八子の言葉に卯月は頷き、差し出されているお面と刀に手を伸ばした。
すると、八子は言った。
「まず、お面を付けて見て」
言われるままに手を伸ばし、卯月はその白い獣のお面を付けた。
ただのお面だ。初めはそう思った。けれど、お面越しに周囲を見つめた瞬間、卯月はふと視界に違和感を覚えた。
八子とタマの姿が一瞬だけ消え、再びすっと現れてきたのだ。
まるで、一瞬だけ見るべきか見ざるべきか判定が入ったかのような。
戸惑う卯月に対して、タマが腕を組みながら述べた。
「どうやら視界に揺らぎがあったようだな。そのお面が真価を発揮するのはここを出てからだ。家族や級友たちは、お前さんの付けている面を気にも留めないだろう」
タマが言い終える前に、八子が懐から鏡を取り出した。
「御覧なさい」
そう言われ、卯月は鏡を覗き込んだ。そして、驚いた。お面の形状が付ける前と大きく変わっていたのだ。真っ白で実にシンプルな獣の面が、桜の模様の入った兎の面へ。鏡の中に映された自分の姿を茫然と見つめ、ふと卯月は八子に訊ねた。
「本当にこのお面、周囲の人には見えないんですか?」
その問いに八子は頷いた。
「正確には一部を除いて、ね。先ほども言った通り、このお面はこの世界の身分証明書よ。神使の協力者の証ですもの。同じ世界を生きる者には見えるわね。たとえば、他の神使の協力者とか。でも、卯月ちゃんの通う学校や時雨原の街には今の所いないはずよ」
つまり、誰にも見えないようなもの。
少なくとも学校生活では支障がないということだろう。
「外したい時には自由に外したらいいわ。外したら消えてしまうけれど、付けたいと思った時には現れる。やってごらん」
八子に言われるままに、卯月は試してみた。
言われた通り、外してみれば兎の面はすっと消えてしまった。感触すらなくなったことに緊張しながらも再び付けようと意識してみると、どこからともなくお面は現れた。
きちんと現れたことにホッとしていると、八子はすっと刀を差し出してきた。
卯月は恐る恐る手を伸ばし、その柄を握った。
「『猫ノ手』もまたあなたを持ち主と認めている。そのお面と同じよ。普段は見えない場所にあり、あなたが必要だと思った時に現れる。試してみなさい」
刀を受け取り、卯月はしばし惚けてしまった。
思ったよりも非常に軽い。本物の刀にしてはかなり扱いやすそうだった。
「鞘を抜いてみて」
八子に言われるままに、卯月は汗まみれの手で鞘から刀を抜いた。物騒な武器だ。しかし、神々しい刃の煌めきはそれ以上に美しい。卯月はその異様な美しさにしばし見惚れてしまった。鞘を持ったまま日が傾きつつある空に掲げて見ると、太陽の光を照らして煌めきが強くなった。
「どうだ?」
タマがそっと声をかけた。
「あたしの魂を少しは感じるか?」
その問いに卯月はふと我に返り、刀を鞘にしまった。ぎこちなく首を横に振ると、タマは軽くため息を吐いてから、気を紛らわすように言った。
「まあ、最初はそんなものか。とにかく、お前さんにはしばらく世話になる。少々、落ち着かないかもしれないが、あたしがいる限り、あの化け猫はお前さんを避けたがるかもしれない。向こうから襲ってくることが減ることは間違いないから勘弁しておくれ」
「は、はい……」
卯月が恐る恐る返事をすると、タマは口元に笑みを浮かべた。そして、すっとしゃがむように身体を縮めてしまった。呆気にとられた卯月が視線を追うと、そこには一匹の猫がいた。猫の姿はどこか曖昧で捉えどころがない。恐らく三毛だということ以外、顔も目の色も覚えてしまう前に動き出し、卯月の影の中に吸い込まれるように消えてしまった。
驚く卯月に八子は言った。
「姿は見えなくとも、普段はタマちゃんがあなたの影の中にいるわ」
卯月が目を向けると、八子は微笑みを浮かべた。
「アタシはここから動けないけれど、お面を通してあなた達のことを見守っている。けれど、どうか気を付けて。相手は七人も殺している悪霊よ。少しでも危ないと感じたら、無理に追いかけては駄目。そして、どうしても無理だと思ったら、その時はいつでもここへ来て遠慮なくアタシに言うのよ。分かった?」
優しい言葉で問いかけられ、卯月は静かに肯いた。
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